11.死と言う解放-理佳-
この間……託実くんの家族から、
入院生活を彩る、華やかな食器を貰った。
繊細に描かれた花の模様は
凄く綺麗で、見ているだけで心が華やいだ。
日常においてのほんの少しの変化が
私を刺激して、私の生活に色を添えてくれる。
もうずっと……
こんな刺激はないと思っていたのに。
このところ、病院から出されるご飯は
食器のせいもあって、毎日しっかりと食べられてる。
ご飯が食べられるって言うことは、
生への執着を意味するのだと、昔……左近さんは何度も教えてくれた。
その日も体調が落ち着いていた私は、
宗成先生の朝の診察の後、いつもの様に許可を貰ってお遊戯室でピアノお稽古を始める。
今日は午後から、
久しぶりに冴子先生のお稽古がある日だった。
そしてもう一つ……私が気になってるのは、
裕先生がセッティングしてくれた、私の演奏のお披露目の場。
沢山の人に聞いてほしいとか、
誰かの心に寄り添うたいとか、そんな大層なことは言えない。
ただ……純粋に、裕先生に聴いてほしい。
それが素直な想い。
生まれて初めて、一緒に演奏してくれた人だから。
私の音色に寄り添ってくれた人だから。
裕先生が傍に来てくれると……
心臓が壊れちゃうんじゃないかと思うくらい
ドキドキする。
ドキドキするけど……
今はまだその気持ちの正体がわからない。
ただ私にとって、存在が大きな人だってことだけは確か。
何時もはレクイエムのラクリモーサを永遠と奏で続けるその時間、
私が演奏を続けるのは、トゥーランドット。
裕先生と最初に演奏した思い出の曲。
目を閉じると私の意識の中で鳴りはじめる、
裕先生の演奏に重ねるように、目を閉じてトゥ-ランドットの伴奏を追いかける。
伴奏と言っても、楽譜を呼んで覚えたわけじゃではなく
自分の耳でコピーをして、自己的に拾いだした音色。
その音色を追いかけながら、その日の気分のままに音符を増やしていく。
アレンジ、編曲。
そんな大層なものじゃなくていい。
ただ少し……いつもの音楽に、刺激が加われば……。
ふいにノック音が聞こえて、
姿を見せたのは、かおりさん。
「理佳ちゃん、練習ははかどってる?
今日の理佳ちゃんの演奏の音色は、
凄く優しくて好きよ。
裕くんと一緒に演奏していた、
理佳ちゃん、良い顔してたわ。
理佳ちゃんは裕くんのこと好きなのかしら?」
不意打ちのように言われたその言葉に
『好き』と言う言葉を意識してしまって
照れくささを隠すように、顔を下に向けた。
「あらあら、理佳ちゃんったら」
かおりさんはそんなことを言いながら、
ピアノの周囲に、マイクやノートパソコンを持ち込んで
冴子先生のお稽古を受けやすいように整えてくれた。
「かおりさん……このPC演奏の録音って出来るのかな?」
「ノートパソコンにソフトが入ってたら出来るんじゃないかしら?」
そう言って、かおりさんはPCのアプリを確認する。
「多分、これで出来ると思うわよ」
そう言って立ち上げられたソフトは、
とてもわかりやすい、録音ボタンが赤丸になってる小さな画面。
普通のオーディオと変わらない、再生ボタンや録音ボタンが表示された
それと睨めっこ。
かおりさんが出ていった後、
私は録音ボタンを押して、モモの絵を見て脳内で浮かび上がったメロディを辿るように
ピアノの鍵盤を奏でていく。
PC画面の録音タイムが、4分半に届こうとした時
スピーカーから、久しぶりに冴子先生の声が聞こえた。
「おはよう、理佳ちゃん。
暫く体調が思わしくなかったみたいだけど、今日はどうかしら?」
「今日は大丈夫です。
本当はずっと先生のお稽古したかったのに、宗成先生が許してくれなくて」
「あらあら。
理佳ちゃんがそう言って私のお稽古を待ち遠しいって言ってくれて嬉しいわ。
でも先生の方も、このところ忙しかったの。
昨日までヨーロッパ方面を演奏会でまわってたの」
「私も……行きたかったな」
思わずポロリと零れ出たのは、叶うはずのない欲求。
最初は、羽村冴香に逢えるだけでいいと思ってた。
逢えたら先生になって欲しくなって、
先生になって貰ったら、今度は演奏会に行きたくなってる。
私の欲求は願いが叶った後も尽きることはない。
あの……メイク・ア・ウィッシュによって
夢を叶えられた子供の中で、今も生きているのは私ともう一人の男の子。
その男の子が元弥くん。
でも元弥くんの心臓は、募金を集めている今、予定金額にまだ届かない現状で
補助心臓でその時を待つしか望めなくなった。
確実に1日、1日と目に見えて調子が悪くなっていく元弥くんと
今も……生きている自分を、比べてしまう。
まだ生き続けている自分への罪悪感は、
モモのことだけじゃないんだ。
自分を奮い立たせるために、その当時頑張ったことすら
今は……罪悪感を抱かせてしまう。
「理佳ちゃん。
また先生、日本でのリサイタルもスケジュールにいれるわ。
その時、主治医の先生に許可を貰って
その会場で一緒に演奏しましょう。
理佳ちゃんの入院してる病院に近い、大きなステージを抑えるわ。
先生も、理佳ちゃんに再会できるの楽しみにしてるわよ。
それでは、2台のピアノのソナタ。
無理のない程度に、今日のお稽古始めましょう」
冴子先生はそう言うと、
私のいるこの空間は、
レッスンモードの張りつめた雰囲気へと切り替わっていった。
45分間のレッスンを終えた時には、お昼ご飯前。
迎えに来てくれた、かおりさんに連れられて病室に戻ると
そこには、リハビリから帰ってきたらしい託実くんと、
最初の頃に来てた友達らしき存在が姿を見せていた。
「おぉ、お帰り。
学校のダチが来てくれてるんだ。
騒がしくてごめん」
病室に車椅子で入った途端に、
託実くんがそう言って私を迎え入れた。
一斉に集中する視線。
「なぁ、託実。
何時の間に、そんなに親しくなったんだ?」
そんな風に託実くんを冷やかすように声をかける男性陣の中、
その場にいた唯一の女の子視線は、無言の圧力を感じる。
関わりたくないな。
そう思ったのが本音。
そのまま車椅子からベッドへと移動した。
すると託実くんのベッド周囲に居た唯一の女の子が
私の傍へと近づいてきた。
「こんにちは。
悧羅校の中等部三学年、陸上部マネージャーって言っても
もう大会に負けてしまったから引退なんだけど、堂崎美加【どうざき みか】よ」
そう言って彼女は、握手を求めるように私の前に片手を差し出した。
彼女が出した右手に答えるように、向かい合わせに右手を恐る恐る差し出す。
戸惑いながらあげた、私の右手を彼女の右手が迎えに来るように掴み取ると
そのまま彼女はギュっと力を込めて握りしめ始めた。
握手じゃない……。
そう思ったときには、もう自由にならない私の右手。
「あらっ、ごめんなさい。
力が入りすぎて、あなたの真っ白い手を握り潰すところだったかしら?
悲劇のピアニストさん。
TVに出たからって言って、託実くんに同情を誘ったの?
託実くんは、皆の託実くんなのよ。
私だって、託実くんのこと好き。
だけど……託実くんは、悧羅校の女子生徒皆の託実くんだから。
託実くんも、紫に連なってる存在だから。
貴方、抜け駆けするようなまねはしないで。
これは、貴方の友達になった私からの警告」
美加さんは言いたいことだけを、ひそひそと耳打ちするように伝えて
そのまま握手を解くと、託実くんのベッドの方へと向かった。
あの人が告げた、悲劇のピアニスト。
TVに出たからって、同情を誘ったの?
その二言が意味するのは、私の人生史上で一度しかない。
メイク・ア・ウイッシュの存在。
あの時の出来事を今も覚えてる人が居るんだ。
そう思うと、体の震えが止まらなくなって
同じ空間に存在するのが耐えられなくなって、
逃げ出すように、車椅子に乗り込んで病室を出ていく。
行きたいところなんて思いつかない。
もう一度許されるなら、ラクリモーサを奏でに
思いっきりピアノを演奏したい。
だけど……午後からのミニコンサートに向けて
安静時間に入ってる今、許されるはずもない。
居場所がないまま、辿り着く場所は
元弥くんの病室。
元弥君以外、存在していない病室の中に
車椅子で入ると、モニターの波形と心電図の音に耳を澄ます。
そして点滴に繋がれて細くなった手に、
私の手をゆっくりと重ねる。
「元弥くん……、やっぱり私にとっての友達は
アナタだけだね……」
自分を慰めるように、落ち着かせるように
元弥君に語り掛ける。
同じ痛みを知っている元弥君との時間だけは、
ありのままの素直な自分になることが出来る気がして。
元弥君に寄り添う様に、
状態を元弥君が眠るベッドに前倒しになる。
「理佳ちゃん、また此処に居たのね。
今から昼ご飯。
その後は安静時間でしょ。
ほらっ、理佳ちゃんも自分の病室に戻りなさい。
託実くんに友達が来てて、
病室に居づらかったのかもしれないけど
もう帰って貰ったから」
そう言って迎えに来た左近さんによって
自分の病室へと連れ戻された。
だけどこの時間が、私が元弥君に触れた最期の時間。
この後、昼食・ミニコンサートと
続けていつもの様に就寝した。
あくる日、同じように元弥くんの病室へと
辿り着いた時、
病室前のネームプレートが外されていた。
元弥くんの病室のドアに手をかけて開けた途端、
私はその場で車椅子を動かすことが出来なくなった。
昨日までその場所に元弥君は眠ってた。
だけど今、そこに元弥君は存在しない。
両腕で自分を抱きしめて覚悟を決めながら、
車椅子をゆっくりと前進させる。
元弥君が眠っていたであろう部分に出来た
マットの窪み。
だけどそこには、布団も何もなくて、
沢山あった、元弥君の荷物も綺麗に姿を消していた。
……嘘っ……。
何度も何度も経験した。
死と言う名の退院。
闘い抜いて力尽きた友の旅立ち。
多分、元弥君もそうなんだろうっと
何となく感じ取れた。
泣きたいのに涙すら零れない。
次は私の番かも知れない。
この苦しみから解放してくれるのは、
優しい死の時間?
死はとても怖いけど?
死は終着点で……
優しい時間になるのかもしれない。
今まで苦しみ続けてきた
この場所で出会った、
友たちとは、
そうやって……別れて来た。
『ミキちゃんは退院したのよ』
『コウ君は昨日、退院したのよ』
何度も何度も、聞いて来た言葉の
本当の意味を知った時、
ショックと同時に安堵したのも私なんだ……。
もう苦しまなくていいんだね。
ミキちゃんのお母さんが、
そうやって言ったから……。
この苦しみは、闘ってる私だから
強く伝わってくる。
『死』が本当の意味でその苦しみから解放してくれるなら、
その旅立ちに心から見送ってあげたい。
そう思う私、
そう言い聞かせる私。
だけど……どれだけ、
自分を納得させようとしても
『死』と言うやがて来る瞬間を
どうやって自分で受け止めていいのかなんて
答え何て見つからない。
答え何て今も見つからないけど、
確かに今、言えることは……
ずっと戦友だった仲間が、
また一人、
解放と言う形で退院してしまったと言うこと。
元弥君の眠っていたマットにそっと手を伸ばして、
何度も何度も、彼が眠っていたその場所を
ゆっくりと撫でていく。
元弥君、今頃……全てから解き放たれて、
夢を叶えていますか?
空を飛ぶ、飛行機の操縦士になりたいって
夢を語ってくれた元弥君。
飛行機よりも早く、
大好きな空を飛んでますか?
理佳もね……多分、もうすぐ……
その時が来るんだと思う。
怖いけど……、
その時が来たら、どう思うんだろう。
ずっと我慢してた、海に真っ先に出掛けて
砂浜を駆け巡れるのかな?
運動場を全速力で、
何周も何周も走り回るのかな?
だけどね……だけど元弥君。
なんで、残された私は
こんなにも苦しくて
辛い思いしなきゃいけないのかな?
もっともっと、
元弥君と話をしたかったよ。
外国に行って、移植手術をして
元気になった元弥君と、会いたかったよ。
いろんな思いが次から次へと溢れ出してきて、
自分の胸を苦しくさせる。
涙へが次から次に溢れだして、
止まらなくて……それはやがて息苦しさにと変化していく。
息苦しさに胸を掻き毟りたくなりながら、
必死に息を吸おうとしていくのに、
焦れば焦るほど、上手く出来なくて
そのまま力が抜けていく。
視界が真っ暗に寸断されていく。
「理佳ちゃん?」
遠くで、
元弥君のお母さんらしい声が聞こえる。
そして……、
その声もやがて途絶えた。
*
目が覚めた時には、
心電図に、酸素マスク。
腕からは点滴。
重怠い体を起こして、
視線を移動させた先は
倒れた時に何度か運ばれたことがある
ナースステーションと隣接している部屋。
「理佳ちゃん。
大丈夫?
今、理佳ちゃんの
ご両親と宗成先生呼んでくるわね」
そうやって声をかけるのは、
左近さんとかおりさんが不在の時に、
私のことを見てくれる、西野さん。
西野さんが出て行った後、
宗成先生と姿を見せた両親は、
不安そうにじっと私を憐れむように見てた。
「理佳ちゃん、ちょっとごめんね。
冷たいよ」
そう言いながら、
聴診器をあてる宗成先生。
だけどその聴診器もちゃんと冷たくないように、
宗成先生の掌であたためられてあてられるを知ってる。
「落ち着いたかな……。
お父さん、お母さん、
心配かけましたね。
理佳ちゃん、暫く観察は必要ですが
ずっと一緒に闘ってきたお友達が亡くなったのに
ショックを受けてしまったみたいですね」
そうやって、
宗成先生は両親に説明してた。
先生の口から出て来た言葉に、
私は元弥君の死を実感した。
だけど……涙は出ない。
元弥君は今……ずっと苦しかった病気から
痛みから、死と言う形で解放されて
元気に過ごしているんだから。
その旅立ちを悲しんじゃいけない。
元弥君は、
この場所を卒業していったんだから。
そうやって必死に言い聞かす、捩じれた思い。
歪んだ感情。
だけど……そうやって、
何処かに幸せを拠り所に見つけ出さなきゃ
前に進めないから。
再びの眠りから目覚めた時には、
もう両親は帰った後みたいで病院には居なかった。
「理佳ちゃん、どうかした?
起きちゃった?」
夜勤担当が、左近さんだったのか
仕事中の手を止めて
隣の私が眠る場所へと近づいてくる。
「うん……」
「今は苦しくない?」
「はい……」
「あっ、これね。
元弥君からの手紙。
お母さんから理佳ちゃんに渡してくださいって
私たちが預かったの」
そうやって、手渡された1枚の封筒。
封筒の表には、
理佳へっと綴られてあった。
「後は、こっちは宗成先生からの伝言。
理佳ちゃんが、帰りたいって思うなら
起き次第、自分の病室に移動させていいよって。
今日は心電図とかを外すことは出来ないけどね」
そうやって告げられた言葉に、
私は「帰りたい」と小さく告げた。
この場所はカーテンだけで覆われてる
開かれたガラスの中の世界だから。
ちゃんとした病室で落ち着いて過ごしたい。
それに……私の中の、
何時もの時間を取り戻したいから。
「じゃあ、お引越し」
左近さんは、車椅子を持ってきて
ゆっくりと私を、ベッドから移動させると
車椅子を押しながら病室へと連れて行った。
病室のベッドテーブルには、
見慣れない紙袋。
左近さんはそれを一度、退けると私を
車椅子からベッドへと移動させて、
ゆっくりとテーブルを私の方へと戻した。
「ねぇ、これ?
何か知ってる?」
託実君が眠っているから、
内緒話のトーンでひそひそと、
左近さんに話しかける。
「何だろうね。
朝になったら、
紙袋を開けて確かめてみたらいいんじゃない?
さっ、理佳ちゃん。
もう少し休みなさい」
そう促されると、
私はもう一度、ベッドに体を倒した。
何時かは訪れる『死』。
その『死』の瞬間を、
どういう風に言葉にすればいいのかなんて、
考えてもわからない。
だけど……その時が来た時、
私にとっての『死』が本当の意味での解放だったら……、
解き放ってくれる存在だったら
それは優しい時間になるのかしも知れない。
そんな風に、
思いながら……願いながら、
この場所で、
沢山の命の灯と向き合い続ける。
だけど……
まだ私は生きてる。
その瞬間は
近づいているかもしれないけど、
だけど今は、生きているから……
だからそんな時間に、
今は必死にしがみついていたい。
こんな私にも、
遺せるものを探しながら。
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