アリサと共同生活、のはずだったんだが
Isuka(交嘴)
第1話 引き取った少女
──勢いで受けた話だが、とんでもないことになったもんだ。
まさか、こんな美人と暮らすことになるとはな。
けど、綺麗な花には棘があるって言葉、あれ本当だ。
触れるほどに痛い。いや、たぶん、それが魅力なんだろう。
* * *
「佐藤の娘さんが困ってるらしい」
そんな連絡を受けたのは、八月の初めだった。
昼下がり、仕事の合間にスマホを覗いた瞬間、
昔世話になった恩人の名前が目に飛び込んできた。
佐藤――俺がまだ新人で右も左も分からなかった頃、
何度も尻拭いをしてくれた人だ。
その人の娘が、今“身寄りを失っている”という。
神戸の外れ、坂を登った先の古い日本家屋。
蝉の声と湿った風がまとわりつく夏の日。
迎えてくれたのは“親戚”と名乗る数人の男女だった。
彼らは口々に事情を語る。
曰く、その子の母親は六月に国外へ渡ったきり行方不明。
旦那に会いに行くと言い残して。
七月には連絡が絶え、ニュースで戦闘地域と知れてからは、
もう“帰らないもの”として扱われていた。
アリサは日本と国外の二重国籍。
疎開で母親と来日していたため、難民ではない。
だが、帰る家も保護者もいない。
マンスリーマンションに住んでいたらしいが、追い出されたという。
その境遇を前に、親族たちは互いの顔を見合っていた。
「成人してるんだろ? もう自分でどうにかできるさ」
「国の援助もあるだろうしね」
「下手に預かって事件でも起きたら責任問題よ」
涼しい顔で言い訳を並べる声が、
俺の神経をひとつひとつ逆撫でしていく。
畳の縁に視線を落としたその子は、
大きなキャリーケースを足元に置いたまま、
まるでそこに居場所を作るように座っていた。
細い腕。
長い髪。
色素の薄い肌に、黒目が強く光っている。
泣いていないのに、泣いているように見えた。
誰かが言った。
「こんだけの器量良しなら、誰かの妾でいいだろ」
時間が止まった。
笑い混じりの軽口だったのかもしれない。
けど、俺の中で何かが弾けた。
ふざけんな。
あの人が命懸けで守った娘を、“妾”だと?
気づけば、口が勝手に動いていた。
「俺が引き取る。異論は認めん」
空気が凍りつく。
親族たちは顔を見合わせ、苦笑した。
「冗談だろ?」「血も繋がってないのに?」
「変な噂が立つぞ」
知らん。
どう思われようが構わない。
「本人が嫌だって言えばやめる。それだけだ」
アリサが顔を上げた。
視線が合う。
無表情。けれど、その奥に一瞬だけ“理解”があった。
「名前なんていうんだ」
「アリシア。母さんからはアリサって呼ばれてた」
「行くぞ、アリサ」
彼女は数秒だけ黙り込み、
やがてキャリーケースの取っ手を握りしめた。
「……はい」
その小さな声で、すべてが決まった。
家を出た瞬間、蝉の声がやけにうるさく聞こえた。
アスファルトの照り返しが目に刺さる。
肩越しに振り返れば、あの家の中で誰かが笑っていた。
「……あとは野となれ山となれ、か」
そう呟いて、坂道を下った。
駅へ向かう途中、アリサがぽつりと尋ねた。
「あなたは、母を知っているのですか?」
「少しな。昔、世話になった」
「では、恩返しのために?」
「そんなとこだ」
「合理的ですね」
「悪くはないだろ?」
アリサは首を傾げた。
「そうですか?」
「そうだよ」
返事はなかった。
ただ、真っ直ぐ前を見つめて歩いていた。
その足取りは不安定なのに、目だけは揺れなかった。
夜、アパートに着く頃には蝉の声も止んでいた。
俺は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップを差し出した。
「飲むか?」
「……ありがとう」
その言葉が妙に自然で、少しだけ安心した。
──十八歳。
この年齢が、線一本で世界を分けるとは思わなかった。
もし彼女が十七歳だったら、
俺は今ごろただの誘拐犯だったかもしれない。
「助かったな、お互いに」
独り言のように呟くと、アリサが首を傾げた。
「何が助かったのですか?」
「……法の下ってやつだ」
アリサは意味が分からないという顔をした。
その“分からなさ”が、
どこか壊れそうで、美しかった。
————————
物語りが完結まで描き終えたました
全99話 最終投稿予定2026/2/14
最後まで安心して、お楽しみ下さい。
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