第2話 バカなの?

「次の方、どうぞー!」


 外で二時間、会場に入ってからさらに一時間。永遠とも思える待ち時間を経て、ようやく俺の番が回ってきた。


 冷房の効いた室内に入った瞬間、全身を包む冷気に思わず震えた。汗でびっしょりと濡れたTシャツが、急速に体温を奪っていく。もはや寒い。


 いざ自分が前に立つと、見たことあるはずの筐体きょうたいは、壁のように巨大に見えた。


 白とピンクを基調としたボディは、まるで小さな祭壇のような威容を誇っている。


 正面には、鮮やかなアニメーションを映し出す巨大な横長のワイドモニター。

 手元には、カードを広げるためのフラットなパネルが設置され、両脇には操作用らしきカラフルなボタンが並ぶ。


 頭上の看板ポップからは、キャラクターたちがニコニコこちらを見下ろし、筐体全体が放つキラキラとした物理的な圧で、俺に迫ってくる。


『アイリズ』

 そのロゴが、やけに誇らしげに輝いて見えた。


「初めての方ですか?」


 スタッフのお姉さんが、営業スマイル全開で声をかけてきた。瞳の奥に、『保護者の方ですよね?』という決めつけが透けてる。


「え、あ、一人で……」


 一瞬、お姉さんの笑顔が固まった。

 だが、さすがはプロフェッショナル。すぐに表情を立て直して事務的に告げる。


「……あ、そうですか。イベントプレイは無料です。準備はよろしいですか?」

「は、はい」


 促されるまま、椅子に座った。

 画面には『TOUCH TO START』の文字が、誘うように点滅している。


 画面をタッチした瞬間、マシン全体が生き物のように反応した。


『サマー・スペシャル・ステージ!』


 爆音とともに、画面いっぱいに花火のエフェクトが広がる。


『見事クリアして限定カードをGETしよう☆』


 よし、さっさとクリアして――。


 そう高を括っていた俺の思考は、完全に停止した。


 画面に表示された情報量が、脳の処理能力をはるかに超えていたのだ。


 液晶の下には、複雑な幾何学模様が描かれた四つのカード置き場らしきエリア。

 画面上部には、『POINT』『COMBO』『SYNCHRONIZE』といった謎の英単語が並び、意味ありげに光っている。


 右上にはタイマーが無慈悲にカウントダウンを刻み、隣には星のマークが四つ、まだ一つも埋まっていない。

 中央では体育着の格好をした女の子のキャラクターが嬉々として左右に揺れ動く。


 ……これが、女児向けゲーム?


 俺は助けを求めるように、隣を盗み見た。


 九歳くらいだろうか。色素の薄い髪をした少女が筐体に向かっていた。

 隅には、彼女の物らしきぬいぐるみがちょこんと座り、主人の様子を見守っている。 


 少女の小さな手は、熟練の占い師がタロットを切るようにカードを操っていたが、視線はどこか遠くを見ているようで、表情からは感情が何も読み取れない。


「……ん、完璧」


 ボソリと囁いた途端、画面が虹色の光に包まれた。『FULL COMBO』の文字が踊り、スピーカーから祝福のファンファーレが鳴り響く。


 反対側の筐体では、小学校高学年と思しき女の子が、こちらはこちらで詰め将棋でも解くかのような真剣な顔つきでプレイしていた。


「このステージなら……コーデはクール系で統一。あとは……」


 ブツブツと呪文じみた言葉を呟きながら、迷いなくカードを配置していく。


『ゲームスタートまで、あと30秒』


 画面に大きく表示された残り時間と、急かされるような電子音が、俺を現実に引き戻した。


 やばい。本当にやばい。

 何をすればいいのか、さっぱり分からない。


 震える手で、鈴から預かったカードを取り出す。

 愛らしい衣装を着たキャラが、枠の中で微笑んでいる。

 これを、どこかに置けばいいんだよな? 笑ってないで教えてくれよ、『ひなみん』とやら。


『22、21、20……』


 えいやっと、真ん中のカード置き場に置いてみる。


 ――なにも起こらない。


 マシンは沈黙したまま、カウントダウンだけが無情に進んでいく。


『17、16、15……』


 場所が違うのか?

 焦って右の置き場にずらしてみる。

 やはり無反応。


『12、11、10……』


 裏表が逆か!?

 今度は裏返してみる。左の置き場に急いで置く。


 それでも、うんともすんとも言わない。


 手のひらに嫌な汗が滲む。

 周囲の子どもたちの楽しそうな歓声が、もはや別世界の出来事に聞こえる。親たちの温かい眼差しも、今の俺には突き刺さる針のむしろだ。


 簡単だって言ったじゃないか、鈴。

 音に合わせてカードを動かすだけだって。


『7、6、5……』


 もうダメだ。このままじゃクリアできない。限定カードが貰えない。妹との約束が――


「バカなの?」


 パニックに陥った俺の意識を、一本の槍のように鋭い罵倒が貫いた。


 熱気と喧騒に満ちたこの空間で、そこだけが切り取られたかのように澄み渡った声。まるで凍てつく冬の朝の空気のように、クリアで、冷たい響きだった。


 恐る恐る声のした方へ振り向くと、そこに、少女が一人立っていた。さっきの、詰め将棋の子だ。


 年は十歳か、十一歳か。妹の鈴と同い年くらいに見える。小柄な体躯に、驚くほど整った顔立ち。


 フリル袖のブラウスに、紺のジャンパースカート。艶やかな黒髪は控えめな赤いカチューシャで留められ、足元は白のハイソックスに革のローファー。


 埃ひとつない書架に並べられた、古い児童文学の世界から抜け出してきたような、深窓の令嬢といった佇まい。


 そんな美少女が、ゴミを見るような目で俺を見下していた。

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