第8話 俵田まちこ

 白百合学園は先鋒・次鋒を勝ち取った。


 だが、そのあと寺川修一と神上ふみが圧倒的な内容で勝利した。


 試合は二対二のタイで大将戦へもつれ込んでいた。


 勢いは完全に斎藤高校のほうに傾いている。


(やばい……空気が向こうの味方をしてる)


 先鋒でこそ落としたが、斎藤高校の柳棚国男は“秀才タイプの論理魔”。


 感情ではなく、淡々としたロジックでディベート相手を追い詰める。


 その冷静さが高校短歌界でも地味に恐れられていた。


「論破の国男」とあだ名されるものの、派手なカリスマや天才性があるわけではない。


 ただ、相手の矛盾を見抜くのが異様にうまい、そんなタイプだった。


 その理詰めのスタイルは、祖父・国太郎ゆずりの頑固さなのかもしれない。


 そして、白百合学園の大将・小野まちこは、いま絶体絶命の場面に立っていた。


 そんな彼女の脳裏にふっと蘇るのは、業平が教えてくれた一首だった。


「 紫の色こき時は目もはるかに

 野なる草木ぞ分かれざりける」

(在原業平『古今和歌集・雑歌上』)


(そうだ……相手がどれだけすごく見えても、近づけば草木みたいに大したことない。私が勝手に怖がってただけ)


 胸の奥が少し軽くなり、まちこは息を整えた。


 祖母・小野さくらとの日々が浮かんでくる。


 そこには、まちこ以上に短歌に情熱を注ぐ少女——俵田まちこの姿があった。


 二人は「双子」のように育ってきた。


 でも、実際はまったく違う。


 小野まちこは天才肌。俵田まちこは努力の人。


 ライバル視されるようになるのは自然な流れだったが、それは二人にとって重荷だった。


 そして何より、祖母さくらの胸を痛めてきた。孫が可愛くないわけじゃない。

 短歌に興味のない子に無理強いしたくない、


 その思いは娘・小野雅子の「英才教育の失敗」が残した傷からだった。


 技巧だけを磨かされ、愛情は置き去りにされた雅子。その冷たさは母・さくらにも孫・まちこにも影を落としていた。


 そんな中で、俵田まちこの素直さは、小野さくらの心を静かに満たした。


(この子なら……私の歌を継いでくれる)


 やがて訪れる宿命の対決。


 大将戦「俵田まちこ vs 小野まちこ」。


 双子のように育ちながら、いつもどこかで並び立てなかった二人が、ついに正面からぶつかり合うのだった。


 体育館は吐く息が白くなりそうなほどの緊張で満ちていた。


 白百合学園と斎藤高校、二対二のタイ。


 大将戦は“マッチング対決”と呼ばれる両まちこの戦い。


 俵田まちこvs小野まちこ


「これより(旅立ち)を体現した歌を詠んだ者の勝利とする」


 審査委員長の声が響いた瞬間、二人の距離がすっと縮まった。


 小野まちこは喉の奥で息を飲む。


 俵田まちこは静かにまっすぐ、彼女だけを見ていた。


(……まちこ。ずっと、逃げてきた。おばあちゃんの愛も、才能も、比較される日々も、ぜんぶ)


 でも今日は違う。


「草木に似たるわたし超えてゆく」業平の声が胸の奥で呼吸を整える。


 先攻:俵田まちこ


 俵田まちこがゆっくりと前へ出る。


 努力の人まちこ。だが今日はその目に迷いがない。


「先攻、俵田まちこ。提出歌——」


「立つ鳥の 影をふまぬと誓いし日 

 背を押す風は 君ではなくて」


 体育館がざわついた。


「誰かに依存せず、自分の足で歩き出す(旅立ち)を詠んだ歌です」


 俵田まちこの声は揺れなかった。


 その視線はただ一人、小野まちこへ向けられている。


(私ね、ずっとあなたの影をふんじゃいけないって、思ってたんだよ)


 言外にそう告げていた。


 後攻:小野まちこ


 観客席からは緊張した視線が集まる。


 ライバルであり、双子のように育ち、互いを映す鏡でもあった二人。


 まちこは一度だけ俵田まちこを見た。


(まちこ……あなたの努力を、私は知ってる。でも、まちこは一人でいい)


 そして、ここは勝負の舞台。


 言葉は歌に込めるしかない。


「後攻、小野まちこ。提出歌——」


 小野まちこの歌


「ゆび先に 別れの紫ひとしずく

 草木の影を 踏み越えてゆく」


 静寂。


 一拍おいて、観客席から小さな感嘆の声。


「“紫”は別れと出発を象徴し、草木は自己評価の低さや依存の過去を示しています。

 (踏み越える)ことで、旅立ちとは他者と比べることではなく、自分自身の超克であると詠みました」


 説明が終わったとき——


 俵田まちこの目が、ほんの少し揺れた。


(……やっぱり、勝てないや。

 でも、これでいい。あなたの旅立ちをずっと見てたから)


 その揺れを審査委員たちは見逃さなかった。


 判定


「大将戦、勝者、小野まちこ!」


 一瞬の静寂。


 次いで、体育館が爆発したような歓声に包まれた。


 だが、まちこは歓声より先に俵田まちこの姿を探した。


 俵田まちこは、悔しさと誇らしさの混ざった笑顔で手を差し出していた。


「……おめでとう。

 私の努力だって、あなたがいたから、なんだからね」


「うん。ありがとう、まちこ。

 あなたがいたから、私……ここまで来れたよ」


 二人の手が強く握られる。


 その瞬間、客席の隅で——


 祖母・小野さくらが涙ぐみながら、小さく頷いていた。


(ようやく……互いを比べるんじゃなく、  

 「並んで歩ける」ふたりになった)






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る