第2話 理屈の暴力

整えられた部屋、乱される理性


──理屈の刃は、時に無邪気なまま人の理性を切り裂く。

特に、それが悪気ゼロのものだった場合は。


* * *


「少し、荷物を整理させてください」

アリサがそう言ってキャリーケースを床に置いた。


広めのワンルーム。

壁際にセミダブルベッド、奥にはユニットバス。

その手前の小さな更衣室には、洗面台と洗濯機が並んでいる。

夜風がベランダのカーテンを揺らし、街灯の光が静かに室内を照らしていた。


「好きにしてくれ。俺は先にシャワー浴びてくる」

「はい」


直哉が浴室へ向かう。

湯気が立ち、しばらくして水音が響いた。


アリサはキャリーケースを開け、衣服を整然と並べていく。

Tシャツ、スカート、下着。

その手つきは正確で、まるで整列作業のようだった。


──余計な感情の入る余地が、どこにもない。



「悪い、待たせ──」

シャワーを終えた直哉が、髪を拭きながら出てくる。

その視線の先、床には整然と並んだ衣類。

淡いレースの下着まで、きっちり折り畳まれて並んでいた。


「お前……なんで下着まで出してんだ?」

「湿気を逃がしています」

「通気!?」

「はい。乾燥した方が衛生的です」

「……理屈は分かるけどよ……」

「合理的です」

「……論破すんな!」


頭をかきながら、直哉は小さくため息をつく。

「……とにかく、俺あとで片付け手伝うから、先に風呂入ってこい」

「わかりました」


アリサは静かに頷き、

替えの服とタオル──を持たずに更衣室へ入っていった。



直哉は台所で冷しゃぶを盛り付けながら、ふと気づく。

棚の上に、バスタオルが一枚。


「……あっ、渡してねぇ……」


皿を置き、タオルを手に取る。

更衣室の前まで歩き、声をかけた。


「おーい、アリサ! バスタオル忘れてるぞ!」

中から、衣擦れの音。

返事はない。


「入る前だろ? ドア前に置いとくぞ」

そう言いながら、床に置こうとしたその瞬間──


ガラッ。


ドアが開いた。


下着姿のアリサが、

何の躊躇もなく、タオルを受け取ろうとして立っていた。


「ありがとうございます」

「うわっ──な、なんで開けるんだよっ!?」

「声が聞こえましたので」

「聞こえたら待て! 閉めろ!」

「でも、タオルを受け取らないと」

「置いとくって言っただろ!」

「床は清潔ではありません」

「……っ、ぐぬぬ!」


アリサは平然とバスタオルを受け取り、

そのまま丁寧に頭を下げた。


「助かりました」

「助けてねぇよ!」

「確認ですが、問題がありましたか?」

「ありまくりだわ!!」


彼女はわずかに首を傾げ、

「では、次回は“渡し方”を検討します」

「検討すんな! 閉めろ!」

「閉めました」


カラリと扉が閉まり、

直哉はその場に崩れ落ちた。


「……ほんと、悪気ゼロでこの威力……」



数分後、白いシャツに短パン姿のアリサが出てきた。

髪をタオルで押さえながら、静かに言う。


「夕食の匂いがします」

「お、おう……もうできてる」


ちゃぶ台の前に座り、

手を合わせて小さく呟く。


「いただきます」

その声には、ほんのわずかな“安心”が混ざっていた。


──悪気のない無防備さは、

 彼女にとって“普通”で、

 彼にとっては“試練”だった。


──理屈の刃は、今日も誰かの理性を削っている。


——————————————


近況ノートには挿し絵も載せています。

アリサの静かな整理の時間を、一枚に切り取りました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る