第28話 封印峡谷

 陽が昇りきる前に、彼らは出発した。

 神殻兵との激戦から一夜。

 焼け焦げた森を抜け、東へと進む。


 リュシアの話によれば、ルメルナへ向かうには「封印峡谷」を通らねばならない。

 そこは創造と拒絶、二つの理がせめぎ合う世界の縫い目と呼ばれている。


 「封印峡谷……かつて神々が争った跡地。神の力が封じられ、未だに残響が漂っているの。」

 リュシアが馬上でそう説明する声は、どこか沈んでいた。


 「残響って、何だ?」

 リオンが問い返す。

 「創造核や拒絶核の断片が生み出す幻影よ。意識を持たないのに、戦いの記憶だけが繰り返されている。まるで神の悪夢の残り火ね。」


 「つまり、触れたらただでは済まないってわけだ。」

 アーテルが肩をすくめる。

 「いい訓練になるじゃない。」


 リオンは少し笑って剣を撫でた。

 彼の心には、前夜に見た光景がまだ焼き付いていた。

 ――創造の力を拒絶に変え、兵器として使う聖王院。

 それは、許せなかった。


 「創造は、生かすための力。なら、俺はそれを壊すために使う。」

 その小さな呟きに、誰も気づかなかった。


 昼過ぎ。

 一行は、谷の入り口に辿り着いた。


 そこは切り立った断崖に挟まれ、陽光が届かない薄暗い道だった。

 足元の石はところどころ黒く焦げ、空気に重たい魔力の残滓が漂っている。


 「……ここが封印峡谷。」

 リュシアが小声で言う。

 「魔力の流れが狂ってる。構文が歪んでるわ。」


 アーテルが指を鳴らし、魔力の糸を展開した。

 「確かに。ここじゃ普通の魔法は暴走する。気をつけて。」


 「おっかない場所だなぁ。」

 ミナが苦笑しながらも弓を構えた。


 リオンは周囲を見渡す。

 谷の奥には、淡い青光がちらついていた。

 「行くぞ。」


 峡谷を進むたびに、空気は冷たく、重くなっていく。

 やがて、低い唸り声のような音が響いた。

 霧の中から、ぼんやりと人影が浮かび上がる。


 「……幻影?」

 イリスが杖を握る。


 それは鎧を纏った巨人の姿だった。

 身の丈は十メートル。顔のない兜。胸の中心に赤く光る核。

 地を踏みしめるたびに、岩が砕け散る。


 「神の残響、来たわよ!」

 リュシアが叫ぶ。


 巨人が腕を振る。

 その一撃で、前方の岩壁が粉砕された。

 リオンは即座に跳び退る。


 「でかいだけじゃないな!」


 アーテルが詠唱を開始する。

 「《雷縛陣・連制!》」

 稲光が巨人を包むが、巨体は怯むこともなく前進を続けた。


 リオンは剣を構え、構文を展開する。

 《構文展開:創造流動》

 剣先が揺らぎ、液体のように形を変える。


 「行くぞ!」


 斬撃が放たれる。

 だが巨人は腕で受け止め、反撃の拳を叩きつけた。

 リオンが身を翻すが、衝撃波に吹き飛ばされる。


 「リオン!」イリスの声。


 地面を転がりながら、リオンは荒く息を吐いた。

 (……構文の流れが、うまく噛み合わない。拒絶の残響に、創造の式が乱されてる)


 アーテルが横目でリオンを見る。

 「リオン、構文干渉よ。あの残響の周囲じゃ、創造の理が崩れる!」

 「つまり、普通の創造じゃ勝てねえってことか。」


 リオンは目を閉じる。

 思考の奥で、青白い光が脈打った。

 ――なら、拒絶を使うしかない。


 「《Rewrite:創造↔拒絶 混合構文》!」


 構文陣が複雑に重なり、青と黒の光が剣を包む。

 「拒絶を殺すには、拒絶の理で上書きする……!」


 リオンが突進する。

 剣を振り上げ、巨人の胸を貫いた瞬間――


 世界が、歪んだ。


 視界が白に染まり、風景が反転する。

 気づけば、リオンはどこか別の空間に立っていた。


 「……ここは?」

 足元は鏡のような水面。空は白。

 無数の記号が浮遊し、構文文字が舞っている。


 その中心に、ひとりの影がいた。

 人の形をしているが、顔は曖昧で、瞳の代わりに青い光が灯っている。


 『創造を汝に問う。』


 低く響く声。

 『汝は何を創り、何を拒む?』


 リオンは息を飲む。

 「……お前は、誰だ。」


 『我は創造の残響。神の断片。汝の構文に呼応したもの。』


 声が続く。

 『創造とは、与えること。拒絶とは、奪うこと。汝は両方を内に持つ。ゆえに、問う。』


 沈黙の中、リオンは剣を見下ろした。

 彼の剣は、青と黒が絡み合い、揺らめいている。


 「俺は……奪うために創りたくない。でも、守るためなら拒絶も使う。」


 残響はしばし沈黙し、やがて微かに笑った。

 『ならば、汝に創拒構文(デュアル・コード)を授けよう。創造と拒絶、二律を併せ持つ唯一の鍵だ。』


 光が溢れ、リオンの体に刻まれる。

 胸の奥が熱を帯び、世界が再び崩れ落ちた。


 目を開けたとき、彼は元の峡谷にいた。

 剣から青黒い光が放たれている。


 巨人が咆哮する。

 リオンはゆっくりと立ち上がった。

 「これが、創拒構文……!」


 剣を振り下ろす。

 斬撃は音を失い、空間そのものを断ち切った。

 巨人の体が一瞬にして崩壊し、光の粒子となって消えた。


 静寂。


 イリスが震える声で呟く。

 「……まさか、一撃で……?」


 リュシアが息をのむ。

 「今のは、創造と拒絶の両方を同時に使った……神でも出来なかった技。」


 リオンは剣を下ろし、空を見上げる。

 「力を得た。でも、これは祝福じゃない。……世界を壊す刃にもなる。」


 アーテルが小さく笑う。

 「なら、使い方を間違えなきゃいいだけよ。」


 リュシアが谷の奥を指さした。

 「見て、封印が開いてる。」


 岩壁の奥に、巨大な石扉が姿を現していた。

 その表面には、創造核の紋章が刻まれている。


 リオンは一歩踏み出す。

 「この先に、創造核があるんだな。」

 「ええ。けど、もう聖王院も動いてる。時間はないわ。」


 月光が差し込み、リオンの背を照らす。

 「行こう。創造を、取り戻すために。」

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