第5話 合言葉は「キラキラ☆ドリーム♪アイリズ、オンステージ!」
作戦開始だ。
俺たちは並んで、シアターの入口へと歩を進める。
凛音は俺の半歩後ろという絶妙な距離を保ちながら、小声で念を押すように指示を飛ばしてきた。
「いい? 自然に振る舞って。兄妹っぽく」
「兄妹っぽくって言われても」
「鈴ちゃん? だっけ。その子と同じように接して」
あの混乱した初対面の会話を、よく覚えているものだ。だが、無茶を言わないでほしい。あのおっとりした鈴と、この毒舌お嬢様。共通項なんて生物学上の性別くらいしかない。
脳内でシミュレーションをしている間に、早くも受付が目の前に迫る。
先ほど門前払いしたお姉さんが、再び近づく俺の顔を見て一瞬、困惑の表情を浮かべた。
「あ、さっきの……」
「ど、どうも。妹と合流したので」
我ながら不自然な笑顔しか作れない。頼む、どうか疑わないでくれ。
怪しむ眼差しが突き刺さる。そのタイミングで、凛音が俺の服の裾を、そっと掴んだ。
「お兄ちゃん、早く入ろう?」
お兄ちゃん。
鼓膜を甘く震わせる、とろけるような猫撫で声。
鈴以外から向けられる「お兄ちゃん」という言葉の、なんとも言えない違和感と、妙なくすぐったさ。
しかし同時に、感心せずにはいられなかった。
上目遣いで首を傾げるあざといポーズは、計算され尽くした『理想の妹』そのものだった。
なかなかの役者だ、琴浦凛音。すぐさま妹になりきる、演技力。
お姉さんは俺たちを交互に観察した。疑念と確証の狭間で右往左往する瞳。明らかに不審に思っているが、決定的な証拠もない、そんな顔をしている。
「にゅ……入場券は、お持ちですか?」
「は、はい、これ」
凛音が親子ペアチケットを差し出す。手つきさえも、実に自然だった。
「うーん……確かに。では、合言葉をお願いします」
……合言葉? 聞いてないぞ。
思考停止する俺の脇で、凛音は素早くスマホを取り出し、俺に目配せした。チラ見せされた画面にはアイリズのキャラクターが決めポーズを取っているイラストと共に、恐ろしい文字列が表示されていた。
『合言葉は「キラキラ☆ドリーム♪アイリズ、オンステージ!」』
これを、言えと?
十七歳の男が、公衆の面前で?
絶望する俺の横腹を、凛音の肘が小突いた。
視界の端で、満面の笑みを浮かべたまま、目だけが「やれ」と俺を脅迫している。
「せーのっ」
凛音の可愛らしい(演技の)合図。
クソ、迷ってなんかいられない。毒を食らわば皿までだ!
「「キラキラ☆ドリーム♪アイリズ、オンステージ!」」
声を揃えて叫んだ瞬間、全身の血液が沸騰したかと思った。しかも凛音は画面通りに、片手を高く掲げるアイドルポーズまでキメている。
俺も咄嗟につられてしまい、あろうことか、同じポーズを取ってしまった。
世界が、スローモーションになった気がした。
自分の口から飛び出す、信じられないほどお花畑な単語。振り上げた腕の筋肉が硬直し、一斉に振り返った周囲の視線が、物理的な矢となって全身に突き刺さってくるのを感じた。
小さなお友達のくすくす笑いが、耳に痛い。
まさかこれ、動きまで再現する必要はなかったんじゃ……。
顔面が燃え盛るように熱い。耳たぶまで真っ赤に染まっているのが、自分でも分かる。
横目で隣をうかがうと、彼女もまた頬を朱に染めていた。普段のクールな仮面が完全に剥がれ落ち、恥じらいを隠せずにいる。
巻き込んだくせに、自分もダメージ食らってんじゃねえか。
「は、はい……確認できました」
お姉さんは見てはいけないものを見た、とでも言いたげな引き気味フェイスで、そそくさと配布カードを二セット分差し出した。
限定ムービーカード《シネマティックドリーム☆みほし》
キラキラと輝くホログラムカード。水色の衣装を着たキャラクターが、満面の笑みをこちらへ向けていた。
やった。とにもかくにも、ミッション成功だ。
(忘れずにスリーブ……と)
凛音も受け取ったカードを両手で大事そうに持ち、嬉しそうにしている。その様子は、年相応の小学生のものだった。
……まあ、結果オーライか。
さっきの出来事で、俺の全身はすっかり汗でびしょ濡れになっていた。
自分の手が、カエルの手になったかと思った。
入場者プレゼントを手に入れた俺たちは、シアター入口から少し離れた場所で立ち止まる。
用は済んだ。当然、ここで解散だと思っていた。けれど、凛音が意外な言葉を口にした。
「せっかくチケットがあるんだから、映画観ていけば?」
思いがけないお誘いに、俺は目をパチクリさせる。
「え? いや、俺はカードさえ貰えたらそれで……」
予定では、女児向けアニメ映画なぞ見るつもりはなかった。なにせ本編だって、鈴の隣でぼんやり眺めたことがある程度だ。ストーリーもキャラ設定も、頭の中では霧がかかったように頼りない。
「もったいないでしょ。それに――」
凛音は手の中のチケットを見つめたまま、所在なげに声を落とした。
「一人で観るのも、つまらないし」
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