第6話 辺境の村と影
「神の、権能……」
バルガスさんの呟きが、がらんとした倉庫に響き渡る。
俺はまだ、自分の両手を見つめたまま呆然としていた。容量無限、時間停止、自動整理、簡易鑑定。今までただの『物入れ』だと思っていた俺の【収納】スキルが、そんな途方もない力を秘めていたなんて。
(俺の力が……世界を支配できる……?)
冗談じゃない。この三年間、役立たずと罵られ、石ころのように扱われてきたこの力が?
だが、脳裏に流れ込んできた情報の奔流は、紛れもない事実だった。俺が『そう』だと認識した瞬間、スキルは待っていたかのようにその真の姿を現したのだ。
「ふ、ふふ……。ほっ、ほっほっほ……! 素晴らしい! 実に素晴らしいぞ、アイン君!」
狂気じみた興奮から我に返ったバルガスさんは、今度は心の底から楽しそうに笑い始めた。その皺くちゃの顔は、最高の玩具を見つけた子供のようだ。
「君は宝じゃ! それも、国一つ買い取ってもお釣りがくるほどの、とんでもない至宝じゃよ!」
「は、はぁ……」
(いや、そんなこと言われても……実感ゼロなんですけど……!)
今までどん底だった自己評価が、ジェットコースターのように急上昇して追いつかない。
「さて! では早速、エルム村へ出発するとしようかのう! 報酬は前払いで銅貨五十枚、約束通りじゃ。だが……もしこの依頼を無事やり遂げたなら、本当の“報酬”を君にやろう」
そう言ってにやりと笑うバルガスさんの目には、俺の人生を根底から覆すほどの野望が渦巻いているように見えた。
王都の門を抜け、街道を外れて獣道を進むこと半日。
バルガスさんは老体にもかかわらず、意外なほど健脚だった。
「この道は馬車が通れんからな。普通の商人は誰も使いたがらん。じゃが、そのおかげで厄介な関所や盗賊も避けられるというわけじゃ」
「なるほど……」
確かに、道は険しく、足場も悪い。普通の荷運びなら、木箱一つ運ぶだけでも悲鳴を上げるだろう。だが、荷物の全てが俺の【収納】スキルの中にある今、俺たちは身軽そのものだった。
順調すぎる、と思っていた矢先だった。
「……バルガスさん、止まってください」
「む?」
俺は足を止め、周囲の茂みに意識を集中させる。
獣臭い。それも、ただの獣じゃない。血と腐肉の匂いが混じった、もっと凶暴な……。
「グルルルル……」
茂みがガサガサと揺れ、緑色の醜悪な巨体が三体、姿を現した。
豚のような顔、筋骨隆々の体躯、そしてその手に握られた粗末な棍棒。
「……オーク、か」
バルガスさんが忌々しげに呟く。
「まずいのう。わしはただの商人。アイン君、君は……」
「戦闘能力は、ゼロです!」
俺は即答した。
(マズいマズいマズい! なんでこんな所にオークが三体もいるんだよ!? 聞いてないぞ!)
『竜の牙』にいた頃、オークなんてゴードンさんが一撃で吹き飛ばすただの雑魚だった。だが、それはあくまでSランクパーティの話。武器も防具もない今の俺にとっては、死を告げる怪物でしかない。
「グォォォォッ!」
一体のオークが、涎を垂らしながら俺たちに向かって突進してくる。
終わった。そう思った。
だが、絶体絶命のその瞬間、俺の頭にスキル情報が閃光のように過った。
`【収納空間:∞】`
`【対象の拡張】: 当初は不可能だった「動いている物体」や「地面のような概念的に繋がったもの」…熟練度に応じて収納対象が拡張されていく。`
(地面……!? まさか……!)
もう、理屈を考えている暇はなかった。
俺は突進してくるオークの足元、その一点に強く意識を集中する。
「――【収納】ッ!!」
叫びと同時。
オークが踏み出そうとした地面が、直径一メートルほど、ごっそりと円形に消え失せた。
「グォッ!?」
勢いよく前進していたオークは、当然、虚空に足を取られる。巨大な体がバランスを崩し、見事なまでに顔面から地面に突っ込んだ。
「なっ……!?」
後ろにいた二体のオークも、バルガスさんも、何が起きたのか理解できずに目を丸くしている。
やった俺自身が、一番驚いていた。
(で、できた! 本当に地面を収納できたぞ!?)
だが、感心している場合じゃない。残りは二体。
どうする? もう一度同じ手を? いや、警戒されている。
攻撃手段は……攻撃……。
(そうだ、収納したものって……出せるよな!?)
俺は咄嗟に、さっき収納した地面の塊や、道端に転がっていた手頃な大きさの石ころを、頭の中でイメージする。そして、残りのオーク二体の、その頭上を狙って――!
「【排出】ッ!!」
次の瞬間、オークたちの頭上に、何もない空間から突如として大量の土塊と石が出現し、重力に従って降り注いだ。
「グギャッ!?」
「ゴベッ!?」
それは、質量を持った暴力の雨だった。
致命傷にはならないだろう。だが、頭上からの予期せぬ奇襲に、オークたちは完全にパニックに陥った。頭を抱えて混乱し、やがて恐怖に駆られたように蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
俺はその場にへたり込む。心臓がバクバクと音を立てていた。
生きた心地がしなかった。
「……ほっほっほ。いやはや、度肝を抜かれたわい」
いつの間にか隣に立っていたバルガスさんが、感心したようにため息をつく。その目は、先ほどとは比べ物にならないほどの熱を帯びて、俺を見ていた。
「ただの荷物持ちではないとは思っておったが……まさか、戦闘にまで応用できるとはな。君は本当に……わしが見込んだ通りの、いや、それ以上の逸材じゃ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
誰かに、こんな風に認められたことなんて、今まで一度もなかったから。
その後、俺たちは何事もなくエルム村に到着した。
しかし、村の様子は、俺が想像していたよりも遥かに酷かった。
家々は壁が崩れ、屋根には穴が空いている。畑は荒れ果て、道行く村人たちは皆、生気のない目でうつむいていた。誰もが痩せこけ、その顔には深い絶望の色が刻まれている。
「……ひどいな」
「うむ……」
バルガスさんも、険しい表情で頷いた。
俺たちが村の中心に着くと、杖をついた老人がおずおずと近づいてきた。村長らしい。
「もしや、バルガス商会様で……? お待ちしておりましたぞ。医薬品を、本当に……」
「ああ、約束の品は、この通り」
俺は村長の目の前で【収納】から木箱を一つ取り出してみせる。村長は腰を抜かさんばかりに驚いていたが、今はそれどころではないようだった。
「ありがたい……これで、病の子どもたちも……」
感謝の言葉を口にしながらも、その表情は晴れない。
「村長殿。単刀直入に聞くが、この村に一体何があったんじゃ? まるで、魂ごと抜き取られてしまったかのようじゃが」
バルガスさんの問いに、村長は悔しそうに唇を噛み、絞り出すように言った。
「……代官様です。この地を治めるゴードン代官が、法外な税を取り立てるようになり……逆らえば、代官様に雇われた冒険者たちが……」
「冒険者?」
「はい……『鉄の爪』と名乗る、ならず者どもでして……。奴らが村の食料も、なけなしの金も、全て奪っていくのです……」
その言葉に、俺は奥歯をギリリと噛みしめた。
理不尽な搾取。力の弱い者から、全てを奪う。
やっていることは、レオンたちと何ら変わりないじゃないか。
その時だった。
村の入り口の方から、やけに威勢のいい、下品な笑い声が聞こえてきた。
「おいおいジジイども! 俺たちが来てやったぞ! 今月の上納品、ちゃんと用意できてんだろうなぁ!?」
見ると、揃いの黒い革鎧を着た、ガラの悪い三人組の男たちが、肩で風を切るようにこちらへ歩いてくる。
その胸には、血のように赤い鉄の爪を模したエンブレムが、不気味に輝いていた。
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