第二章 言いなりの男
アルは資材採取の報酬を受け取るため、拠点本部へ向かっていた。
本部に隣接する工場に近づくにつれ、鼻を突く独特の匂いが漂う。
硫黄を思わせる、決して心地よいとは言えない匂いだ。
だがアルにとって、それは嫌いな匂いではなかった。
むしろ「またこんなに資材を運んできたのか」と称賛されているような…
そんな錯覚を覚える匂いだった。
「異形二体。状態は良くない。外装がところどころ腐食してるな……80チカだ」
スピーカー越しに査定人の声が冷たく響く。
アルたち“資材回収人”は総じて横柄だ。
親切にすれば付け上がり、報酬を釣り上げろと食い下がる。
だからこそ査定人は、今日も相場より低く叩きつけてやろうと思っていた。
しかし返ってきたのは予想外の返答だった。
「わかった。ありがとう。」
「……」
(アルだな。)
査定人はすぐに察した。
資材回収人の中で数少ない、“謙虚な男”。
いや、それは謙虚というより、ただの“言いなり”に近い。
この拠点で最も優秀な回収人であり、実績も群を抜いているからこそ評価されているが——そうでなければ、ただの言いなりにしか見えない。
この崩壊した世界において、謙虚さなど何の得にもならない。
そんな態度を前に、査定人は苛立ちすら覚えた。
「おい、ちょっと待ってろ」
スピーカー脇の扉が開き、査定人が姿を現す。
「やっぱりお前か」
「…」
「いいか、なんでもかんでも『はい、わかりました』って受け入れてりゃ感謝されると思うなよ。言い争うことだって、立派なコミュニケーションになるんだ」
「いいよ別に。感謝とか。報酬が少なければ、また回収に行くだけだ」
その無感情な答えに、査定人は舌打ちをこらえて眉をひそめた。
(こいつ…昔からこんなだったか?)
「……まあいい。80でいいってんなら80だ。お前がそう言ったんだからな」
「ああ。それでいい」
アルは報酬を受け取ると踵を返し立ち去ろうとする。
しかしアルに査定人が声をかけた。
「待てよ。ほら。これやるよ。本部の人間からもらったんだ。」
そこには、手書きの任務通達が貼られていた。
『回収人 募集
対象:西部地域に墜落した無人回収機
期間:即日報酬:2000チカ』
「これは?」
「まだ掲示板に出ていない任務だ。どこの拠点が放ったのかも分からん無人の回収機が、西部に墜落したらしい。……距離もあるし危険すぎるってことで放置されてる。命の保証はできないが——報酬はデカいぞ」
西部地域。異形の活動域と重なる危険地帯。
もし上位個体と遭遇すれば、死は免れない。
アルは足を止めた。
ほんの一瞬だけ。
だが迷いはなかった。
いつものように一人で向かい、たまたま無人機を見つけたことにすればいい。
紙を受け取ると、査定人は無言で強化スーツの修理パーツも分けてくれた。
アルは小さく頷き、それを受け取ると、黙って歩き出す。
(無人機の回収に成功すれば配給が増える。……誰かのためにもなる)
それだけで、十分だった。
◇
夕暮れの空は、さらに黒さを増していた。
その高みに、ぼんやりと黒い月が浮かんでいる。
祈る者など、どこにもいない。
配給を待つ列は、静かに——絶望的に伸びていた。
アルは任務通達の紙を懐に押し込みながら、腹の底に鈍い飢えを覚える。
食料は足りない。燃料も、医薬品も、武器も…すべてが足りていない。
この拠点に生きる者たちは誰もが知っていた。
——生き延びるには、外から奪うしかない。
かつて繁栄した文明の残骸。瓦礫の山に埋もれた金属片、電源ユニット、腐りかけの資源。
動物を狩ることができれば上等だ。
それらは便利な道具や発明となり、強化スーツの機能を支え、効率をわずかに引き上げる。
そうして拾い集めなければ、この拠点は数年も持たない。
無人回収機はこの拠点でもすでに開発されている。
だが異形に破壊され、奪われ、あるいは行方不明になる。
——結局は誰かが、命を懸けて回収に赴くしかなかった。
募集は“任意”とされていた。
だが、それは建前にすぎない。
人員が集まらなければ、配給が削られる。
それでも従わなければ——「誰か」が壁の外へと“追放”される。
それは、死刑宣告と何も変わらなかった。
アルは、考えることをやめた。
“誰か”を救うには、命令に従うしかない。
ただ、それだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます