第3話 「ヨシって言ったのに直すな」と言うと工場はバカになる
午前。昨日と同じプレハブ。
ホワイトボードには既にでっかく書いてある。
1. 止める
2. 見る
3. 言う
4. 残す
5. (必要なら)その場で直す → もう一回だけ言う
「今日はここ。5番をやる」
「きたー!」みのりが手を挙げる。「前のとこで一番怒られたやつ〜〜」
「そう、それ」俺は笑った。
「“ヨシって言ったあとに触るな”ってキレられたやつだろ」
「そうです! “ヨシって言ったらOKって書くんだよ!”って」
「“じゃあ今見つけた危ないとこはどうするんですか”って聞いたか?」
「怖くて聞けなかったです……」
朱音が小さくうなずいた。
「私も、言えなかったです。ヨシって紙に書いたあとに“これ危なかったです”って言ったら、“じゃあヨシなかったことにしろ”って」
「そう。そこを“なかったことにしろ”ってやるから工場がバカになる。“見えたけど書けない危険”が毎日たまって、ある日まとめて出る。だから今日は“見えたやつをその場で直して”“直しましたってもう一回だけ言う”を練習する」
リコがノートPCを少し回して見せた。
「じゃあそれ用のマクロ、2個にしますね」
• 直したので再ヨシする
• 現場で一時処置したので注意つきヨシ
「名前ながっ」みのりが笑う。
「長いほうが怖くないんですってば」リコは真顔。「“送信”とか“実行”とかって短いやつが一番怖いんです」
「正論だな」
──────────────────
訓練用に、今日は“ちょっとだけ危ない”場所を3つ用意しておいた。
1. 通路の角に、わざと曲がったパイロン
2. 安全柵のロックが“かかったふうの半ドア”
3. フォークリフトの充電ケーブルが、ちょうど足にひっかかる高さでゆるんでる
「この3つを順番にやる。いつもの“止める→見る→言う→残す”でいい。違うのは“見えたら直してからもう一回だけ言う”ってところな。そこで止めずに進める。これができると“ヨシって言ったら終わり”から卒業できる」
「卒業〜」みのりが気合いを入れる。
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まずは通路の角。
「止めます。角、見る」
俺が言いながら見せる。
「パイロンが曲がってるんで直します。通路よし」
「おお、自然……」朱音が小さく言う。
「“直します”って声に出すんですね」
「出す。声に出さないと、“誰かが勝手に触った”って怒る人が出るからな。“見えてたから直しました”って言って、そのあと“今度こそヨシ”を言う。これで“ヨシなのに触った”が正当になる。リコ、今の残して」
「はーい」
PCに一行増える。
09:42 通路角 曲がり→直した→再ヨシ 見:俺 記録:リコ
「ね、怖くないでしょ? “直したので再ヨシする”って書いてあるから」
「たしかに長い名前って安心するかも…」朱音。
「じゃあ次はみのり、柵のロックでやってみ」
「はーい! 止めまーす! 柵、見まーす! ……あ、ちょっと開いてます!」
「そこで“ヨシ!”って言わない」
「はい。えっと……“開いてたので閉めます!”……閉めました! 柵、ヨシ!」
「そう、それ」
俺はすぐにリコを見る。「今の“開いてた”を残しとけ。『開いてたので閉めた』ってのは監査が一番喜ぶ」
「書いときまーす」リコがカタカタ。
09:44 安全柵 半開き→施錠→再ヨシ 見:みのり 記録:リコ
「……これ、監査さんが見たら“ちゃんと見てんじゃん”ってなるやつですよね」朱音がモニターを覗き込む。
「そう。“全部ヨシ”より“ヨシだけど直した”がある日のほうが信頼される。逆に“毎日100点”って現場は疑われる。だから“見えたから直した”を消さない。むしろ残す」
「うちの前のとこ、消してました……」
みのりがぽそっと言う。
「“今から来る人が『開いてた』って見たら怒られるから消せ”って」
「それやると、今日みたいに“開いてるけどヨシで通った”ってのが積もる。で、ある日、自分の声じゃ消せなくなる」
「声じゃ消せなくなる……」
みのりはちゃんと怖そうな顔をした。いい反応だ。
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最後、充電ケーブル。
これは朱音にやってもらった。声が小さくても回るやつを見せるのにちょうどいい。
朱音「……止めます。足元、見ます。ケーブルが……出てます。ちょっと……危ないです」
(声はほんとに小さい)
「今の聞こえたか?」俺は後ろの2人に振る。
「ぎり聞こえました」みのり。
「聞こえませんでした!」リコ。
「じゃあ“聞こえなかったのでデータを残す”を押せ」
「はーい」ポチッ
PCに一行。
09:47 充電ケーブル 出てた 声きこえず/目視:朱音 記録:リコ
「で、朱音。続き」
朱音「……えっと、ケーブルを……引っかからない高さに、上げます。……上げました。足元、ヨシです」
「はいOK。これで“声が小さくて聞こえなかったからヨシがない”が消えた。“聞こえなかったけど見て直した人がいる”が残った。この状態なら、声をでかくする必要はない」
「……あ、これなら私もできるかも」
朱音がちょっと笑った。
「“聞こえなかったらゼロ”が一番怖かったので」
「だから先に道を作っといた。“聞こえませんでした”を怒るのをやめたら、見える人がちゃんと見るようになる」
リコが満足げに言う。
「怖くないマクロ大勝利ですね」
「その名前にするか?」
「やめてください」
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午後。部長がまた様子を見にきた。
「お、今日は“ヨシのあとで直す”やってるんですね」
「やってます。みんな“直すと怒られるやつ”がトラウマになってるみたいで」
「ですよねえ……」部長も苦笑する。
「ここに来る中途の人、だいたいそれ言います。『ヨシって言ったあとで触るな』って」
「それを上から言ってたの、誰ですかね」俺はわざとニヤっとした。
「さあ、どこの工場でしょうねえ……?」
部長もニヤっとする。
新しい会社のいいところは、こうやって笑いにできるところだ。
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同じ日の旧工場。
新人「ここ、ロック半ドアでした」
ベテラン「さっきヨシって言ったぞ」
新人「でも開いてて……」
ベテラン「じゃあ言うな。ヨシって言ったあとに“開いてた”って言うとややこしいだろ」
そこへ桑名が来る。
「どうした」
「いえ、柵がちょっと開いてたのを……」
「さっきヨシって言ったんだよな」桑名が新人を見る。
「はい」
「じゃあヨシだ。ヨシって言ってから触るな。あとでやれ」
「でも今、見えたんで……」
「あとでやれって。今は“ヨシって言いました”で進める時間だ。直すのは“ヨシが全部終わったあと”。進めるときに止まるな」
新人は口をつぐんだ。
“見えたのに言うな”をここで覚える。
こうして“見えたけど消した危険”がまた一個、棚に積まれる。
夕方。監査が来て言う。
「今日の午前中、柵のロックが半開きでしたが“ヨシ” になっていました。どなたが“半開き”を確認して、“後でやる”にしたのか分かりません。“後でやる”を許すなら、誰がいつやるかも残してください」
桑名は一瞬だけ目を細めて、
「……分かりました。明日からそうします」
とだけ答えた。
ペンを取って、でかい字で書く。
明日から
・ヨシ言った人 名前
・後でやる人 名前
・時間
でかい声で言う
やっぱり、声で足そうとする。
──────────────────
新工場・終業前。
「はい今日のまとめ」
俺はホワイトボードにチェックを入れた。
• 見えたら直す→再ヨシ できた
• “ヨシまだ”が怖くなくなった
• 声が小さくてもマクロで残せた
• “後でやる”を禁止しないで済んだ
「これで、ヨシって言ったのに直したら怒られる、が無くなった。
“ヨシの中身を良くする”ってことができるようになった。
明日は“誰が見たか”をもっとハッキリさせる。
指名でヨシさせるやつ。旧工場が一番嫌がってるやり方だ」
「名前つきヨシ!」みのりがテンション上がる。
「名前が残るとちょっとドキドキします……」朱音。
「じゃあ“怖くない名前記録マクロ”も作っときますね」リコ。
「名前系はたぶん怖くないで伝わらんぞ」俺は笑った。
今日もプレハブの中でカチッと保存の音が鳴る。
あっちの工場では、今日も「ヨシィィ!!」って声が残るだけだ。
同じ“ヨシ”なのに、そろそろ差が見えてくる。
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