第32話 拒絶体・第零号

 冷たい空気が肌を刺した。

 リオンの視線の先――透明な魔導水槽の中には、

 自分と瓜二つの少年が、静かに眠っていた。


 白髪、蒼い瞳。

 ただし、その瞳には何も宿っていない。

 魂を抜かれた人形のような、完璧な模倣。


 「拒絶体・第零号――」

 研究主任が低く呟く。

 「聖王院が数百年を費やして造り出した、神の再現体だ。」


 リュシアが顔を青ざめさせる。

 「……まさか、本当に神を“作る”つもりなの?」


 「作る? 違うな。」

 主任の笑みは、異様な熱を帯びていた。

 「取り戻すんだ。この世界は拒絶に蝕まれ、創造の理が崩れつつある。ゆえに神を再現し、再び“完全な秩序”を築くのだ。」


 アーテルが低く笑った。

 「秩序ね。聞こえはいいけど、つまりは支配じゃないの?」


 「支配こそが秩序だ。」

 主任は冷たく言い放つ。

 「お前たちのような異端者が、この世界を歪ませた。創造主の力を受け継ぐ者など、存在してはならない。」


 リオンは水槽の前に歩み出る。

 水面に映る自分と、もう一人の自分。

 胸の奥で、創造核が低く鳴った。


 「……これは、俺を殺すためのものか。」


 「いや、違う。」

 主任の目が輝いた。

 「融合させるためのものだ。拒絶体と貴様が一つになれば、完璧な神が誕生する。」


 その言葉に、リオンの瞳が鋭く光った。

 「ふざけるな。俺は――神なんかになりたくない。」


 主任が指を鳴らす。

 魔導陣が輝き、水槽の魔力が唸りを上げた。

 「拒絶体・第零号、起動。」


 次の瞬間、水槽が砕け散った。

 冷たい水と蒸気の中から、白髪の少年が姿を現す。

 その瞳が、リオンをまっすぐに見据えた。


 ――鏡を見るようだった。


 「リオン・カイル。識別完了。」

 無機質な声。感情の欠片もない。


 「指令――創造主因子の奪取、対象の同化。」


 その瞬間、拒絶体が動いた。

 姿が掻き消え、次の瞬間、リオンの喉元に刃が迫る。

 「速いッ!」

 アーテルが叫ぶ。


 リオンは反射的に剣を構えた。

 金属がぶつかり、火花が散る。

 拒絶体の瞳には何の感情も宿らない。

 ただ命令を遂行するための機械。


 「……お前は、本当に俺なのか?」

 リオンが問いかけても、返事はない。


 代わりに拒絶体が淡々と呟いた。

 「否定。対象リオン・カイルは創造の欠陥体。理の調和を乱す存在。排除を優先。」


 「――なら、なおさら負けられない。」


 リオンの剣が青く光る。

 《創拒構文展開・式第二――融合律起動》


 蒼と黒の光が重なり、拒絶体の攻撃を弾いた。

 だが拒絶体はすぐに体勢を立て直し、

 掌から黒い稲妻を放つ。


 「拒絶演算・零式――虚無連鎖。」


 空間そのものが裂けた。

 研究室の壁が歪み、機材が次々と崩壊していく。


 リュシアが叫ぶ。

 「リオン! このままじゃ――!」

 「わかってる!」


 リオンは跳躍し、拒絶体の背後に回り込む。

 「創拒律・改――《断章融合》!」


 青い光が走り、拒絶体の腕を弾き飛ばす。

 だがすぐに、断ち切られた腕が再生した。


 「再生構文、即時展開。損傷率、零。」

 その冷たい声に、リオンは歯を食いしばる。


 ――再生まで……まるで理そのものだ。


 主任が笑う。

 「無駄だ。拒絶体は完全な理そのもの。創造主の模倣体に勝てると思うな!」


 「勝てるさ。」

 リオンの声が静かに響く。

 「お前たちが作った理じゃない――俺自身の理で。」


 リオンの瞳に、蒼黒の光が宿る。

 《創拒融合律――第零式・逆転展開》


 空気が震え、拒絶体の周囲に無数の光の粒が舞う。

 それは拒絶の魔力を創造の粒子へと変換する、逆転の構文。


 「な、何だと……!?」

 主任が悲鳴を上げる。


 リオンが叫ぶ。

 「創造は、奪うための力じゃない!」

 剣を突き立てる。

 「――《理反転:再生の剣》!」


 眩い閃光が走り、拒絶体の身体を包み込む。

 金属のような皮膚が剥がれ落ち、

 中から少年の顔が現れた――驚くほど穏やかな表情で。


 「……僕は、誰だ?」


 リオンは剣を下ろした。

 「お前は、俺じゃない。でも、同じ痛みを知ってる。」


 拒絶体の瞳に、一瞬だけ感情が宿った。

 しかし次の瞬間、背後から黒い槍が飛んだ。

 リオンがとっさに庇う――鋭い痛みが走る。


 「リオン!」

 リュシアの悲鳴。


 槍を放ったのは主任だった。

 「愚か者が……! 神の器を汚すな!」


 リオンは血を流しながらも、拒絶体を抱きかかえた。

 「もう……終わりにしよう。拒絶と創造の戦いは……ここで。」


 彼の掌が拒絶体の胸に触れる。

 創造核が共鳴し、二人の体が淡く光った。


 「融合因子、安定化確認……」

 拒絶体が小さく呟く。

 「対象リオン・カイル――創造理、同調。」


 光が爆ぜた。


 轟音と共に研究室が崩壊する。

 主任の悲鳴が遠くに消えていき――

 光の中で、リオンは静かに目を閉じた。


 ……目を開けると、瓦礫の中にいた。

 リュシアとアーテル、ミナが駆け寄ってくる。

 「リオン! 無事!?」

 「……あぁ。少しだけ、痛いけどな。」


 彼の隣には、白髪の少年が座っていた。

 先ほどまでの拒絶体の冷たさは消え、穏やかな表情で空を見上げている。


 「名前……ないんだろ?」

 リオンが言う。

 少年は首を傾げた。

 「そうみたい。」


 リオンは微笑む。

 「なら――ゼロって呼ぶ。お前が始まりであり、終わりだから。」


 少年――ゼロがゆっくりと笑った。

 「……うん。悪くない。」


 リュシアが涙を拭いながら微笑む。

 アーテルが肩をすくめた。

 「まったく。敵を仲間にしちゃうなんて、相変わらず無茶ね。」


 リオンは空を見上げた。

 「まだ終わってない。ヴァルド……お前が何を企んでるのか、俺が止める。」


 遠く、白い塔の鐘が鳴り響いた。

 それは、次なる戦いの幕開けを告げる音だった。

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