第3話


 翌、23時。


 ”社長”との約束どおりの時刻、約束どおりの場所に、東雲十三はやってきていた。


 昨日の顔合わせのあと、十三のショートメールに、”社長”から待ち合わせ場所のURLが送られてきた。『↑ここ』という実に簡潔な文つきで。


 示された場所は、東京都心の、更にど真ん中にある、都内でも有数の高級商業エリアだった。富裕層向けのショッピングモールに、外資系企業のオフィスビル、インバウンド客対応のホテルを内包した、複合施設型ビルが、今日の研修場所であるという。

 

 ビル前には、深夜だというのに高級車が何台も止まっている。高そうなスーツやドレスを纏った通行人に気後れしつつ、十三はホテルのエントランスへ入った。


 ”グレイブヤード”の社長・黒澤棺は、すでに待ち合わせ場所にいた。

 エントランスにある、芸術的なポーズを取る金ピカの像を、ひとりぼんやりと見上げている。今日は、きっちりとスーツを着込み、髪を後ろに流していた。十三の着ている物とはレベルが違う、海外製のハイブランドスーツだ。

「時間どおりだな」

 十三を見つけた”社長”は、顔色を変えずに声をかけてくる。こんな高級感のある場所でも、臆することのない堂々たる佇まいだった。


「社長、おつかれさまです。今日は……その、おひとりですか?」

 十三は”社長”に尋ねた。”社長”という立場で、しかも反社会の人間だというのだから、てっきり取り巻きかボディーガードの数人でも引き連れているのかと思っていたのだが、現在の黒澤棺の周囲には誰もいなかった。”社長”は答える。

「今はいない。下……今日の研修場所で待っているデカいのが一人、いる。あとで紹介する。……その前に、シノ、後ろ向いて」

「はい……」

 なにをするのかと思えば。

 訝しがりながら後ろを向いた十三の首に、”社長”は手を伸ばした。十三がすでに着けていたネクタイをしゅるりと外して、別のネクタイを首にかけようとしている。


「ネクタイ……、替えるんですか? どうして?」

 十三は頭を傾けて、”社長”がかけた新しいネクタイを見つめた。どこにでもある黒いネクタイだが、裏面に不思議な模様の赤い刺繍があることに、十三は目ざとく気づいていた。手を動かしながら”社長”が答える。

「これ、ウチの会社……”ヤード”の制服みたいなもん。一応、仕事中はみんな着けてもらってる。失くすなよ」

「制服。ありがとうございます」

 自分で巻けるんだけどなぁ、と思ったが、口には出さない。上司とはいえ、ほぼ初対面の人間にネクタイを着けてもらうのは、なんだか照れくさかった。


 少し背のびして十三の首にネクタイを締めた”社長”は、出来あがりをみて、よし、と満足げに頷いた。

「これでいい。じゃ、ついてこい」

 そう言う”社長”の小さな背中に十三はついていく。

 エントランスの先、エレベーターホールに着くと、”社長”は下層行きのボタンを押した。


 やってきたエレベーターのカゴに、十三は社長と共に乗り込んだ。

 地下一階へは、すぐにたどり着く。

 ドアが開いた途端ーー十三たちを出迎えたのは、光の明滅と、腹の底に響くような重低音のビートだった。

「うわ、すげェ音……!」

 十三は思わず顔をしかめた。


 天井で回る、けばけばしい輝きを放つミラーボール。その下で、様々な人種の人々が、奔放にダンスに興じていた。激しいリズムと音は身体に直接振動を染み込ませているかのようで、人々がまるで統一性がないダンスに夢中になる光景も相まって、まるで大昔のアニメで見た、悪魔降臨の儀式のようだった。


 どうやらここは、クラブーーというより、正しくはディスコホールというもののようだった。

「しゃ、社長! ここなんですか!? 研修先って!」 

 十三は音楽にかき消されないように、”社長”に大声で尋ねる。

 ”社長”は首を振って答えた。

「違う。ここはただの通り道」

「も、申し訳ないです聞こえないです!」

「こっち!」

 ”社長”はハスキーボイスを張り上げてそれだけを答えると、人をかき分けてどんどん奥へと進んでいく。

「え! どっちですか!?」

 十三は慌ててその背に続いた。


 大音量のビート、狭くて天井の低い部屋に密集する人。蠱惑的なミラーボールに照らされながら、ゆらめくように踊る男女。

 十三の頭はくらくらと混乱していた。迷わないよう、十三は先導する”社長”の小さな背中に必死でついていく。

 やたらと背中が開いたドレスを着たアフロヘアの女たちが、”社長”と十三を興味深そうに見つめていた。十三は構わず叫ぶ。

「スミマセーン、通りまーす! ……通勤電車よりひでぇなコレ……! あれ!? 社長!?」

「こっち〜」

 ”社長”は小柄な身の丈にそぐわず、ずんずん人並みをかき分いていった。

 ダンスフロア突き当りの分厚いカーテンをくぐり抜けた先、階段を抜けると、十三たちは下のフロアにたどり着いていた。


 そこは、上階のクラブの喧騒が、嘘のように静まり返っていた。

 幾何学模様のレッドカーペットが敷かれた、先が見通せないほど長い廊下。廊下に面してオーク調のドアがいくつかあるだけで、窓も、調度品も、花や観葉植物も、一切ない。フロア全体が、静寂に包まれている。まるでレトロゲームのローグライクダンジョンに迷い込んだかのようだった。

「ここは……?」

「ここが目的地、バイト・ア・ダスト。大昔に廃業した劇場を改装した場所。今はその、二階部分になるな」

 十三の問いに”社長”は端的に答えた。

 バイト・ア・ダスト(地獄へ道連れ)ーー。その不吉な名前のせいか、十三はなんだかこのフロアに来てから、ただならぬものを感じていた。

 ーーいや、静かというよりも。

 廊下全体を漂う、まとわりつくような嫌な湿気。地下で天井が低いせいか、換気が悪いせいなのか。それとも他に別のーー。

「こっちだ、シノ」

「……はい」

 不穏な気配を感じる十三をよそに、”社長”が一つのドアの前で立ち止まっていた。

 両開きのドアには、『VIP ROOM』とプレートが提げられていた。

 社長がスマホを入口ドアの電子ロックにかざした。ピッと音を立てて扉が解錠される。


 室内は、VIPの名に恥じない、豪華な内装のラウンジだった。ふかふかの赤い絨毯や、高そうな調度品にピンと伸びた観葉植物、小型のワインセラー。壁には電話が備えつけられていて、何かあれば管理を呼ぶことができるようだ。いかにもゲストを招くにふさわしい設えの数々。

 室内奥つきあたりは、一面外界に面したガラス貼りになっていた。ガラスの奥は薄暗く、十三が今いる入口から外の景色は見えない。

 そのガラスに向き合うようにして革ばりの長ソファーがあり、そこに男がひとり、座っていた。


 十三たちが入室した気配に気づき、男が立ち上がる。”社長”は男に声をかけた。

「”とら”、待たせた」

「はい……」

 その男の姿を見た途端、十三の身体に電撃が走った。


 ーーついに、”本物”が現れた。


 男は、身の丈180は雄に超える、大男だった。黒スーツと開襟シャツに身を包んだ、今日びハリウッドでも見かけない、筋骨隆々の厚みのある身体。まるでインドのアクションスターだ。


 黒髪を後ろに撫でつけた、”いかにもその筋”の風貌。全身が黒社会の人間ですと自己紹介しているような男の年齢は、おそらく三十代前半といったところだろうか。彫りが深くてやや面長、眉間に刻まれたシワから、強面な印象を与えるが、涙袋と大きな黒目のせいで、剣呑なだけでないどこか愛嬌を感じさせる。まるで昭和の二枚目役者が、裏社会の人間を演じているようだと十三は思った。


 任侠映画から飛び出してきたような出で立ちの偉丈夫が、十三を珍獣でも見るかのように、胡乱げに見下ろしている。

「あっ、あっ、あのっ」

 ーーでかいでかいでかい! 怖い怖い怖い!

 十三の全身に警戒と緊張が走っていた。初対面の人と話すのは営業で慣れっこなはずなのに、目の前の男を前に、今の十三は、冷や汗をかくばかりで何も言葉が出てこなかった。

 十三の混乱を察してか、”社長”が口を開いた。

「シノ、こっちは”とら”。おれの部下で、オマエからすれば先輩ってことになるかな」

「せ、せ、せんぱいっ!?」

 ”アニキ”とか、若頭の間違いではないのか。

 極めて通俗的な呼称で”社長”に紹介された”とら”は、すっと無言で十三に手を出してきた。恐ろしく厚い手のひら。この手でビンタ一発でもされたら、十三の身体はきりもみ回転しながら吹き飛んでしまうだろう。

「ヒッ」

 反射的に十三の肩が縮こまれる。見かねた”社長”が口を挟んだ。

「いちいち怯えるな。とらはこんなナリだが、別にオマエを食ったりしねぇよ」

「人肉……食べたこと、ないですねェ……。まだ……」

 ”とら”が口を挟む。肉食獣の唸り声のような重低音。

「まままま、まだ!? これからも、ご予定はない、ですよね……?」

「……」

 無言。

「フフ……」

 と思いきや、”とら”は肩を震わせて笑っている。「おもしれェおニイちゃんだな……」その笑う様すら怖い。超こわい。十三は震えあがっていた。

「まァ、飲みものでも頼めや……」

 そう言って”とら”が差し出してきたのは、ドリンクのメニュー表だった。ウイスキーやワイン、ブランデーなどの銘柄が書かれている。すべて酒だった。

「あの、これ、酒なんですけど……」

「……」

 ”とら”は無言ですっとメニュー表を引っ込めた。自身でもメニューを見た”とら”は、眉をひそめる。

「ん……そうだな、酒しかねェ……。よく、気付いたな……」

「ど、どうも……」恐縮する十三。”とら”は”社長”にメニュー表をトントンと指で示した。

「社長、見てください、コレ……。酒しかないですよ……」

「知ってる。わかってる。クラブなんだから当たり前だろう、とら。喫茶店じゃねェんだぞ」

「それにしたって、仕事中に酒は、ダメでしょう……。常識的に……なァ?」

 ヤクザに常識を問われた十三はコクコクと頷いて同意を示す。”とら”は眉間にシワを寄せて、親の仇のようにメニュー表を睨んでいる。

「やっぱりお茶だよなァ……こういうときは……。社長、なんかお茶系ないんですかねェ……」

「いちいちうるせェやつだな……。そこの冷蔵庫にミネラルウォーターがあるから、それで我慢しろ」

「もう、しょうがねェなァ……ガサツなんだから……」

 ”とら”はのっそりと動いて、大きな身体を屈ませて隅に置かれた小さな冷蔵庫を開けた。なかから海外製のミネラルウォーターのボトルを取り出した”とら”は、十三に差しだしてくる。

「ほらァ……やっぱり全然冷えてねェし……。シノ、水飲め……」

「いえっ! むしろ気を使わせてすみませんでしたっ!」

 十三は最大限の感謝と敬意を伝えるべく”とら”にへこへこと頭を下げた。そうこうしている間に、ソファーに座っていた”社長”が隣の空きスペースを叩いた。

「シノ、オマエはここ。座れ」

「はいっ」

 十三は言われたとおり、”社長”の隣に腰を下ろす。”とら”は十三たちと対角線上にある一人掛けのソファーに、悠然と座った。


 ”社長”はノートPCをバッグから取り出し、立ち上げている。起動するまでの間に、”社長”は「さて」と改まった。

「ーーいいか、シノ。もうすぐ、ここバイト・ア・ダストで、オークションが開催される。そこで、オレたちの”商品”も出品される予定だ。オマエは今から、オークションを見て一連の流れを覚えろ。それが、今日の研修内容」

「オークション……って、商品の価格を競って落とすっていうアレですか?」

「ソレだ。オレたちは、商品を出品する側。オレたちの商品は毎回オークションの目玉だから、競りにかけられるのは今日も一番最後だろう。今からしばらくは、他の業者の品が流れる。客の購買力を煽るための、まァいわば前座だ。……下、見てみろ」


 ”社長”に言われ、十三は身を乗り出して窓ガラスの向こうに目を凝らした。

 窓の向こう、十三が見下ろす先に、放射状の劇場があった。

 VIPルームは、先程社長がいったとおり、この劇場の二階席部分に位置するのだろう。対して一階部分、十三の眼下には、最新鋭のシアターにも引けを取らない、立派な設備が備えた劇場が広がっていた。


 小規模だが威厳のあるダークウッドのプロセニアム(額縁型)ステージ。重厚なオペラカーテンの幕は現在は降りていて、ステージは沈黙を保っている。

 段々と高低差がつけられた客席には、高級クラブのような大理石のテーブルと、それを囲うような半円形のソファーが備えられていた。


 そこは現在、様々な装いの客で埋まっている。

 いずれも、裕福そうな身なりの人間ばかりだった。和服を着ている上品な老夫婦、水商売らしき派手な身なりの女をはべらせている壮年ビジネスマンと、その部下と思しき男たち、シーシャを吸いながら歓談するブランドスーツの若い男たち。葉巻に見える”何か”を吸っている若者もちらほら。日本人だけでなく、中華系や欧米のリッチな外国人の客も多かった。いずれのテーブルにも、高級ブランデーや年代物のワインのボトルが置かれている。


「あれが、客……? オークションのお客さん、ですか」

「そうーーここ、バイト・ア・ダストは完全会員制のオークションだ。今いるのは、ベンチャー企業の社長、官僚やエリートサラリーマン、政治家の二世、成り金の動画配信者やマニア、芸術家……要は金持て余してる暇人が顔を揃えてる」

「それで、商品っていうのは……」

 ”社長”は答える前に、起動したPCを操作すると、十三に表計算ファイルを見せてくれた。

 そこには、商品番号、名前、金額や備考欄など、商品情報が一覧表になって載っていた。

「これが、目録。オレたちの売る商品の一覧」

 十三は画面をスクロールしていった。

 そこに羅列された商品名はーーいずれも不可解なものばかりだった。

「『東南アジアの赤ん坊のミイラ』『座敷牢の少女の毛髪』「叫ぶ写真』……? 社長、コレは……」

「これがおれ達の商品ーー」


 ”社長”が言いかけたタイミングで、窓の外が明るく照らされた。

 同時に、スピーカー越しの男の声が、劇場に響く。

 

「ーー皆さま、おまたせいたしました! 今宵も”バイト・ア・ダスト”にお集まり頂きまして、誠にありがとうございます! 今宵、揃えておりますのは、世界各地から集めた選りすぐりの”件”ばかり! 皆さま、奮って競り落としてください!」


 その声を合図に、舞台の幕があがる。

 スポットライトで照らされたステージ上に、一人の男が立っていた。ガスマスクをつけた、スーツ姿の珍妙な出で立ちの男だ。

 男は芝居がかった所作で両手を広げると、客たちが盛大な拍手で出迎える。どうやら、男はオークションの進行役であるらしかった。


「さて、それでは早速、オークションを開催いたします! 最初にご紹介いたしますのは、目録番号634! 謎の焼身自殺が絶えないという、噂の日本人形でございます!」


 言って、進行役の男が舞台袖に目をやる。舞台袖からスーツを着た二人組の男が現れた。双子のように骨格、身長が同じの、やはりガスマスクをつけた二人組だった。

 男たちは、二人がかりで台車を運んだ。料理の運搬にでも使うようなカーゴの上には、赤の覆い布がかけられた、正方形の箱が乗せられていた。二人の係員によって慎重に運ばれたそれは、ステージ中央にきたところで、布をとりはらって露にされた。


 運ばれてきたのは、ガラスケースに入った日本人形だった。

 

 それは、十三の目には、古めかしい日本人形にしか見えなかった。髪は不揃いに伸び、目玉は白濁して掠れ、肌は黄ばんでいたり汚れている。とても美術品としての価値があるようには思えない。


 ガスマスクの司会者が高らかに言う。

「こちらの商品は、持ち主を転々としている”いわくつき”の品でございます! 最後の持ち主は焼身自殺を遂げ、この度オークションに出品することに相成りました!」


「ーーあれが、商品……?」

 十三は困惑したまま呟く。”社長”が言った。

「そう。あれが、おれたちが扱う商品ーー“件”だ」

「くだん……」

「世間でいう、呪いの品。いわゆる”曰くつき”、ってヤツだ」

 ”社長”が、十三の手元のPCに手を伸ばし、目録のリンクを開いた。

 そこには目録番号634ーー現在ステージで出品されている人形の、おどろおどろしい経歴が書かれていた。


 曰くーーそれは、どこにでもある日本人形だった、という。

 戦後まもなく、最初の持ち主といわれるとある独居老婆の家で、強盗事件が起こった。家は荒らされ、あらゆる金品が盗まれ、抵抗した老婆は手斧で惨殺された。しかし、夭折した娘の忘れ形見といわれる人形だけは、老婆は切り刻まれるさなかにも抱きかかえ守り、悪漢に持ち出されなかったという。

 家は放火され、老婆の亡骸ともども家財は燃え尽きたが、焼け焦げた老婆の胸に抱えられた人形だけはなぜか燃えず残ったという。

 以来、人形は様々な人の手に渡ったが、引き取った家では必ず”火”によるぼや、住民による失火、犯人不明の放火などが相次いだ。

 噂によると、人形には持ち主だった老婆の魂が宿っているというーー。


「それでは、早速10万円からスタートいたします!」

 進行役が告げると、舞台右手側に備えつけられた電子掲示板に値段が表示された。10万円からのスタート、そこから客たちによって値段がつり上がっていく仕組みだろう。 

「さァ10万! さっそく手が挙がりました! おっと15! そちらのお客様から15万が出ました! さらに20! こちらのマダムは35だ!」

 参加した客たちによって、電光掲示板の数字はどんどんと吊り上がっていく。

 十三は、目の前の光景をとても信じられずに唖然としていた。


「あんなーー、高値で売れるんですか……」

 あんなものが、と言いかけたのを、十三はなんとか誤魔化して”社長”に尋ねた。”社長”は退屈そうに電子タバコを吸いながら答える。

「売れる。つい最近までは、”件”は単なるマニアのコレクション商品程度だったんだが、いまは事情が変わってな」

「事情って?」

 ”社長”はふーっと長く紫煙を吐き出すと、こう続けた。

「ーーシノ、オマエ、99年の7月に東北で起こった水害、知ってるだろ?」

「えっ、あ、はい……。東北地方で起こった、大水害、ですよね」

 日本人であれば、誰もが知っていることだ。


 99年に東北地方全域を襲った、未曾有の大規模災害。十日間降り続いだ豪雨は、河川の大氾濫を招き、多くの町村や道路を飲み込んだ。土砂災害が起こり、山は崩れ、集落のいくつかは土石流によって流され、土のなかへ沈んだ。多数の行方不明者・死者を出したこの災害は、教科書にも記載され、日本だけでなく世界中の人々が知っている大災害となった。

 20年以上経った今でも、災害の爪痕は色濃く残っているという。山沿いでは土砂崩れの危険性が極めて高く、付近の住民たちは移住を余儀なくされた。長雨は地盤にも影響を及ぼし、海沿いの街では、いまだに大雨のたびに冠水する地域もあるという。複数の堤防の決壊や上下水道、電気設備関連への深刻なダメージなど、インフラ関連にも甚大なる被害をもたらし、住むことさえ困難になった住民たちは故郷を離れた。人が離れ、廃墟のようになった街も、決して少なくない。ーー十三の故郷もその一つだ。


 社長は淡々と、話を続けた。

「あの災害な、”件”の仕業らしいって言ったら、信じるか?」

「いや……そんな、いくらなんでも、冗談でしょう……?」

 十三はひきつった笑みを浮かべたが、応じる”社長”の顔は真剣そのものだった。

「あながち与太でもない。10日間も降り続いた豪雨。異常気象って言葉だけじゃ説明がつかねぇと、専門家たちは昔も今も首を傾げてる。それに日本以外にも、こういう常識じゃ解明できない自然災害や事故が、いくつも起きてる。聞いたこと、あるだろ? アメリカで2001年に起こった、中西部の街の住人大量失踪と、それに”偶然”巻き込まれた大統領一家の失踪事件。2009年のロンドンの地盤沈下。2000年以降、東アジアで相次いで発見された、脳や内臓がない状態で産まれてきた赤ん坊たち。どれも、科学じゃ証明できない原因不明の災害や事件ばかりだ」

「……そういう事件が、ぜんぶ”件”……呪いの力によって引き起こされたってことですか? そんな、ワケが……」

「さァな。おれにも実際のところはわからねェさ。肝心なのは、そう信じてるやつが、世界中にいるってことだ。”件”が災害を起こす可能性があるかもしれないーーそんな風に考えるやつがな」

 言って、”社長”はタブレットの目録をスクロールして眺めた。スケールの大きな話なのに、その横顔に大きな変化はなく、淡々としている。

「ーーちょっとしたドリームだよ。もし、自分の手を一切汚すことなく、呪いの力によって人や土地を害することができるとしたら? 法で裁かれることもなく、口うるさい隣国に咎められることもなく、手の届かないところにいる要人一家を手軽に暗殺することができたとしたら? ……”一家に一台”あってもいい、そんな気持ちになるんじゃねえか?」

 そこで言葉を切って、”社長”は十三の顔を見上げてきた。口調こそ冗談めかしているが、相変わらず無表情で、感情はまったく読めない。例の、ガラス細工のような瞳に見つめられると、十三はやはり、何も言えなくなる。

 社長は訥々と続けた。

「……オレたちはな、そうしたお客サマのニーズに応えるべく、”件”を日本中、世界中から買い集めて売ってるってワケだ。”件”を持ってる連中、だいたい田舎の年寄りなんだが、そいつらはこんな需要なんて知るワケがねぇ。むしろ薄気味悪いいわくつきの品を早く手放したがってる。オレたちが欲しいというと、みんな喜んで譲ってくれるよ。だから商品の仕入れはタダ同然、売るときは最低でも万単位の値段がつく。こんなボロい商売はねぇ」


 社長の言葉を裏付けるように、目録番号634、火を招くといういわくつきの日本人形は、最終的に40万で競り落とされていた。

 ”社長”はPCにデータを投入している。今後の参考にでもするのだろうか。データを”とら”に見せて、何やら二人で話しあっている。

「40万か。“鑑定つき”にしちゃ、安かったな」

「今はまだ、財布の紐、固くしてるかもしれないですねェ……。後でうちの商品が出るの、発表してますから」

「買い控えか。だといいけど。……なァ、とら、オマエは今日のうちの”商品”、どれぐらい値段がハネると思う?」

「この客の入りを見てると、期待できるんじゃないですか……? ”ミケ”が仕込んだ、事前リークってやつの成果ですかね……」

「かもな。今回は、オカルト系配信者に情報流したんだったっけ」

「らしいですね……。配信者が小金ほしさに、関係者にウチの商品の情報を流すだろうって”ミケ”の読みが、あたったようで。ずいぶん遠回りだとは思いましたが……」

「それでいい。派手に動きすぎると”ブレイド”に目をつけられる。ただでさえオマエの周りがあの変態に嗅ぎ回られてる。慎重ぐらいでちょうどいい」

「あの時は……。……本当に……面目ないです……」


 ーー一体、なんの話だろう。

 ”社長”たちの話に聞き耳を立てていた十三だったが、まるでついていけなかった。

 そうしている間にも、ステージでは、次なる商品がオークションにかけられようとしていた。次は、聴くと精神に異常をきたすという曰くつきのオルゴールだった。


 3万の元値からスタートし、客たちが手をあげ、より高い値段を提示していく。電子画面上に表示される値段は、どんどん吊り上がっていった。

 ーーこんなに欲しがるやつ、多いのかよ……。

 十三は客席を観察しながら、唖然としていた。

 会場は、狂乱状態といってよかった。上等な身なりをした連中たちが、血眼になって周囲の様子を見ながらより高い値段を提示していく。自信満々に出した買値が、別の客によって即上書きされると、舌打ちして苛立ちを露にしたり、テーブルを叩いて怒鳴る者もいた。競争を勝ち抜いて”件”を競り落とした男性客は、立ち上がり、仰々しく胸に手をあてて周囲の喝采を浴びている。まるでオスカー受賞者のような振る舞いだ。


 困惑する十三をよそに、オークションでは続々と商品が出品され、競り落とされていく。

 失踪者が残したという最期の肉声の収録されたテープ。山奥で発見された、血の染みがついた名刺。某県の心霊スポットで発見されたという、特定個人に気をつけろというメッセージの書かれた案内板……。

 

 オークションが始まって一時間ほど経過した頃、”とら”が”社長”に告げた。


「社長、次、ウチの商品出ます……。目録番号651」

「わかった」社長は”とら”に短く答えたあとで、十三へ声をかけた。

「シノ、見とけ。これからウチの商品が出る」

「はい」

 十三も居づまいを正した。いよいよ本番が始まるようだ。”ヤード”の商品、オークションの目玉だという商品が。


 出品のランクが上がることを裏づけるように、先程まで盛り上がっていた会場もまた、しんと静まり返っていた。かすかなざわめきと、それを封じるような重い沈黙。今までとは客たちの雰囲気が変わったのを、十三も感じ取っていた。


「それでは皆様、おまたせいたしました。これより、本日メインイベント、主催者・グレイブヤードの”件”を出品いたします! 皆様、盛大な拍手でお出迎えください!」

 会場中に響く、割れんばかりの拍手。

 それに招かれるような形で、舞台袖から、ひとりの男がのっそりと現れた。

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