「リバースシステム建築設計事務所備忘録」 ・・・ミケランジェロとの遭遇・・・
@touko2025
第1話「空白」
こういう時、昔の建築家はどうしていたんだろう。
季節は2月。日本の南、九州天草であってもこの季節に寒い事は変わりない。
一人ではもったいないとストーブもエアコンも付けてない。
着られるものを着込んでも寒いものは寒い。
部屋の中でも吐く息は氷の様に白かった。
一条陽は1級建築士の試験にようやく合格し、設計事務所を立ち上げた。
事務所の名前はリバースシステム建築設計事務所。
バブル経済が崩壊した今、都市や建築を再生する事こそがこれからの要と思い
この名前を付けている。
志は高かった。
しかし敷居まで高かったのだろうか、
仕事という仕事は全く得られず、虚しい日々ばかりが過ぎていた。
何かこういう時の参考にならないかと
本棚にある手垢のついた作品集を手にしてみた。
今まで、本だけは買い求めてきた。
建築の作品集は写真の掲載も多く高価なものが多い。
買ってしまえば大枚が飛んでいく事は明らかなのだが
出会いは一時と思い、その都度手に入れてしまっていた。
紫外線で焼けた背表紙を抜き取る。
中身は見なくてもわかる位見てきた一冊を
再び手に取った。
またあんただな、ミケランジェロ。
会った事なんてある筈もないが、もはや知人というよりは友人クラスだ。
卒業旅行でイタリアまでも行き、実物も見た。
建築だけでなく、絵画、彫刻も含めその量と迫力に圧倒された。
神の如きとも言われるが、その理由がよくわかる。
甘美とさえ言えるだろう。
一瞬ではあるが、現実を忘れた。
そしてまた、部屋の寒さが自分を自分に引き戻す。
本棚に作品集を返そうとして立ち上がった瞬間、かじかむ手から本が滑り落ちた。
ばさっと乾いた音が空虚な部屋に響く。
ページが折れ曲がってしまっていた。
俺は何をやっているのだろう。
拾い上げて本棚に戻そうとしたところで
曲がったそのページの写真に目が止まった。
そこにあったのはミケランジェロが作った模型の写真だった。
彼もあらかじめミニチュアで案を作り、提案していたらしい。
「提案か」
独り言を言う。自分のことばが自分に響くのを感じる。
天才だからといって、全てが受け入れられた訳ではないんだな。
それでもクライアントがいるだけマシだ。
俺には何もない。
恵まれている奴は違うな。
まあ、ミケランジェロと自分を比べるところで既に意味がない。
まあそれでも考える事だけであれば
並んでやる事位は出来るかもだ。
紙ならコピー紙がいくらでもあった。
何か、書いてみるか。
クライアントも敷地もない。すべて自由だ。予算も組みたい放題。
でもそれは、ある意味つらい。
とりかかるきっかけ、みたいなものがない。
いくつか書き出してはみたが、すぐに手は止まった。
何か、具体的な線にならないのだ。
線を引くことはできる。
ただ、書き続ける事ができない。
思考が、意識が集中しない。
やっぱりダメなんじゃないの俺。
鬱鬱としたものが自分の中を回り始める。
家が狭く、閉じ込められた気分になった。
息苦しくなって外に出る。
外は雪が降り始めていた。
寒い事に変わりはないが、外にいる分、解放はされた。
しかし今、どこに向かうべきなのだろうか。
スーパーに行っても良いのかもしれないが
お金がなさ過ぎて何かを買う気にはなれない。
ホームセンターも同様だ。
立ち寄れそうな神社仏閣というものも近くにはない。
街中の行けそうなスポットを考えてみたが、すぐにストックは尽きた。
仕方なく、行く宛もなく、歩いた。
ただでさえ人通りの少ない町だが、この天気では見る影もなかった。
逆に言えば人目を気にしなくて歩きやすい。
出る前に鏡は見なかったのだが
あまり良い顔つきにはなっていないだろう。
髪や服に雪が降りかかる。
傘もさしていない。
どこもかしこも寂れた見慣れた風景。
街中もほとんど歩いてしまった。
何も収穫がないままだった。
ここで事務所を続けるのは無理だな、と思う。
何を今更、ともう一人の自分が頭の中で言う。
でも限界じゃないの、とさらに違う自分が言い始め
とりとめのない即興会議が始まる。
そんな事をしながら歩くうちに総合文化センターの前に来た。
ここも自分にはご縁のないところだ。
でかくて四角くて愛嬌がない。
特にイベントもやっておらず通り過ぎようとしたのだが、「図書館」という文字に目が止まった。
こんなところに図書館があったんだ。
まあたぶん、図書館というよりは図書室クラスだろうな。
時間を見ると、まだ営業しているらしかった。
行くか?
でもこんな人相の悪いのが突然入ってきて
怪しまれないか?
頭の中で「やめとけ」が4割だったが
6割はまあ行ってもいいんじゃないの、という意見だった。
行っても古い本ばかりだろう。
まあでも行く宛もなかった訳だ。
行ってみるか。
自動ドアを抜けると、そこはがらんとした場所になっていた。
人もいない。
うすうす知ってはいたが、ここには市民ホールがあって
ちょうどその出入りの場になっていた。
案内を見ると図書館は2階の様だ。
階段を上る。
図書室はすぐそこにあった。
ようこそ天草図書館へ。
扉には明るい色で手書きのポスターが貼られていた。
できるだけ人に来てほしいんだろうな。
そんな感じがした。
中は想像通りというか、広くはなかった。
ざっと10m×10mくらいだろうか。
司書らしき人が一人、本の整理をしていた。
「こんにちは」
いちおう声をかけておいた。
あまり人が来ない時間帯だったのだろうか、少し驚いた様子だった。
「リバースシステム建築設計事務所備忘録」 ・・・ミケランジェロとの遭遇・・・ @touko2025
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。「リバースシステム建築設計事務所備忘録」 ・・・ミケランジェロとの遭遇・・・の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます