第2話 どんちゃんは騙されている
「どんちゃんは騙されている」
欧米映画の邦題みたいだなと最初に考えた。とぼけたタイトルとは裏腹に、画面が暗めで、内容は一貫してダーク。人もたくさん死んだりする。どんちゃんの部分がいくらなんでもダサすぎるだろ、タイトル詐欺にもほどがあるだろと、映画評論サイトに書きこまれるまでがセット。
「どんちゃんは騙されている!」
「とりあえず場所変えようぜ。目立つ」
生まれ持った素質として、どうしようもなく人の目を惹いてしまう人間というのが存在する。
今さっきも、ちょっと足を踏み入れただけで教室の雰囲気がかすかに変わるのを感じた。こうやって訪ねてきたのは一度や二度ではないというのに、未だ誰もが魔法にかかったように、突然現れた鈴川の一挙手一投足から目が離せない。
視線だけで確認すると、倉木さんもこちらを気にしているようだった。なにが起きたのかと、遠巻きにじっと見守っている。
「どんちゃんはだまされている~~~!!」
俺に背中をぐいぐい押されて教室から退場させられながら、すっかりお気に入りになったらしいフレーズを繰り返した。で、どんちゃんって誰だよ。答えは俺こと
小柄な体躯とは不釣り合いなパワフルさを発揮する鈴川を、なんとか強引に空き教室へと押し込んだ。今さら手遅れとはわかっているがせめてこれ以上人目につかないようにとしっかりドアを閉め、盗み見や盗み聞きに対処する。
どこかの部活動が使った名残か、それともどこぞの男女が秘密の逢瀬でもしていたのか、教室のカーテンは閉め切られていた。時間帯の割には薄暗く、思わず照明のスイッチを探しかけるところだったが、この先きっと大きな声では発信できない会話が展開されるのだろうと考えると、ちょうどいい気もした。
「ね、心当たりあるでしょ」
アイスブレイクは不要とばかりにすぐ本題へと移ろうとする鈴川。その簡明さや直球加減、言ってしまえば性急なところを、俺は結構好ましく思っている。ぐだぐだせず、変に飾らず、目的地に向かって最短距離で突き進む様子は、レーシングカーに重なる部分がある。性格そのものに機能美を感じるとでもいえばいいのか。
「ちょっと胡散臭いサイトにアカウント作って以来毎日のように芸能人からウン千通もメールが届くようになったのをなぜ……」
「絶対えっちなサイトじゃんそれ! いいから早くお姉さんに見せてみなさい」
実際には海外のスポーツ情報を翻訳して届けてくれるとかそういう感じのサービスだったんだけど、エロサイトの方がなんか面白そうだから訂正はしなかった。性欲に負けて個人情報を差し出す俺は、客観的に見てかなりウケると思う。
同い年のくせに急にお姉さんぶり始めた鈴川に、今この瞬間もぽこぽこ新着メールが配信され続けているメールボックスを見せる。送り主の名前は人気アイドルとかイケメン俳優とかばかり。なんでも、近しい間柄の相手には本音で話しにくいから、あえて距離のある俺を頼りたいのだという。見たところ全ての芸能人が一様に同じ悩みを抱えているから、芸能界って場所は超大変なのだろう。
「うーんと……」
おっかなびっくり画面をたぷたぷ触って、アドレスを確認し、文面を読み込む鈴原。「待て待て。リンクはだめ」青文字のハイパーリンクに触れそうだったのはさすがに止めた。笑える無害が、一気に有害化してしまう。
「どんちゃん、これもう無理。諦めて警察とか頼ろう?」
「これ系詳しいわけでもないのになぜ出しゃばった」
「ワンチャンあるかなって」
たはーと力なく笑った後、「いやいや違くてさあ!」と勢いよくセルフツッコミ。鈴原は巻き返しを図るように再度「どんちゃんは騙されている!」と言い直して、真横に並んでとある一枚の画像を俺に見せた。
暗がりに、男女がひとりずつ。ズームして撮ったからか画質は荒いが、ふたりの間でなにかの受け渡しがされているのは見て取れる。
「なにこれ、なんかの密売現場?」
一応すっとぼけてみると、鈴原がマジで今そういうのいいから、みたいなジト目を向けてくる。そもそも論、俺が騙されているといってこの写真を持ってきた以上、片割れの身元は初めから割れている。
受け渡されているのは茶封筒。中身は現ナマ。昨日の倉木さんとのやり取りを、隠し撮りされてしまったらしい。
ちょっとよくない状況だぞと、冷や汗がじわりと滲み始めた。理由はシンプルで、鈴川は他人のことをこそこそ尾行して盗撮までするような陰気くさいやつではないから。
「この女の子、一緒のクラスの倉木ちゃんでしょ。身長と髪型的に」
「違うけど? あ、ハイ、ごめんなさい嘘です……」
なんとか一部だけでも誤魔化したかったが、ダメだった。倉木さんのすらっとした長身モデル体型は、顔にブラインドがかかっていたとて人物特定を容易にする。俺が都合よく比較対象になってしまっていることもあり、どう頑張っても別人ですで押し通すことは無理そうだ。
迂闊だった。とにかく、この一言に尽きる。学校から距離があるのをいいことに、お互い警戒心が薄れていたように思う。それにしたってカメラへの警戒なんか普通はしねえよって話だが、結果的に撮られてしまっている以上は迂闊だったというほかない。
俺より頭一個分以上低い位置に、鈴川の顔がある。浮かべる面持ちは神妙とも思案げとも見えて、なにを言ったものか迷っているようだった。基本的にふるまいのほとんどが明るいやつだから、たまの真剣な表情が醸し出す深刻さは他と一線を画す。
「ひどいこと言うかもだけどさ」
「うん」
「倉木ちゃんみたいな美人さんがどんちゃん相手にするのって、その時点でなんかおかしいと思う」
「ほんとにひどいこと言うじゃん……」
ストレートな中傷にげんなりしつつ、じゃあお前はなんなんだよ、という当然の反論も浮かんだ。
倉木さんが男女問わず高嶺の花的な扱いを受けているとすれば、鈴川は特に男子一同から、めちゃくちゃありがたい存在として認知されている。
なんというか、華があるうえに隙が多い。暇があればあちこち動き回る活動的な性格のせいでいつだって短いスカートをひらひらさせていて、つい胸元に意識をやってしまう肉付きのよさがあって、極めつけには妙に距離が近い。勘違いを産む頻度でいったら圧倒的に倉木さんより鈴川で、去年も部活にスカウトするって名目で上級生から口説かれまくっていた。俺は俺で「鈴川と仲いいの?」って探りを一度や二度ではなく入れられたし、意図を汲んで「別にそこまで」と答えてあげると、みんながみんな安堵の表情を浮かべるものだった。自分にチャンスがあるかどうかはともかく、現状フリーであることが重要なのだと思う。
「だからね、目、さまそ? どんちゃんは美人のよからぬ企みに巻き込まれてるんだよ」
冗談ではない本気の心配。それを口調から感じ取る。
俺はこの手の善意に対して本当に弱いって自覚していて、どう説明したものかと既に頭がわやわやし始めていた。
「おかしいよ、女の子にお金渡して一緒にいてもらうなんて」
「ん?」
「それくらい切羽詰まってるんだったら、わたしが中学の友だちとか紹介してあげるし」
「んー?」
「とにかく、こういう不健全なのはこれっきりにしよ。ね、ね?」
「んんんー?」
もう一度、例の画像を眺める。俺は当事者だからバイアスがかかっていたが、たしかにこれはどこからどう見ても、男が女に謝礼金を支払うシーンだった。常識に照らし合わせると、だいたいそうなる。レンタル彼女とレンタル彼氏とでは需要が大いに違うのだ。
女日照りと欲求不満が行くところまで行った結果、俺が禁忌に手を染めた。それが鈴川の解釈。人間性への信頼がなさすぎやしませんかと涙が出そうだが、それだけ証拠写真の持つパワーが絶大なのだと思うことにした。言ってみれば、犯行現場をおさえられているに等しいわけだし。
「違う違う違う。鈴川、誤解なんだよ。これはそういうのじゃなくて」
「ホストと付き合ってるつもりの女の子はみんなそう言うんだ!」
「大ボケ探偵やめてね? っていうかこれ、俺が支払ってるシーンじゃなくて、受け取ってるシーンだから」
「…………?」
鈴川が訝しげに眉をひそめた。こいつはなにをのたまってるんだと、言葉にせずとも伝わってくる。「ちょっとした縁があって、頼みごとをされてるんだ」まだまだ理解に時間を必要としそうなうちに畳みかける。まさしく詐欺師の手口。つまり、鈴川は騙されている。「個人的なアルバイトだと思ってくれ。業務内容はお悩み相談」
おなやみ~? 首を90度近く傾けながら鈴川は言う。
「弁護士でもないのに相談でお金取ることなんてある?」
「倉木さんはそういうところをちゃんとしたがる人なんだ」
金銭が絡むことによって、当然のごとく義務や責任が発生する。それこそ、倉木さんが最重要視するポイント。
「自分の悩み事が他人に筒抜けになったら困るだろ。だけど、ひとりで抱え込むのはしんどい。そうなったらもう、きっちり報酬を手渡して口に戸を立てるしかない」
「それで、どうして頼む相手がどんちゃんになるの? 普通は仲良しの女の子に頼るでしょ」
「さっきのメールを思い出してくれ。距離の近い相手だからこそ話しにくいことだってある」
「詐欺メールじゃん……」
そこをつつかれるとぐうの音も出ない。古今東西、詐欺メールが論拠になったことなど一度もないから。
鈴川はそこまで頭のキレるタイプではないし、うまくやれば丸め込めるだろうという打算があった。そもそもああやって金銭の受け渡しをしていること自体、俺も倉木さんも表には出したくない。あまり褒められた行為じゃないってお互い理解しているし、ひとつの問題解決のために、また別の問題を招くようであっては本末転倒だ。
だけど鈴川は結構本気で俺のことを心配しているようで、たぶんまだ、俺が受け取る側だという発言についても半信半疑。疑似恋愛コンテンツにのめりこみすぎた中毒者は現実とフィクションの境界が曖昧になりがちで、もしかしたら俺もそうなのかも、と不安の目で見られている。誤魔化すための嘘と、狂信からくる認知の歪みは、一見しただけではその違いがわからない。
「……悪いけど、こっちは報酬もらってる身だから、好き勝手に依頼主のこと話すような不義理はできないんだ。頼むわかって」
「めちゃ怪しい」
「超同意だけど、お前が考えてるほど怪しくも危険でもないから。そこは信じてくれ」
「うーん。うーん……?」
唸りながら、再度画像を凝視する鈴川。
絵面からはたしかに、事件の匂いがする。どっちが支払ってどっちが受け取って、というのは実はどうでもよくて、学生間でこういうことするのは原則やめたほうがいいよねと言われたら、俺はもう「そうですね」と頷くしかない。
だけど、鈴川はそんなありきたりな正論は口にしなかった。
「まあ、御堂のやることに口出しする資格なんてわたしにはないか」
急に熱を失って、すぱっと自己解決。以降の追及もお咎めもなし。
うれしい結末のはずが、俺は余計な一言をこらえられない。
「言い方がさぁ……」
なんかもうちょっとあるだろうというか、寂しすぎやしないかというか。
信頼ゆえの放任ではなく、超えてはいけない一線を死守している感じ。鈴川は普段から押せ押せのイケイケで、なんでもポジティブに猪突猛進! みたいな性格なのに、たまに思い出したようにブレーキをかけることがある。その様子は外付けの緊急停止装置を作動させたように見えて、不安になる。
「だって、騙されてるわけじゃないんでしょ?」
「ああ、それはもちろん」
「なら、いいよ。どんちゃんがピンチだったらどうにか助けてあげたいけど、違うならいい」
階段を落っこちていくなら手を差し伸べるけど、のぼっていくのであれば関知しない。そんなニュアンス。俺にとって、ある種セーフティのような働き。
俺にお金を渡してくる女の子が胡散臭いのは当然として、それが義務であるかのようにふるまう鈴川の存在も大概だ。
ありがたいことのはずなんだけど、あまり素直に感謝はできない。こと鈴川に対し、俺は軽率な言葉選びを封じられているから。
「ところでその写真、どっから回ってきたんだ? ウチの在校生に向けて無差別にバラまかれてたりしたらかなり困るんだけど」
「昨日の夜、知らないアドレスから転送されてたよ。メールチェックする習慣なんてないから、気づいたのはついさっき」
「そうか」
昨晩に大量送信されていたとしたら、日中誰かしらに声をかけられるか、疑いの目で見られていたはず。だが、そういうのは感じなかった。倉木さんも、もしなにかあったら俺に相談しているはずだし。
変な写真が届いているかどうかみんなに聞いてみようかという鈴川の提案を、やんわり断る。拡散の心配は、たぶんない。
「じゃ、一緒に帰ろっか。ちょっと寄り道しちゃったけどね」
用事とかないでしょ? そう問いかけてくる鈴川に答える。
「それがあるんだな~」
「え、めずらし」
「どうしても今日中に片さなきゃいけないやつでさ」
犯人捜し。
実のところ、もうほとんど見当はついていたりするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます