二十一
心旗のそばに近づいた。
場所は
「酒?」
「そうだよ」
「真っ昼間から、珍しいですね」
品行方正という言葉がしっくりくるほど、品行方正なのに。
「珍しくもない」
「って、え?!」
珍しくもない、らしい。
「酒でも飲んでないと、この職はやってられない」
確かにそうかもしれない。
酒でも飲んでいないとやってやれないような事件が起こる日々。
それが、この職の特色と言ってしまえば楽だ。
「俺も官吏のとき、酒を飲んでました」
そう言ったら、心旗が思いっきり酒を吹く。
「心旗?!」
「お、お前も…か…」
「信じられないですか?」
「いいや…。この前も、酒は飲んでいたし…」
「妃になってから、宴のときしかあまり飲まなくなりました。だからあんまり印象にないんでしょう」
「何故禁じている?」
「普通に、
心旗の印象のためだ。
朝廷での噂話は信じられないほど早く広まる。
酒飲み王妃殿下、なんて言われたくないから飲まないのかもしれない。
「自分の体面のためです。そんな、気にしないでください。ハゲるわけでもないですし」
「ハゲ…。そうだな」
いつもと変わらない顔で酒を飲む。
(笑って、くれないかな。笑ってくれたら、どんなにいいかって思うよ)
二人でいるときくらい、笑ってほしい。
その顔をそのときだけでも拝みたい。
なんてわがままなこと、妃になっていなければ思わなかった。
「妃になってかわわかりました。俺、殿下の笑顔が見たいんです…!」
「私の…?」
「はい!小さい頃、初めて会ったときは笑ってくれましたよね?!」
思い出したのだ。
初めて心旗に会ったときのこと。
「俺、忙しくて心旗に会えなかったけどすごく寂しかったんです…!ずっと会いたかったし、話したかった!だけどなかなか会えなくて、話せなくて…。文でしか…。でも今は、こうして毎日会えている!」
位は高いし、金持ちの李家。
なのに庶民と同じように暮らしている。
家の手伝いとかが忙しくて、なかなか心旗と話せなかった。
まだ子どもだったから朝廷に行ける機会があるわけでもない。
「私に初めて会ったときのこと…?」
「会ったじゃないですか!朝廷の、あそので!」
「どこだ…?」
何も覚えていないのか。
「あっ…!花見のときか?!」
「そうですよ!なんかみんな、華やかな衣装着てました!」
それまでしか思い出せないが、たぶんそんな感じだ。
桜の花が、咲いていたような気がする。
「私はそのとき、そなたに話しかけたんだよな?」
詳しくは思い出せない。
「わかりません…。そこまでは、思い出せなくて…」
といった途端、二人で話している光景が目に浮かんできた。
季節は春。
国のために祈りを捧げる儀式が毎年行われる。
今年もその宴が行われる。
時は順英がまだ、八歳のときだった。
『どうした?一人で…』
最初は、龍神でも舞い降りたのかと思ってしまったほどの神々しさ。
『あなたが、鏡 心旗様…?』
『そうだな。そなたは誰だ?』
『私は李 順英です。今日は特別な宴なので、春の龍神様がいらっしゃるのではないかと思って…』
『春の龍神?』
『そうらしいです。私の父上が言っていました』
『そなたの父上は誰だ』
『私の父は、誉れ高い
そのときの父の位は礼部尚書。
のちに
『左丞相の息子か?』
『はい、そうです。仲良くしてください』
『わかった。仲良くしよう』
『じゃあ、文交換しませんか?』
あのとき、人生で十人目の友。
初めはただの友として、接していた。
なのにこんな気持を抱いてしまうなんて。
あのとき、確信した。
あれは恋だってこと。
◆◆◆
思い出した。すべて。
自分はあのとき、人生で初めての恋をしていたんだ。
自分にとっては唯一気軽に文を送れる相手だった。
そのがいつの間にか、恋心に変わってしまうなんて。
(あのときの一通で、君は運命を変えたんだ)
「覚えているか?あのときの、文を」
思い出してほしい。
全部ではなくていいから。
「俺、何か文送りましたっけ…」
「官吏になりたいって書かれていた文、覚えていないか?」
「あ、もしかしてあれのこと?!」
そうだと頷く。
「あの文で、君は自分の人生を変えた」
「あの文…、ひたすら自分の欲望を心旗に送っただけなんですけど…」
「でもあの文のおかげで何万人の民を救えた」
信じられないのか、目を大きく開ける。
「信じられないか?自分が、何万の民を救ったこと」
「信じられません…」
「なんで?」
「だって俺には、何万の民なんて救えない」
誰だって行動すれば、何万の民を救うことができるのだ。
「君は民のために、あの文を書いて思想書まで書いていたんだろう?」
聞きたかった。
なんであの思想書を書いていたのか。
◆◆◆
(殿下にバレていたんだ。思想書…)
あの思想書はバレて困るものではないけれど、なんだか恥ずかしさが込み上げてくる。
「恥ずかしいです。一介の民が、陛下に向けて…」
思想書というより、あれは陛下への文だ。
思想書ということにして、数々の言葉を陛下に送るつもりでただひたすら書いていただけの思想書。
「恥ずかしいことか。あんなことができる民は、貴重だ。陛下も会いたいと言っていたな〜」
「会いたい?!陛下が?!俺にっ?!」
嬉しいような、やはり恥ずかしい。
急に顔が真っ赤になる。
まるで陛下に恋をしていると、勘違いされそうなほど。
いや恋はしているか。
恋は恋だが、心旗とはまた別の恋かも。
「お会いしたか?陛下に」
「あ、当たり前!!尊敬する人に会えるなんて、嬉しいに決まってる!だから…その…会わせて、もらえない…って?!」
突然、強引に口づけされた。
「言っておくが、たとえ陛下にも恋をすることは決して許さない。李 順英が恋を許されるのは、鏡 心旗だけだ。わかったか?」
さっきより更に顔が真っ赤になる。
李 順英の人生で、一番幸せかもしれない。
「もしかして殿下、陛下に嫉妬を?」
「そうだ。陛下に嫉妬を」
「なんでです?」
「お前が、順英が陛下に会いたいなどと言うからだろう?」
「心旗…」
心旗が顔をむくっと膨らましていた。
可愛らしい。
ずっと、こんな顔をしてくれたらいいのに。
「心旗」
順英は心旗の顔に手を当てて、愛おしそうに言う。
「安心しろ。俺は心旗以外に、恋をする予定なんてない」
本当だ。たぶん、自分は心旗以外に恋はできない。
そのことだけは伝えたい。
李 順英が今世で初めて恋をした相手なんだから。
「私は李 順英が好きだ。私も、李 順英以外に恋をするなんてできない。そのつもりでいろ」
心旗に覚悟しろって言われたみたいで、嬉しい。
(心旗に恋をしたら、心旗から逃げたくなくなる)
嬉しすぎて、心旗以外のことは今は考えられなくなってしまう。
「恋をするって、己を強くすることだと思います。だって俺は今、こんなにも強くなれたのだから」
「愛している、順英」
順英はにこりと笑い、大好きな心旗をじっくりと見た。
やっぱりイケメンだって、にやにやしながら。
◆◆◆
「負けたな、
「何も皇帝になりたいだなんて思ってない」
「ほう?では、心旗を認めたのか?」
認めたつもりはない。
だが、心旗が自分より皇帝の器にふさわしいことくらいわかっている。
「李 順英の方が俺の妃より、皇后にふさわしいことくらいわかる」
「お前の妃だって、充分皇后の素質はあるぞ?」
「お前は誰の味方だ、美艶」
「もちろん、心旗だよ。お前の味方は誰もない。そう、思っていたほうがいい。民草の声も聞けないようじゃ、皇帝なんてさらさら無理だからね」
そんなこと、言われなくても知っている。
皇帝になりたいと思っている者に限って、皇帝になれない。
皇帝に一番なりたくない者が、皇帝になれることくらい。
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