第7話 小野まちこ

 放課後の空気は、勝負を終えた後の柔らかな熱をまだ残していた。


 白百合学園の中庭には、夕方の光が角度を変え、芝生の上に長い影を落としている。


 まちこはひとり、机に置かれた業平の短冊を見つめていた。


「月あらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして 在原業平」

(『古今和歌集・恋歌五)


 そこで訳を終えたはずなのに、胸の奥がざわつく。


(……なんでだろう。いつもなら下句まで自然に意味が浮かぶのに)


 もう一度、短冊をひっくり返す。そこには業平の端正な筆跡で下句が記されていた。


(我が身一つは もとの身にて)


 その瞬間、まちこの息が止まった。


(あ……これ、“勝敗の歌”じゃない。業平先生……帰ろうとしてるんだ)


 春が変わっても、自分だけは「もとの身のまま」。


 この世界の時間が進んでも、業平だけは平安時代のまま置き去り、だということ。


 そう気づいた途端、胸の奥がきゅっと痛んだ。


「……先生、平安時代に帰りたいの?」


 呟いた声は、誰にも届かない。


 ただ、まちこの指が震えた。


(……確かめなくちゃ。これ以上、知らないふりはできないよ)


 まちこは鞄からスマホを取り出し、祖母のいる──老人ホームの番号を押した。




「……はい、ケア・センター古今ホームです」


「そちらのおばあちゃんじゃなくって、小野さくらお願いします」


「はい、小野さくらですけど、まちこかい?」


 いつもの穏やかな声。けれど今日は、まちこの背筋に小さな冷たいものが走る。


「あのぉ、おばあちゃん。お聞きしたいことがあって……業平先生の和歌なんだけど………」


 沈黙。電話の声が遠い。


「月あらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはともとの身にて」


「上句は生徒たちの健闘を労う意味だと思うんだけど、下句がよくわからなくて」


「え?」


「それでおばあちゃんに意味を聞きたくって?」


「お前は『源氏物語』ばかり読んで、あれほど『伊勢物語』や『竹取物語』も読みなさいといったでしょ。『古今和歌集』も読んでないのかね」


 どきり、とした。祖母がいう『源氏物語』は漫画『あさきゆめみし』でまちこは古典をまともに読んでなかった。


 まちこはスマホを持つ手に力を込める。


「業平先生は……帰りたいんですか? 平安時代に」


「帰る、というより……呼ばれているのよ」


「呼ばれている?」


 さくらは遠い昔を手探りするように言葉を紡いだ。


「いまのまちこさん達を見るとね……私、昔の記憶が蘇るの。かつて、短歌を磨き合った日々。負けたくないって、夜通し歌を推敲したこと……全部、春の空気と一緒に戻ってくるの」


 まちこは息を飲む。


 「それと一緒。業平さんには、在原行平というお兄さんがいるのよ。血は水より濃いっていうでしょ」


 まさか──


「それで私もうちの会長を引き受けてもらおうと思って、手紙を出したの」


 おばあちゃんは日本短歌協会の会長だったのだ。


 その返信に業平さんが和歌を添えてあったの。断りの手紙で。


「唐衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ 在原業平」

(『古今和歌集・羇旅)


 電話越し、しばしの沈黙。


 「……お前にも、この和歌が別れの歌だってわかるだろう?」


(唐衣)は当時は中国のような外国だったが、今は令和の日本。これは有名な和歌で折り句で「かきつばた」が折り込んである。


 ざー、ざー、電話がいつもより遠い。向こうは平安時代なのか?電話の向こうで、古びた衣擦れのような音がした。


 次の瞬間、言葉が流れ込んできた。


(「かきつばた」はおばあちゃんの若き日の姿だ!)


 その歌を聞いた瞬間、まちこの目に涙が滲んだ。


 それは、別れを告げる恋の歌。


 そして、それは小野小町に向けて詠まれたものだと確信した。


「……おばあちゃん、いや小町さん……」


「業平はね、あの頃の“別れ”を思い出しているのよ。あなたたちが学ぶ姿を見るほど、あの春の日々を……兄との研鑽を……そして私との別れを」


「だから、帰りたいの……?悲しすぎるじゃない!」


「ううん……違うの」


 小町の声が少し震えた。


「──帰らねばならないの」


 電話が切れた瞬間、まちこはしばらく動けなかった。


(……業平先生との時間、もう長くないのだ)


 胸に、静かな痛みが満ちていく。


 けれど、その痛みは不思議なほど、短歌への情熱を呼び起こした。


(なら……最後まで、先生に聞かせたい歌がある)


 短歌を愛すること。

 言葉で戦うこと。

 自分を賭けて、まっすぐ歌を詠むこと。

 業平先生が残してくれたすべて。


 その想いを抱えて、まちこは歌会の会場へ足を踏み入れた。


 対戦相手たちがざわつく。


「小野まちこ……今日、何か雰囲気違わない?」そうつぶやいたのは、俵田まちこだった。


「なんか、覚悟決めてる顔だ」


「夢だった絆をたどり言の葉を君に届ける咎はないかも  小野まちこ」


 勝敗は──まちこの圧勝だった。


業平は小さく頷いた。


 (──次は最終の決戦。別れの時も、もう遠くない)


******************


ChatGPTによる創作。整形やどかり。

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