俺とロリとアイリズカード ~女児リズムゲームで天才JSと過ごす夏~

中川隼人

プロローグ:真夏の試練 

第1話 ここは地獄か?(いいえ、女児ゲーイベントです)

 七月下旬の太陽は、朝から殺人的だった。


 アスファルトから湧き上がる熱気は、まるで地面の下にマグマでも埋まっているかのようだ。陽炎がゆらゆらと立ち上り、遠くの景色を水面の如く歪ませている。


 巨大イベント施設ペシフィコ横浜。

 無機質なコンクリートの壁面さえも、今は熱を持って俺たちを威圧していた。


 施設の入り口前には、まだ午前九時だというのに、気の遠くなるような長蛇の列。


 並んでいるのは、見渡す限り『親子連れ』だ。


 色とりどりの風船を握りしめた小さな手。

 推しキャラが描かれたうちわをパタパタと振る女児。

 親たちは日傘を器用に操りながら、我が子に影を作ってやっている。


 そんな平和で幸せな光景の中に、一人、明らかに場違いな『異物』が混じっていた。


 親子、親子、親子、たまにオタク――そして俺。


 鳴海奏多なるみ かなた。十七歳、高校二年生。

 保護者でもなければ、プレイヤーでもない。ただ妹の頼みでここにいる、完全なる部外者だ。


「ママー、あとどのくらい?」

「もうすぐよ、頑張ろうね」


 前に並ぶ子どもの声は、この暑さにもめげず弾んでいる。


 抱きしめた分厚いカードファイルには、膨らんでたり光ってたりするシールが所狭しと貼られていた。それだけで、所有者の愛の深さが知れるというものだ。


 振り返れば、似たような光景。小学校低学年と思しき女の子が、カードが入った桜色のケースを、まるで宝石でも扱うように両手で包み込んでいる。時折中を取り出しては、朝日に透かして眺め、うっとりと微笑んでいた。


 スピーカーからは、脳が溶けそうなほど甘ったるいBGMが延々と流れ続けている。


「キラリン☆」「ミラクル♪」「ドリーム☆」といった効果音が、一定の間隔で曲に混じる。


 壁一面に貼られたポスターには、パステルカラーの衣装を纏った二次元の美少女たちが、これでもかというほどの笑顔を振りまいていた。


『アイドリズム』――通称『アイリズ』。


 女児向けアーケードリズムゲームの、夏の限定配布イベント。


 それが、俺がここにいる唯一にして最大の理由だった。


「もうすぐ開場ですよー! 熱中症に気をつけてくださーい!」


 列を誘導するスタッフのお姉さんが、明るい声で呼びかける。

 ロゴTシャツに、頭にはうさ耳のカチューシャ。完全にゲームの世界観に合わせた装いだ。彼女たちのプロ意識には頭が下がるが、同時に俺の場違い感をえげつないほど際立たせてもいた。


「パパ、ちゃんとクリアできるよね?」

「昨日練習したから大丈夫さ」

「でも、イベント限定ステージは難しいって、りかちゃんが言ってた」

「心配ご無用、パパに任せなさい」


 隣の親子の会話が耳に滑り込む。

 父親の対応には、娘を安心させようという優しさと、若干の不安が混じっていた。


 俺は内心で鼻を鳴らす。


 たかが女児向けゲームだろう?

 リズムゲームなんてものは、結局のところ音に合わせてボタンを押すだけの単純作業だ。ゲーセンの太鼓ゲームだって、ダンスゲームだって、俺はそこそこやってきた。

 幼女でもクリアできるゲームに、十七歳の男が負けるはずがない。


 額から流れ落ちる汗を、手の甲で拭う。Tシャツは既に背中に張り付き、不快な湿り気を帯びていた。それでも列は少しずつ、確実に前へと進んでいく。


 なぜ俺がこんな場所で、こんな苦行に耐えているのか。


 ――その答えは、三日前に遡る。



***



「お兄ちゃん、お願いがあるの」


 夕食後のリビング。

 ソファでスマホをいじっていた俺の横に、妹のすずがちょこんと座った。


 少し離れていたはずなのに、じりじりとスペースを詰めてきて、わざわざ俺の真隣に座り直す。


 不自然に近いこの距離感は、何かをねだる時のサインだ。


「なんだよ、改まって」


 鈴は両手を膝の上で組み、もじもじと言葉を探している。

 いつもの妹らしくない、妙に緊張した様子だった。


「あのね、私、明日から遠征でしょ?」

「ああ、新体操の強化合宿な。一ヶ月だっけ?」


 幼い頃から、新体操を続けている鈴。ふわふわとした雰囲気からは想像もつかないが、県大会で入賞するほどの実力者だ。この夏は選抜メンバーに選ばれ、県外でみっちり特訓らしい。


 俺はというと『エアコンの効いた部屋でダラダラ』一択。

 ……血は繋がってるはずなのに、この差は何なんだ。


「うん。それで、その間に……」


 言いながら、鈴はテーブルの上に一冊のクリアファイルをそっと置いた。

 中を開くと、丁寧な丸文字で書かれたメモが挟まっている。


『アイリズ夏の限定配布スケジュール』


 七月二十六日、八月三日、七日、十五日――。

 日付と場所、貰えるらしいカードの名前がびっしりと書き込まれていた。


「アイリズって、あのキラキラしたやつか」

「うん。アイドリズム。私が好きなの、お兄ちゃん知ってるでしょ?」


 鈴の顔に、ようやくいつもの柔らかな笑みが戻った。

 アイリズの話になると、普段おっとりしている妹も少しだけ饒舌になる。


「限定配布のカード、集めておいてほしいな」

「……俺が?」


 上目遣いで俺を見上げてくる。

 断れるはずがない、という確信に満ちた、それでいて甘えた表情。


「でも俺、そういうの全然分からないぞ」

「大丈夫だよ。お兄ちゃんなら絶対できる」


 鈴は立ち上がり、隣により密着して座り直した。細い腕が、俺の左腕にそっと触れる。


「お兄ちゃんしか、頼める人いないの」


 この殺し文句だ。昔から妹はこの手を使う。そして俺は、毎回これに負ける。


「……しゃあない」

「本当? ありがとう、お兄ちゃん!」


 抱きついてきた。華奢な体から伝わる体温と、シャンプーの香りに混じるほのかな甘い匂い。妹からの無邪気な信頼が、断る理由を根こそぎ奪い去る。


「あ、これゲーム代」


 鈴は自分の部屋へ走ると、なにやら封筒を持って戻ってきた。

 中を覗いて、俺は目を剥いた。

 お札が何枚か。漫画みたいに二度見した。


「おい、なんでこんな金持ってんだよ」


 俺より金持ちじゃないか、と内心ツッコむ。小学五年生の持ってていい額じゃない。

 まさか、流行りのパパ……いかんいかん。そんなわけがない。


 鈴は少し恥ずかしそうに頬を染めた。


「お年玉とか、お小遣い貯めてたの。……ずっと、この夏のために」


 健気さに、胸が詰まる。

 遊びたい盛りだろうに、妹はこの日のためにコツコツと大切に貯めていた金を、俺なんかに託そうとしている。


 こんなもん、受け取れるかよ。


「いらねーよ」


 俺は封筒を突き返して、妹の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 ショートボブの柔らかな髪が、指の間をさらさらと流れる。


「鈴は合宿頑張るんだろ? だからこれは、お兄ちゃんからのプレゼント。限定カード、全部集めてやるよ」


 鈴の目が、みるみる輝いていく。


「え?! いいの? 本当に?」

「ああ。鈴が合宿から帰ってくる頃には、コンプリートしといてやる」

「わあ……! ありがとう、お兄ちゃん! 鈴、合宿もっともっと頑張るね!」


 鈴は両手を胸の前で組み、祈るようなポーズで喜んだ。

 安いもんだ。この笑顔が見られるなら、ちょっとくらいの出費なんて痛くも痒くもない。


「でも――」


 妹が、急に真顔になった。


「アイリズの課金圧、舐めちゃダメだよ?」

「課金圧って……」


 にこにこと笑っているが、不穏だ。

 小学五年生にして、俺より金銭感覚がしっかりしているのか、それとも狂っているのか。

 目が怖い。


「あのね、カードはね、ただ並べば貰えるわけじゃないの」

「え?」

「ゲームをプレイして、ちゃんと『合格点』出さないと貰えないんだよ」


 鈴の説明によると、限定配布といっても無条件ではないらしい。

 実際にゲームをプレイし、規定のスコアをクリアした者だけが、カードを手に入れる資格を得るという。


「……マジか」

「でも簡単だから。音に合わせてカードを動かすだけ」


 鈴は大事そうに保管されたカードをケースから取り出す。

 透明なビニール(スリーブというらしい)に入れられた四枚のカード。プリズムめいたホログラム加工が施され、ピンクの衣装を着た女の子のキャラクターが描かれている。


「これ、『ひなみん』。私のお気に入り」

「ひなみん……」

「このカード使ってれば、よっぽどじゃなければ大丈夫。お守りみたいなものだから、大事に使ってね」


 翌朝。

 鈴は大きなスーツケースを引きながら、玄関に立っていた。


「お兄ちゃん、本当にお願いね」

「ああ、任せとけ」

「約束だよ?」

「分かってるって」


 妹を見送りながら、俺は軽い気持ちで請け負っていた。

 たかが女児向けゲーム。カードを置くだけの簡単なお仕事。


 何も難しいことはないはずだ、と。


 その認識が、いかに甘かったか――





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