花火の音に、君の声は消えて。

神田 双月

花火の音に、君の声は消えて。

 夏の夜。

 蒸し暑い空気の中、遠くから太鼓の音が聞こえていた。


 「なぁ、悠。ほんとに浴衣、似合ってる?」


 「……ああ、似合ってる」


 そう答えると、隣を歩く**結城紗菜(ゆうき・さな)**が、少し頬を赤くして笑った。

 白地に薄い青の模様が入った浴衣。

 髪は高めに結ばれ、首筋がほんのりと光に照らされている。


 「やっぱり、夏祭りっていいね」


 「人多すぎだろ。暑いし」


 「でも、こうやって歩くの久しぶりじゃん」


 そう言われて、少し胸が痛くなった。


 僕――**橘悠(たちばな・ゆう)**と紗菜は、幼なじみだ。

 でも最近は、学校でもあまり話さなくなっていた。

 お互い、気づかないふりをしていた距離。


 それを埋めたのが、この“夏祭りの約束”だった。


 ***


 境内の提灯がゆらゆらと光る。

 金魚すくいの水音、焼きそばの香ばしい匂い、笑い声。

 全部が夏の音だった。


 「悠、あれやろう!」


 「射的?」


 「うん!」


 紗菜は子どもみたいに目を輝かせて、店先に駆け寄る。

 的の景品には、ぬいぐるみやキーホルダー。

 その中に、妙に安っぽいけど可愛い猫のキーホルダーがあった。


 「それ欲しいの?」


 「うん。あの猫、私っぽくない?」


 「どこが」


 「ほら、ちょっと気が強そうなとことか」


 「確かに」


 「ちょっと! 笑うな!」


 拗ねたように言う紗菜を見て、思わず笑みがこぼれた。

 そんな彼女を見ていると、いつもより少しだけ、胸が苦しくなる。


 僕は銃を構え、息を整えた。

 パンッ。

 弾が見事に猫の下の台を弾き飛ばした。


 「やった!」


 「ほら、どうぞ“猫っぽい人”」


 「ありがと」


 紗菜はキーホルダーを受け取って、嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見た瞬間、胸の奥に何かが広がった。


 ――きっと、これが好きって気持ちなんだ。


 でも、言葉にしたら壊れてしまいそうで、何も言えなかった。


 ***


 夜空が少しずつ暗くなる。

 祭りの喧騒が落ち着き始めた頃、アナウンスが流れた。


 「まもなく、花火の打ち上げが始まります――」


 「行こ、あっちの河川敷のほうが見やすいよ」


 紗菜の手が、そっと僕の袖を引いた。

 人混みを抜けて、小さな橋の下まで走る。


 夜風が頬を撫で、汗がひんやりと冷えた。


 ドンッ――!


 最初の花火が夜空に咲いた。

 赤、青、金。

 それが川面に映って、世界が一瞬だけ光に包まれる。


 「綺麗……」


 紗菜が呟いた。

 横顔が、花火の光で少し儚げに見えた。


 「ねぇ、悠」


 「ん?」


 「高校入ってから、あんまり話せなかったね」


 「まぁ、部活とか忙しかったし」


 「……うん、そうだね」


 少し間が空いた。

 その沈黙が、いつもより重く感じた。


 「ねぇ、悠」


 「なに?」


 「もしさ――この夏が終わったら、また前みたいに戻れるかな」


 その言葉に、喉が詰まった。

 どう答えればいいかわからない。

 でも、返さなきゃ。


 「……俺、戻りたくない」


 紗菜が驚いたように僕を見た。

 夜空で、花火が弾ける。


 「“戻る”んじゃなくて、“進みたい”」


 「え……?」


 「お前と。友達じゃなくて、もっと近くにいたい」


 言葉が、自然に零れた。

 もう止められなかった。


 花火の音がドンッと鳴り響く。

 その音にかき消されながらも、紗菜の唇が震えた。


 「……バカ」


 「え?」


 「花火の音で、聞こえないじゃん」


 そう言って、彼女は一歩近づいた。

 そして、僕の耳元で囁いた。


 「私も、そう思ってたよ」


 心臓が止まりそうになった。

 世界が、一瞬だけ静まった気がした。


 ドン――。

 最後の大きな花火が夜空に咲いた。


 その光の中で、僕と紗菜は顔を見合わせ、

 ゆっくりと笑い合った。


 ――夏の夜の中、すべてが始まった気がした。

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花火の音に、君の声は消えて。 神田 双月 @mantistakesawa

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