「ヨシって言えばいいんだよ」って俺を切った工場、ヨシの中身がなくて炎上する ― 見て・言って・残すだけの安全係再就職記 ―

@pepolon

第1話 声がでかくない安全係は要らないと言われた日

「……だからさ。お前の言ってることは分かるんだよ」


事務所のガラス越しにラインが見える。

フォークリフトが一台、ゆっくり通る。通路に人が出る。

それに合わせて、現場から「ヨーシ!」って声が上がった。

大きい。工場じゅうに届く。


向かいにいる工場の安全主任・桑名は、その声に満足そうにうなずいた。


「見てから言え、ってのは正しい。俺もそう思う」


桑名は言いながら、指で机をトントンと叩いた。リズムがある。現場で毎日やってるリズムだ。


「“見て→言って→聞こえなかったら残す”ってのも、考え方としてはいい。が」


「が?」


「声が小さいんだよ、お前のヨシは。」


きた、と思った。


「この工場はな、音で動く。

 朝は機械もうるさい、フォークも動く、人も話してる。静かなヨシは、ここでは無かったことになる。お前のヨシは“正しいけど聞こえねえ”んだ」


「聞こえないとき用の紙、作りましたよね。『聞こえず・目視OK』って残すやつ」


「だからそれが“お前のヨシ”なんだって」桑名は苦笑した。


「いちいちルート書いて、タブレット開いて、記録して。そういうのは他の会社でやれ。現場は“ヨシ!”でいいんだよ。でかい声で“ヨシ!”って言って、みんなが“あ、今日もやってるな”って思えば、それで回る」


「でかい声で言って、柵が開いてたらどうするんですか」


「……だから、“ヨシ!”をもっとでかくするんだよ」


話が一周した。

これがこの工場のやり方だ。

“声が聞こえなかったら、やってない”。

“聞こえてさえいれば、細かいとこは後でいい”。


そして桑名は、その“聞こえる”をやたら大事にしている。理由までは言わない。けど、やたら大事にしてる。


たぶん昔、聞こえなかったことが何かあったんだろうな、くらいまでは分かる。でも言わない。


「お前な」桑名は少し言いにくそうにした。


「ここは、お前みたいな“静かに直してくやり方”より、“全部声で押し切るやり方”が合うんだよ。分かるだろ。現場ってのはそういうとこだ」


「……じゃあ俺は、ここじゃないですね」


「そうだな」桑名は椅子を鳴らした。


「お前のそれが必要なとこ、どっかにあるだろ」


書類にハンコを押されるほどでもなく、「もう来なくていいよ」で終わった。

一応、帰り際にだけ言った。


「桑名さん。“ヨシって言えばいい”が続くと、見えなかったところが溜まります。ある日まとめて出るんで、そのときは声じゃなくて“どこを見たか”を聞かれます」


「そん時はそん時で叫ぶよ」


「叫ぶ前に、見えるようにしといたほうがいいですよ」


扉を開けて、俺はその工場を出た。


──────────────


一週間後。

別の工場の面接室。木目がきれいで、ヘルメットが新品のにおいをしていた。


「うちは、“ヨシ!”を大切にします」


最初にそう言われた。違う会社なのに、出てくる言葉は似てる。


「自動ゲートも、通路センサーも、予算と時間があれば入れたいです。でもそれらは、人が見て、人が言って、人が運びます。だから、そこから安全にできる人を採りたいんです」


若い部長だった。声は普通。叫ばない。


「今のうちの“ヨシ”は“みんなで何となく言ってる”です。事故が出てから“あの時言いましたよね?”になる。それを“見て→言って→聞こえたを残す”にしてほしい。できます?」


「できます。前の職場でもそうしようとしたら、“声が小さい”で切られました」


「声が小さいで?」


部長の眉がぴくっと動く。


「まだあるんですね、そういう現場」

「ありました。大声で上書きするやり方です。でも、見てなかったとこは上書きされないんで、また出ます」

「じゃあうちはそこ、先に見えるようにします」


部長はにこっとした。


「今ちょうど3人、手が空いてる子がいるんですよ。現場女子と事務女子です」


──────────────


現場横のプレハブ。

中に入ると、ヘルメットを机に並べた女の子が3人、背筋を伸ばしていた。


「現場で一番声が出る子、みのりです」

「おっはようございまーす! ドアよし! 荷台よし! 出発よし!」

「今ドア動いてたぞ」

「えっ」


「見る前に言わない」


俺は指を一本立てる。


「止める→見る→言う。順番」

「はい……」ちょっとだけ肩をすぼめた。


「見えるのが得意な子、朱音(あかね)です」

「……おはようございます。声は、あまり出ません」

「じゃあ君は“見た”担当。見たらここにチェック。声が出なかったら、“声なし・目視OK(朱音)”って残す」


「最後、事務だけど機械いじるの好きな子、リコです」

「“聞こえた”を記録するマクロつくります! でも複雑のはやめてください! 怖いので!」

「複雑でなくていい。押す前に中身が読めるやつで」

「じゃあ“聞こえたので記録する(送信しない)”って名前で置きますね。押したら一行だけ残すやつ」


3人とも、前の工場なら「全員でヨシって言っとけ」で済まされるタイプだった。

でもここは、できることとできないことを最初から分けて役にする。


「今日やるのはこれだけです」


ホワイトボードに書く。

1. 止める→見る→言うを声に出す

2. ヨシを記録するマクロをリコが作る

3. ヨシって言ったあとで“直す”のを禁止しない


「3番が、わかんないです」


みのりが首をかしげる。


「ヨシって言ったら終わりじゃないんですか」

「終わりじゃない。ヨシって言うと、耳と目がそろうから“あ、ここ出てるな”って気づきやすくなる。そのときに直す。ヨシは終わるためじゃなくて、始めるために言う。前の会社はそれを嫌がったけど、ここはやる」


「始めるヨシ……」朱音が小さく復唱した。


リコがパタパタと打ち込む。

• 見えてからヨシする

• 聞こえなければデータで残す

• ヨシしてからなおす




────────────────


同じ時間、旧工場。


「フォークリフト通路、ヨシィィ!!」

「人通行なし、ヨシィィ!!」

「足元、ヨシィィ!!」


桑名の声が倉庫を震わせた。

みんながちょっと安心した顔をする。

“あ、今日もあの声だ。今日も何も起きないやつだ”って顔をする。


でもラックの下段は、ほんの少し外に出ている。

安全柵は、半ドアで止まっている。

充電ケーブルは、通路にはみ出している。


誰も、そこは見ていない。


その日の夕方、監査からメールが来た。


本日午前、柵ロックが半開きのまま「ヨシ」になっていました。

聞こえた人の名前が残っていません。

次回は“誰が何を確認したか”を記録で提出してください。


桑名は画面を見て、ほんの一瞬だけ眉を寄せた。

けどすぐ、椅子の背にもたれて言った。


「……明日はもっとでかくやるぞ」


理由は言わない。

でも、とにかくでかくやる。

それが彼のやり方で、それでこれまでは何とかしてきた。


──────────────


こうして、二つの“ヨシ”が同時に動き出した。

• 声が聞こえればヨシの工場

• 誰が何を見たか残せばヨシの工場


どっちが長く持つかは、見てれば分かる。

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