第3話 面倒な後輩
運動部が、それぞれに活動を始めていた。
走り込みのかけ声とか、ボールが弾む音とか、学校の放課後といったらこれだよなと思わせる各種サウンドが聴こえてきて、なんだか安心する。
グラウンドをちらりと覗いてみたが、お目当ての顔はなし。去年のクラスメイトがちょうど近くでバットを振っていたので声をかけると、陸上部は現在、校舎外周をぐるぐるランニングしているとのことだった。
じゃあそこらへんで適当に突っ立っていれば問題なし。見立て通り、数分もするとジャージ姿の一団が走ってきた。先頭の男子集団は見送り、後ろにつける女子集団を確認する。――ひとり、目が合う。けれどそのまま、次の周回に移り走り去ってしまう。
こちらから声をかけるつもりなど毛頭なかった。俺はただ、なにか考えることがありますよみたいな表情でずっと立っているだけでいい。俺に超有利な、勝算しかない根競べ。
それは、始まって30分と経たないうちに終わった。無論、俺が勝利する形で。
「あんまりじろじろ見られると困るんですけど」
集団から抜け、ひとりの女の子が声をかけてきた。髪は短くて、ボディラインは走ることに特化したような流線形。いかにも陸上部って感じの出で立ちをした、一年生。
「メガネ先輩の視線が気になるってみんな言うから、代表して文句を言いに来ました」
「嘘つけ。こっち見てたのお前だけだったぞ」
「見てないですけど? 自意識過剰なんですけど?」
俺に対しての敵意をまったく隠さない姿には、一周回って清々しさすら感じるくらいだ。
桜庭ひさき。俺はこの後輩に、蛇蝎のごとく嫌われている。知り合ってから間もないというのに。
四月の初めを思い出す。新品の制服に着られている初々しい一年生の集団。それを遠くからぼんやり眺めていた俺に突然近づいてきて、桜庭はこう言った。「るりは先輩と金輪際かかわらないでください!」
るりは先輩、つまりは鈴川瑠璃羽。なんでも彼女たちは中学の先輩後輩らしく、1コ上の鈴川のことを大変に慕っていたそうだ。そんな桜庭は、鈴川が俺と親しくしている現状にかなり思うところがあるという。
いやいや、いきなり出てきてそんなこと言われても。俺はそういった意味合いの返答をして、以後もこれまでからふるまいを変えるようなことはしなかった。会えば鈴川とは普通に話すし、一緒に帰ったりもする。その様子を見られているからか、廊下とかですれ違うとめちゃくちゃ鋭く尖った視線を向けられる。
「とにかく、じろじろ見られると気分がよくないので、早くおうちに帰ってください。いいですか、ひとりでですよ」
「誰に案内してもらわなくとも自分の家にくらいたどりつけるが」
「わからないじゃないですか、そんなの」
どんだけ俺の学習能力を低く見積もってるんだって話だ。こっちは知性の象徴であるところの眼鏡までかけているというのに。
万に一つでも鈴川を伴って帰路につく可能性を排除したいからこその発言だとは思うが、俺は今の桜庭に、普段とは違う様子のおかしさを感じている。
いつもなら、もうちょっとチクチク小言で刺してくるやつなのだ。鈴川がどれほどすごくて、素晴らしい人物か。そして、お前がそばにいるようではその価値が落ちてしまうのだと暗に言ってくる。それに比べると、今日は追い払うまでの時間が短い。
「まあ、お前の気持ちはわからんでもない」
「なら早くしてください。こっちは部活抜けてるんですから」
「じろじろ見られるのは、たしかに不愉快な気分だった」
「…………」
その沈黙が答え代わりだった。
あまりに簡単な消去法。俺と倉木さんの立ち位置がかなり悪くなりそうな写真を撮っておいて、それが送り付けられたのは鈴川だけ。俺の評価を落として鈴川から遠ざけたい。だけど誰彼構わずバラまいたら、現状かなり近い距離にいる鈴川の評判まで巻き込み事故で悪化する。だから鈴川本人にのみお届けすることで、ダイレクトに俺の心証が下がるよう狙った。
「後ろめたいことしてる人が悪いと思いますけど」
キレ気味の自白。
もともと、送り主を隠しきる気がなかったのだと思う。桜庭が目に見えて悪態をつくのは、俺の前にいるときだけだ。鈴川の前では常時いいこちゃんぶっているから、あいつから疑われる可能性は限りなくゼロに近い。
「それを告発するのに尾行盗撮してたら同じ穴のムジナじゃない?」
「違います。悪をもって悪を制するんです。要するに、ダークヒーローです」
桜庭が毅然として言う。筋は通っていなくもないが、それはあくまで前提が成立する場合においての話。
「別に俺悪いことしてねえし」
「なにを言うんですか。女の子を連れまわし、支払いを丸投げして、それとはまた別にお金まで受け取ってるじゃないですか。これじゃあもはやメガネ先輩ですらありません。鬼畜メガネ先輩です」
「もしかしてお前、俺のこと外装パーツだけで認識してる?」
当たり前じゃないですかと桜庭が答える。
当たり前なのかよと俺が驚く。
「ってかそんな前からつけ回してたのかよ。鈴川への態度といい、桜庭ちょっとストーカー気質すぎないか」
「誰が好き好んでメガネ先輩なんて追っかけるんですか。あのファミレス、うちの近くなんですよ。部活帰りにたまたま見かけたら女の子に財布出させてるし、お会計はなんかすごい額だし、ぱっと見事件性しか感じませんでしたからね」
しょうがないだろ。昨日の倉木さんは俺にたくさん食べさせ、お会計のレシートをできるかぎり長くするのが目的だったんだから。
そんな反論はしまっておく。理解してもらえるとは思えない上に、話が今以上にこんがらがること間違いない。
「まあちょっとおかしな光景だったのは認めるけど、そこには俺たち当事者同士での納得も了承もあるわけで、外野のお前に土足でずけずけ踏みこんでこられてもな」
「じゃあ、あの写真のシーンはなんなんですか」
ちょっと勢いづく桜庭。
男女の奢り奢られ論争よりも、直接的な現金受け渡し問題の方がまずいだろうという常識的な感性。
「お金でしょう、あの封筒に入ってたのは」
「さあな。違うかもしれない」
「はあ?」
別に嘘は言っていない。ほぼ確実にそうであるのはわかっているが、俺は特に中身を検めることなく机の引き出しにしまったから。
ただ、そんな屁理屈が通用するわけがないのはお互いに承知している。
「ほら、そうやって誤魔化すからには、やっぱり後ろめたいことやってる自覚があるんじゃないですか」
別にそこは否定していないのだが、人にモノを伝えるというのは難しい。後ろめたいことだが悪いことではない。それが俺の認識にあたる。
「大方、あのきれいな女の子の弱みでも握って命令するままなんでもやらせてるんでしょう! るりは先輩にしたのと同じように!」
「俺のことエロ漫画の竿役かなんかだと思ってる?」
そうに決まっているじゃないですかと桜庭が胸を張る。
そうに決まっているのかよと俺が肩を落とす。
「先輩の毒牙によって、現在進行形で女の子が三人も苦しめられています。これをみすみす見逃すような私ではありません」
「ちゃっかり自分もカウントすんなよお前……」
「大体、メガネ先輩とかかわるようになってからずっと、るりは先輩が私に全然かまってくれないんですよ! こんなの絶対許せないですよねえ!?」
「100パーセント私怨じゃねーかこの野郎!」
「私怨以外でこんなことするわけなくないですか!?」
包み隠すのが面倒になってきたからか、本音を大胆に告白する桜庭。
夕日が差し込み始める中、堂々と立つその姿には貫録に似たものすら感じる。こうなったからにはちょうどいい頃合いだ、ここいらで徹底的にこのメガネを叩いてやるぞと、そんな強い意志が立ち上っている。
「そもそもがおかしいんです。なにかの間違いであってもるりは先輩と付き合えている超幸福な身分のくせに、なんでよその女にちょっかいかけてるんですか」
「付き合ってないし俺からちょっかいもかけてねえよ……」
「女の子を食い物にしているクズ男はみんなそう言うんです!」
「鈴川と同じ大ボケ論法駆使しやがって」
どっちがどっちに影響されたかまではわからないが、たしかにふたりが中学で親密だったのは伝わってくる。それが両者とも俺に事実とは乖離した疑惑の目を向けてくるようではやっていられないが。
俺が全然折れないのを見て、桜庭はどんどんヒートアップしていく。陸上部だけあって、体力オバケのようだった。
「いい加減罪を認めて自首とかしてください! メガネ先輩みたいな人は女の敵なんです! 敵! 敵敵敵!!」
「自首とかってなんだよ。せめて会話をさせてくれ会話を。俺だって鈴川にお前の本性がどんなもんか暴露するって切り札持ってるの忘れんなよ!」
「わーっ! 卑怯です卑怯! そういう盤外戦術はナシにしましょうねって、最初に約束したじゃないですか!」
「覚えのない約束を捏造しやがって……」
「っていうかその性欲で薄汚れた目でこっち見ないでください。穢れちゃう。もし間違って妊娠でもしたらどうするつもりなんですか!?」
「まず子どもの名前を考えるだろ。その後は少子高齢化を終わらせる希望の旗印にでもなんでもなってやる」
「いやぁ!!」
話し合いは平行線だった。そもそも議論になっているかどうかも怪しく、俺と桜庭はああでもないこうでもないとぎゃーぎゃー喚き合っているだけ。
ただ、桜庭は部活中で、いつまでも俺と話していられる余裕はなかった。陸上部の顧問は厳しいことで有名で、時間的にそろそろ練習を監督しにやってくる。
「別にお前が俺を嫌うのは勝手にすればいいけど、せめてあの写真だけは消してくれよ」
タイミングを見計らって頼む。この時間から、やるやらないの押し問答はできないと見越して。
すっぱいものを食べたような表情を浮かべ、桜庭は俺と校舎の方向を交互に何回か確認する。それはまるで優先順位を確認しているようで、さっきまでの感情一辺倒で大暴れしていた姿からは考えられないくらい理性的だった。
「別に、言われなくてもそうしますよ。たとえデータとはいえ、メガネ先輩の顔写真は持っていたくないですし」
「さすがに俺もそろそろキレておくべきだと思うんだけど、お前はどう?」
知りませんよと軽蔑の目で見られた。今までの人生で特定の個人からここまで酷烈に嫌われた経験はなく、すべてが新鮮だ。
「はい、これでいいですか。バックアップはしていないので、晴れてこの写真は私のスマホから完全消滅です」
「おう、ありがとう。……なんで俺が感謝してるんだ?」
「おそらく、私という善人に触れたことでメガネ先輩の中の悪の心が浄化されているんでしょう」
「絶対にそれだけはない」
目的は果たした。
俺と桜庭は仲良く世間話をするような間柄ではないので、即座に回れ右して退散する構えを見せる。
「私、許しませんからね!」
そんな俺の背中に、一方的に言葉が投げつけられる。俺はなにを言い返すでもなく、ただそれを聞き流す。
「るりは先輩、初めて知り合った頃とはすっかり別人みたいに変わっちゃったんです。ちょうど、メガネ先輩とかかわるようになってからです。私の先輩をおかしくしたあなたのこと、私、絶対許しませんからね!」
「…………」
いやいや、いきなり出てきてそんなこと言われても。
思ったけれど、口に出すことはしなかった。
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