10.手術を越えて-託実-


八月。


松川先生に最終警告を受けた俺は、

親父たちの前で、治療に同意した。


ズルズルと俺自身の弱さで、

なんだかんだと理由を付けて、治療を拒んできたけれど

これ以上は、先延ばしに出来ない空気を感じだ。



親父や母さんを困らせるだけ……

そんな軽い気持ちだった、

俺の時間はその瞬間音を立てて崩れた。




全ては俺の不注意。

俺の軽はずみな行動。



その責任を取る時が来た……、

そんな風に自分に言い聞かせた。





「何見てるの?


 それに……私、知ってるんだから。


 入院したその日から、

 君は一切治療してない。


 拒絶して、迷惑かけて。

 それでも……ちやほやされて。


 甘えないで!!


 託実くん、君は幸せじゃない?


 やりたいことを少しでも経験して

 楽しい時間を過ごしてる。


 手術したら治るんでしょ?


 だったら早く治して、

 ここから早く出て行きなさいよ。


 私に平穏な時間を返してよ。


 

 私は……どれだけ治療を続けても、

 手術を頑張っても、

 自由に慣れない、一時的に症状を緩和させるだけ。


 どれだけ頑張っても、自由に慣れないの。


 だけど君は違うでしょ」




治療を決めて病室に戻ってきた後、

俺の顔を見るや、怒鳴り始めたアイツ。



ウザい、煩い、俺の事情も知らないで。



そんなイライラを募らせながら、

売り言葉と買い言葉。


反撃の言葉を思いめぐらせていた時、

目の前のアイツは、呼吸が荒くなって真っ青になって

その場に倒れた。





一瞬の出来事で俺自身、

アイツの身に何が起きたかなんてわからなかった。





俺の文句を好き放題言ってただけだろ。

俺に……ぐっさりとナイフを突き刺しただけだろ。

言葉と言う武器で……。




なのになんで、文句言ってたお前が倒れるんだよ。



動けぬまま、じっと見つめ続けるしかなかったその瞬間も、

慌てて駆け込んできた看護師や、親父たちはベッドを囲むカーテンをひいて

懸命に治療をしてた。



『託実、心配かけたな。

 理佳ちゃん、今眠らせたから落ち着くだろう。


 何があった?』




親父に問われた言葉に対して、

『いちゃもんつけられた』の一言しか答えなかったけど、

その後も親父には、アイツが怒鳴った言葉を詳しく聴かせてほしいと言われて、

俺は親父と、久しぶりにゆっくりした時間を作った。




その時……医者ではなく、父親としての立場で親父が

教えてくれたのは、アイツの世界は小学生の低学年から、

この病室しかなかったと言うこと。



この狭い病院の中で、

ここに集まる人たちと沢山の出逢いと別れを経験してきたということ。


そして心臓の病気と向き合って、

今までもこれからも、ずっと頑張り続けているということ。




詳しい病名とか、そんなものは全く教えて貰えなかったけど

アイツの世界が、この病院の中しかないと言うことに俺は絶句した。




俺には……学校があって、友達がいて、

自由に走り回って、風を感じながら声援を受け止めつづけた時間があった。



それが俺自身のプレッシャーになって、

俺にはこんな結果になってしまったけど、

アイツはそんなスタートラインすら知らないのだと思った。




『可哀想』脳裏に浮かんだのは、そんな単語。





「託実、お前今、理佳ちゃんのことを可哀想だって思っただろ」




そう言って問われた途端、思わず親父の顔をガン見する。



「だけど……理佳ちゃんは、そんなこと思ってないんだぞ。

 だから……可哀想とか、勝手に思い込むのだけはやめてやれ。


 お父さんが理佳ちゃんの主治医になった時には、

 もう理佳ちゃんは病名と余命を告知された後だった。


 だけど彼女は、今も必死に生きてる。

 沢山の制限の中で。


 でもな、お父さんの目には時折、何も映してないように見えるんだ。


 だから……託実の入院が決まった時、

 ベッドの万床を理由に理佳ちゃんと同室にさせた。


 最上階を取るのではなく」



親父が口にした最上階は、一族専用のVIP ROOMとなる病室。



「ってことは、親父の希望としては俺は

 アイツにとっての刺激剤って言うか、アイツの知らないことを

 沢山教えてやるそんなポジションでいろってことかよ」


「おいおいっ、託実は何様だ?

 上から目線だな、理佳ちゃんの方が年上だぞ?」


「年上って言ったって、アイツの精神年齢は俺よりガキだろ。

 まぁ、退院するまでは俺が気にしてやるよ。


 その為には、とりあえずリハビリと手術だよな。


 それを無事にやり遂げないと、アイツに大口叩けねぇもんな」




そんな会話を親父としながら、

俺は休み、翌日から本格的なリハビリを始めた。





ベッドから車椅子で移動して連れられた場所は、

リハビリ専用のトレーニング室。



その場所で、まずは歩行訓練から始める。


車椅子から立ち上がって、ゆっくりと短い距離を歩く。


ただそれだけの出来事なのに、感じる違和感。

動かしづらい関節。



普段ならなんてことない歩行と言う行動だけでも、

余計な力が入っているのか、汗が滲みだす。




その後は、マットの上に寝転んで、理学療法士の人に介助して貰いながらの

筋力トレーニングを一時間。


この時間が、俺的にはかなり拷問。



その後も、平行棒を使った負荷訓練。

自動屈伸マシーンを使った負荷訓練。





リハビリ初日、ようやくの訓練を終えて病室に戻った時には、

向かい側のベッドは空っぽだった。



「お疲れ様、託実くん。

 初日はどうだった?」


「リハビリ……下手な拷問よりきつくない?

 俺、陸上部の合宿の鬼メニューが可愛く思えた」


「あらあら、それでも前向きに頑張ってるんだもの。

 入院当初に比べて、良い顔してきたわね。

 一晩で変われるものね。

 後は、順調に術前リハビリも終わったらいいわね」


「手術の後も、こんなリハビリが続くって思ったら内心、恐怖もんだけど。

 それより、向かいのアイツは?」



担当看護師になった、左近に向かって話しかける。




「あぁ、向かい側のアイツって託実くん、理佳ちゃんって名前で呼んであげたら?


 気になるなら、車椅子で行ってみる?

 この時間、理佳ちゃんは一階のエントランスでピアノのミニコンサートをしてるのよ」




そう言って左近さんは仕事へと戻っていった。




ピアノコンサート?


アイツが?



聴かせられんのかよ?




そんなことを思いながら、俺はベッドに潜り込むと

何時の間にか睡魔に襲われていた。




次に目が覚めたのは病院の晩御飯前。


寝る前まで誰も居なかった向かい側のベッドには、

アイツが帰って来て、眠ってた。



思わず俺のベッドの上に座って耳を澄ましながら、

アイツが呼吸してるか確認してみる。




昨日、アイツの倒れ方を見てから

正直、アイツがいきなり、ぶっ倒れてポックリいってたなんて

洒落にならねぇ気がしたから。




「理佳ちゃん、晩御飯の時間よ」



そう言いながら俺の担当看護師の左近が、

アイツのベッドに、晩御飯のトレーを持って近づく。




思わず身を乗り出して確認する

アイツのメニュー。



白飯、きゅうりのなんか、肉じゃが、豆の煮もの。

そして、コップの中には水が、三分の一。





思わずそのコップの中身に驚きを隠せない。




アイツ、水分も制限されてるのか?

だから……あの日、ダチがアイツのすすめたジュースを

あんな言い方で断ったのか?




『そんなものいらない』




アイツが閉ざすように言い放った、その言葉には

闘病の為に、親父に言われた決まりごとがあったからなのか?



だったら……ダチがやった、

その行為はアイツを傷つけたのか?



そんな考え事をしてる間に、

左近は、俺の食事は母さんが持ってくると言い残して

病室を出ていった。


そのタイミングを見計らって、

今しかないかと、俺は片足で床に立ち上がるとケンケンで飛びながら

アイツのベッドへと向かって、ヒョイっとアイツの晩御飯に指を伸ばした。


つまんだのは、肉じゃがの中に入ってる、ジャガイモ一切れ。

そんな俺の行動はアイツは、びっくりしたのかボーっと見つめる。



「ってか、これ味が薄すぎねぇ?


 でもいいやっ。

 育ちざかりは、腹減るんだよ。


 怪我さえしてなきゃ、今頃、隆雪たちとバーガーショップで

 胃袋満たされてんだけどな」



一口だけでは会話が続かなくて、

この場所に居座るために、俺は次から次へとアイツの晩御飯をつまみ始めた。




「託実、遅くなって……って、何してるの。

 もう、理佳ちゃんのご飯奪っちゃ駄目でしょ」


ふいに背後から母さんの声が聞こえて、

俺の頭上に、拳骨が降り注ぐ。



「いてぇー。

 ったく、母さんが持ってくるの遅いからだろ」


「悪かったわね。

 託実、早く自分のベッドに戻りなさい。


 理佳ちゃん、ごめんなさいね。


 あのバカが食べちゃってたなら、

 もう一つ作って貰おうか?」


「あっ、別にいいです。

 私、いつも全部食べられないから」




そんな風に言いながら、

ほんの少しだけ義務的に、お箸を動かして

アイツは食事をやめた。




って、お前……殆ど、食ってねぇじゃん。



母さんに連れ戻されるように、

自分のベッドに戻りながら、

俺は、姫龍伯母さんの作ってくれた食器に装われた

今日の晩御飯に箸をつける。



味付けが……全然違う。


アイツの奴より、

俺の方がまだしっかりついてる気がする。


そんなことを思いながら、

アイツから視線が離せない。



最後にアイツは、コップを手に取って何回か口元に運んだ。



慌てて口の中のものを飲み込んで

「お前、もう食べないの?」って話しかけてみる。




その時、ノック音と同時に

姫龍伯母さん、裕真兄さん、一綺兄さんが姿を見せる。


その後ろから、一綺兄さんの父さんである、紫(ゆかり)伯父さんが

続かないことに、少し胸を撫で下ろす。



俺が通ってる学校に最初の伝説を築いた、その紫伯父さんの姿を見るのは

今は正直キツイ。



「あらっ、姉さん」



母さんは、ベッドサイドの椅子から立ち上がって

姫龍伯母さんを迎え入れる。



一綺兄さんの母上である、この目の前の綾音姫龍(あやね きりゅう)は

世界的有名なデザイナーであり、趣味で俺に作ってくれたみたいに焼き物をして食器を作ったり、

後は最近では、デザインだけで飽き足らず、

着物の方は絵付けの職人まがいのことも勉強し始めてる。


そして何よりも俺的に凄いのは、神前悧羅学院において絶対の存在である紫伯父さんを

掌で転がしてるような印象があるってところ。




「託実、食器を変えたら食欲が出るようになったか?」



ふいに、伯母さんが俺に問いかける。



「まぁね。

 有難う、姫龍伯母さん」



当たり障りのない言葉を返事しながら、

あと一つ、アイツの分作ってよって頼んでみるか悩んでた。



可愛い甥っ子の頼みだ、頼んだらNOとは言われないのは想像がつく。

それでも、依頼できないのはアイツが居る前で頼みたくないって言う俺の変なプライド。




「姉さん、頼んでたものもう一つ出来たかしら?」


「出来たわ。

 だから託実の様子を見がてら、見舞いに来たのよ薫子」




グルグルと思考を張り巡らせている間に、

母さんと伯母さんは会話続ける。


もしかして、その会話の流れ、出来てるのか?


俺が頼まなくても……。



母さんが頼んだのか?

それとも、裕兄さん?裕真兄さん?親父……?




その後も、伯母さんの手から紙袋を受け取った母さんは、

アイツの方へと歩いていく。



「はいっ、今日は託実の母親として、

 お近づきのしるしに、私からのプレゼントよ。


 目の前に居る姉が作った食器なんだけど、

 いつも食事、全部食べきれてないみたいだから

 少し気分を変えたらどうかしら?」



母さんがアイツに話しかけてる間に、

伯母さんも、アイツのベッドの方へと歩いていった。



アイツの方に、兄さんたちの視線も集中する。



アイツは戸惑ったように固まって、

リボンに手をかけたままフリーズ状態。



「理佳さんと言ったか?

 私が作ったものだから大層なものじゃないわ。


 気負わずに使って貰えると、作ったかいがあるかしら?」



おいおいっ、伯母さんよ。



世界のKiryuが作ったもんだぞ。


アイツが伯母さんのこと知ってたら、

それどころじゃないぞ。


突っ込みどころ満載な会話だな。



「理佳ちゃん、姫龍さまも仰ってる。

 気負わずに開けてごらん。


 その新しい食器を使ってあと少しだけ、ご飯を頑張ろう。


 その後、兄さんからの贈り物を病室にセットしてあげるよ。

 ただし、使うときは宗成伯父さんの指示に従うんだよ」




その時、裕真兄さんが最後の一押し宜しく

アイツのベッドに向かって声をかける。




げっ、ある意味……アイツのベッド、拷問じゃん。

殆ど面識が乏しい奴に囲まれるアイツ。



「さっ、理佳ちゃん。

 開けてみて」




とどめの様に母さんにもう一度促されて、

アイツはリボンを解いて包み紙を取ると

見慣れた桐箱が姿を見せる。


そしてゆっくりと震える手で開け放った中からは、

俺の食器とはまた違った、可愛らしいけど繊細そうなアイツらしい

絵付けがされた食器が出てきた。



多分……伯母さんのことだ。

そこには、アイツの名前が刻まれてるだろう。

俺の食器に、Takumiと名前が入っているように。



「気にいったか?」



伯母さんが今度は、食器に魅入ってるアイツに声をかけた。



アイツは今も、食器を手にしたまま

固まってる。



これ以上、俺の出番を横取りされるのも癪に障るから

思い切って声をかける。



「ほらっ、姫龍伯母さんからいい食器貰ったんだろ。


 壊れたらまた作って貰ったら良いんだから

 とっとと使え。


 使って、その残りの晩御飯、食べろよな」



その言葉の後、

アイツは何も言わずに俺の方をじーっと見つめる。


俺は意識をそらすように、俺の食器から残りの晩御飯を食べ始めると、

母さんがアイツの新しい食器に、病院食の残りを盛り付け始めた。


「ほらっ、出来た。


 どう?

 姉さんの食器のマジックは素敵でしょう?


 いつもと同じ病院の食事でも、

 こうやって装い方を変えたら、高級料理に見えない?」



母さんがそう言ったタイミングで、

俺も言葉を続ける。



「ほらっ、さっさと食べろよ。

 

 食器が変わったら、

 病院のご飯もそれなりに見えるだろ」





その後、アイツは少しずつもう一度

箸を持って、食事に手を付け始めた。



アイツの隣、最後まで残っているのは

裕真兄さん。



アイツの完食を見届けて、

母さんが食器を下げた後、

兄さんはおもむろに鞄をベッドのテーブルへと置いた。



鞄の中から、チラリと見えたのは

ノートパソコン。




ノーパソ?

なんでアイツに?




気になる俺は目が離せないまま、

アイツと兄さんの方に意識が取られる。



裕真兄さんにアイツが何かをと渡すと、

それを確認して、兄さんがノーパソを触る。




何を見てるのか、さっぱりだが

辛うじて、俺の聴覚に届いたのは『裕先生』と言う言葉。




裕兄さん?

兄さんがアイツに何かやったのか?




兄さんは、アイツが好きなのか?

それとも……アイツが兄さんを好きなのか?




複雑な心境のままで、アイツを見つめる俺。



ただアイツを見てるだけなのに、

何処が、胸が締め付けられるように痛くなった。





兄さんたちが帰った後、二人きりになった病室。


シーンと静まり返った部屋に、

掛布団に丸まりながら、声を殺して泣くアイツを感じた。






翌朝、アイツはいつもの様に目を覚まして、

伯母さんの食器を使って、朝ご飯を食べ始める。




伯母さんの食器を使ってくれてる。

それを確認できただけで、なんか心の中が軽くなった。



いつもの様に朝食を済ませると、

ダチに携帯から

『手術に向けて準備があるから、次に連絡するまで暫く来ないでくれ』っとメールを送信。



実際に嘘じゃないし、

アイツと一緒に過ごす時間を邪魔されたくなかったって言う想いもあって。



今以上にアイツを知ってみたい。


そんな気持ちだけが、俺を突き動かしていた。




術前リハビリをしながら術前検査の日々。

お盆前、俺の膝の手術の日が決まった。




前日の夜、俺は手術に備えての準備が始まる。

20時頃から浣腸されて、そのまま絶食モード。


腹は減ってるんだけど、食べれない。

ふて寝しようにも、明日の手術が気になって眠れない。



眠れないまま、時間だけが無駄に過ぎていく。



長い夜が明けて、朝陽が昇り始めると

ゆっくりと病院内は慌ただしくなり始める。




8時前。


俺は母さんに手渡された、

手術のための黒っぽいパンツに着替えさせられる。



無駄に緊張感だけが走りやがる。



そのまま松川先生が姿を見せて、

俺の手術をする足に印をつけて、手首にはめられたバーコードタグにも『右』と記載される。



準備だけが過ぎて8時。

母さんに促されて、車椅子へと移動する。



何時の間にか集まってた、一綺兄さん・裕真兄さん・親父に伯母さんたち。



「託実、松川先生に許可貰ったから今日見学させて貰うから。

 オペ室で」



裕真兄さんはそう言うと、先に何処かへと移動を始める。



「託実くん……手術頑張って」



俺たちもゾロゾロと移動を始めた時、

背後から、アイツの声が聞こえた。



「まぁな、余裕だ」



なんて虚勢を張りつつ、それを自己暗示に何度も

心の中で唱え続ける。




車椅子はゆっくりと母さんに押されて、オペ室の方へ。




一綺兄さんたちは、家族用の控室に案内されて

俺はオペ室からの迎えによって奥の部屋へと連れていかれた。




20室くらいありそうなオペ室の前には、

それぞれに朝一から手術をうける奴らっぽい人間が待機して

それぞれの入室手続き。


俺も手首のバーコードをスキャンされて、ゆっくりと中に通された。



想像していたより高い手術台。

無影灯他、いろんな機械が周囲に完備されている。


手術台に自分から上がって横になると、その後は部分麻酔やら何やら。



その度に、オペ室に居る医者が説明してくれるものの

痛いものは痛い。


けど逃げだすわけも行かず、何とかたえてる間に

少しずつ感覚が麻痺しているのか、不思議な感覚。



感覚があるように思うのに、触られても殆どわからない。


そのまま説明されるように何かを順番に付けられてる間に

俺の意識は眠りについてしまった。



気が付いた時には、お昼をまわった後。

体の方は、管だらけ。


下半身の感覚は今も不思議なまま、

午後からの回診で、松川先生によって手術が成功したことと

晩御飯から出るよっとあり難い情報を手に入れた。





手術から二日後。


俺は今度は退院に向けての、

本格的なリハビリが始まる。





リハビリのメニューは、術前メニューにプラスして

幾つかのセットが組まれてた。





思い通りに動かせない足は苦痛だったけど、

一週間を過ぎたころから、

病院内を松葉づえを一切なしで歩行するように松川先生から告げられる。




自力歩行が許可された頃から、

少しずつ俺は、アイツの後を追いかける。




午後のミニ・リサイタル。



コンビニの買い物を装って、わざわざ買いたくもないお菓子を手に

買い物のついでを装って、アイツの演奏するピアノの前で立ち止まる。




「あれっ、託実。

 そろそろ、顔出してもいいかなって思って、グランにきいて来てみたんだけど」



そう言って俺に話しかけてきたのは隆雪。




「まぁな、管もとれたし手術から一週間。

 今日から松葉杖なしで院内は歩けだってさ」


「それはそれは、スパルタだね。

 それより託実にしては珍しくない?」


「珍しいとか、何でもねぇよ。

 ほらっ、ついでだ。ついで」



わざとらしく、さっき買ってきたコンビニの袋を隆雪にも見せつける。




「そっか。ついでか……。

 俺はさ、時折ここのミニリサイタル来てるんだ。


 託実の病室の理佳さんってさ、

 なんて言うか……いい演奏するんだよ。


 俺が最初に出逢ったのは、TVの番組だったんだけどな。


 難病の子供たちの心を救おうって言うプロジェクトがあってさ、

 メイク・ア・ウィシュって言う番組が昔あったんだ。


 そこに理佳ちゃん出てた。


 理佳ちゃんさ、心臓の病気で、助かるには心臓移植しかなくて

 その当時は、外国に行って手術を待つにも沢山のお金がかかるし、

 日本での移植なんて望めなかったから、病院の先生に18歳まで生きられないって

 宣言されたって。


 全てに絶望してた彼女の心を救ったのは、憧れのピアニスト。

 羽村冴香だったかな、その人のピアノの音色だったんだってさ。


 それでもう一度、私に生きる希望をくれた羽村冴香に会いたいって、叶うならお稽古つけてほしいって

 協会に手紙を書いてきたのがきっかけなんだ。


 その番組の中でも、彼女、羽村さんと演奏してた。

 その演奏が凄く印象的で、また聴いてみたいなって思ってたんだ。


 そしたら……熱出して、此処に来た時に

 彼女の演奏と再会した。


 あれから……時折、此処にこのピアノを聴きに来てたんだ」





隆雪が知ってたアイツの情報に驚愕する。



それと同時に、アイツが出ていたらしい

そのTV番組を見てみたいと思った。





アイツに内緒で、

俺の知らないアイツの情報を集めていく。



歩けるようになった俺は、

益々、アイツを強く意識せずにはいられなくなった。





ストーカーじゃないぞ。


アイツが気になってるから、

年上なのに、年下みたいで危なっかしいから。


親父の患者だから。




何でもいいから、適当に理由を決めては自分に言い聞かせながら

アイツが動くと俺も、こっそりと動いてみる。




その中で初めて知ったアイツのテリトリー。




車椅子に座って、一人で車輪を回しながら

アイツが訪れるのは、榎木元弥(えのき もとや)と書かれた病室。




そこに入った後、アイツは暫く出てこない。




どんな奴がいるのか、気になって

アイツと、この中の病室に居る奴の家族らしき存在が出たタイミングで

入れ替わりに病室を訪ねる





そこで俺の耳に届くのは規則的に動いている、

人工呼吸器の機械音。



そして機械に繋がれて眠りっぱなしのガキが一人。



そいつは、ベッドの上起き上がるでもなく、

俺を見るでもなく、話しかけるでもなく、ただその場所に存在し続けるだけ。





こんな中に、アイツはあんなにも長い時間いるのか?





生と言う感覚が、無機質に響くだけの空間。



そんな場所に耐えられずに、

俺は逃げ出すように、ソイツの病室を後にした。




そのまま時間は過ぎて、8月も下旬に差し掛かった頃、

アイツにとって最悪の日が訪れようとしてたなんて

その時の俺には何もわからなかった。



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