ぶろーくんガール ~人間不信の美少女と、金で雇われて友だちをやっているクラスメイトの俺~
鳴瀬息吹
第1話 本日のお友だち料金
橋の欄干に腰かけた女の子が、風に吹かれながら脚をぶらぶらと揺らしている。真下を流れる川は連日の雨で増水していて、流れが速い。
危ないな。そう思って見ていたところを、向こうから話しかけられた。
「おにーさんおにーさん、ちょっとおはなししませんか?」
「いいけど、ひとまずそこ降りたら? 見てるだけでひやひやする」
「スポーツやってますよね、その感じだと」
こっちの言い分が聞き入れられず、一方的に話が続く。俺はジャージ姿でチーム名が刻まれたバッグも持っていて、女の子の言う通りの見た目だった。
「自分もね、スポーツやってるんですけど」
橋をつかみ、支えにしていた腕を大きく広げる。おいおい大丈夫かよと己の中の不安心配ゲージがどんどん蓄積されていくが、女の子はよっぽど体幹に自信があるのか、まるで表情を変化させることはない。
夕映えを背にして、上半身を前後左右にだらだらと動かしながら、その子は続けた。
「ここのところずーーーっと、成績が上がらなくて」
「スランプだと」
「簡単に言っちゃえば、そう」
「だからそんな度胸試しみたいなことを」
「ものすごく短くまとめたら、そう」
プロスポーツにもメンタルコーチが当たり前にいる時代だし、なにかしら無茶をして自分の殻を破ってみようみたいな考えは、極端すぎるとはいえ一応理には適っているのかもしれない。心身一致はすごく重要視されている。だからといって、やってることがなんぼなんでも危なっかしすぎやしないかという冷めた視点も当然自分の中にある。
「それで、なんとかしたくて、最近いろんな人にきいて回ってるんですけど」
どうすれば、うまくいくと思いますか。
シンプルで、それでいて初対面でも感じ取れる切実さが問いかけの中にはあった。
袖触れ合うも他生の縁というし、ちょっとは真面目に考えるべきなのかもしれない。
だから俺は自分自身の経験とも擦り合わせながら、たっぷり一分ほどかけて熟考に熟考を重ね、その果てに、ひとつの回答を導き出すことに成功した。
「練習?」
「…………やっぱりそっかぁ」
言って、切なそうに笑って。
女の子は、そのまま真下に飛び降りた。
********************
放課後のチャイムが鳴ってしばらく。部活や委員会のある生徒は既にわらわらと教室を出て行ったあとで、そのどちらにも当てはまらない俺は、特になにをするでもなく自分の机でぼーっとしていた。
二年生に進級し、クラス替えが行われてからもうそれなりに経つ。それなりというのはつまり、このクラスにおいて一番勉強ができるのは誰で、一番運動ができるのは誰で、一番リーダーシップがあるのは誰で――といった格付けが満足に済むまでの時間。
「ずっと教室残るのもなんだし、そろそろ外出よっか」
「どこ行くー? ガスト?」
「えー、また~~~?」
数人の女子グループが、かしましくおしゃべりをしていた。言うなれば、彼女たちはこのクラスにおいて一番華やかなグループ。流行に敏感で、お洒落で、キラキラしていて、なににおいてもそつがないような女の子たち。
「詩歌も行くでしょ?」
自然に、全員の視線が一点へと集まる。ひとり椅子に座ってみんなの話をにこやかにきいていた女の子に。
クラスで一番華やかなグループの中にあって、なおも一番の存在感を放つ女の子。
背が高くて、髪が長くて、ふるまいに品があって、なにより顔がきれいで。自分の所属は何組だと答えると、まず真っ先に「ああ、倉木と同じの」と言われるくらい広くから認知されている、特別な存在。
クラスも学年も問わず多くの男子から熱視線を送られている、超ド高目の一番星。
そんな倉木さんは、申し訳なさそうに両手を合わせながら言った。
「ごめんなさい。今日は家の用事があって」
ならしかたないか、という雰囲気になった。倉木さんの親が会社経営者で、ものすごい資産家だというのは周知の事実だ。お金持ちにはお金持ちの事情があるのだろうということでその場のみんなが納得して、せめて途中までは一緒に帰ろうと全員で連れ立って教室から去っていく。
教室に溶け込み、背景となってその一部始終を見送った。
一番目立って、一番好かれる、一番尽くしの女の子。いかにも自分とは違う世界の住人といった趣の存在。そんな相手であろうと遠巻きからなら眺められてしまうのが、学級というシステムのすごいところだなと思う。本来交わらない二本の線に、強引に接点を設けてしまう、人生全体で見てもここだけの特異点。――なんて、高校生にもなると前提として入試による学力選抜があるから、本当に遠すぎる存在とはすれ違うことすらできないというのが実際のところなんだけど。
「世知辛ぇ~~」
思いついたことをそのまま言葉にして呟いていたところに、一件のメッセージが届いた。
文章はない。ただ、住所を示すリンクがひとつ貼り付けられているだけ。
送り主の名は、倉木詩歌。
********************
指定された住所は学校からそれなりに距離のあるファミレスだった。時間帯もあって店内には制服姿の学生がそれなりの数見受けられたが、ウチの制服を着用していたのはただひとりだけ。その子の小さな手招きに呼び寄せられるように、対面へと着座する。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって」
「それは全然いいんだけど、これは一体……?」
四人掛けのテーブルの上には、既に所せましと料理の品々が並べられていた。てっきり他にも招かれた誰かがいるものだと思って周囲を見回してみるも、そんな気配はまるでない。
「まあまあ。とりあえず食べよ?」
冷めたらもったいないし。
ということで、早めに冷めそうで、かつ冷めたら格段においしくなくなりそうな料理から攻めることにした。ミートソースのパスタと、揚げ物系。それからピザも。
俺が淡々と食べ進めているのを見ながら、非常に満足げな表情を浮かべてコーヒーカップを傾ける倉木さん。てっきり一緒に食べるものだと思っていたのだが、どうやら今回は見る専らしい。
「俺ばっかり食べてていいの?」
「うん。むしろ
それは一体全体どういうことなんだという俺の疑問は、ばっちり顔に出ていたっぽい。
「私ね、ふと考えたの。ファミレスで限界まで豪遊したらどのくらいのお会計になるのかなって」
「それでいいのか社長令嬢」
「それと、フードファイターの人たちが山盛りの料理をぺろっと食べちゃう動画も好きなんだ」
「……まさか両取りしようとしてる?」
「御堂くん、細い割にたくさん食べるイメージあったから」
言う通り、胃袋にかなり余裕のある方だという自覚はあった。いわゆる痩せの大食い。だからってそれ専門に鍛えている人たちと比べられても困るけど、食べ盛りの同世代と比較するのなら、自分はそこそこ上位だと思う。
期待の眼差しを向けられながらも、一定のペースで食べ続ける。分厚いハンバーグ、口直しのサラダ、倉木さんが少しだけつまんだオニオンフライ。
俺が一皿一皿完食するたび、「すごいすごい!」と新鮮な喜びを見せる倉木さん。これってどういう時間なんだよ~~~?という疑問を内に噛み殺しつつ、ひとまずテーブルの上にあった分の料理を平らげてみせた。
だからといって終わりというわけではないらしく、追加注文をするべくベルで店員さんを呼び出す。メニュー表を片手に笑顔を浮かべる倉木さんに、聞くだけ聞いてみる俺。
「家の用事があるんじゃなかったっけ?」
「いけないんだ、盗み聞きなんて」
「しかたないだろ、座ってるだけで聞こえてきちゃうんだから。フードファイトはともかくとして、豪遊だったらあのメンバーでも十分できたと思うけど?」
「意地悪なこと言うなぁ」
お返しだと言わんばかりに、さらに大量の料理が注文された。「うぉ~~~ん」とか「ひゃ~~~」とか泣き言を吐きながらフードロス0へ向けて必死に箸を動かす俺と、これが見たかったんだよとばかりに目を細める倉木さん。内から見ても外から見ても変な光景なことには間違いなくて、時折通りがかりの客やら店員やらが物珍しそうにこちらをちらりと一瞥してくる。
目を惹くきれいな女の子と、それを尻目にひたすら食事をし続ける謎のメガネ。目立つなという方が難しい気もする。逆の立場なら、俺もさりげなく眺めている。
「ごはんをおいしそうに食べてる人を見ると、なんだか幸せな気持ちになるよね」
倉木さんが言う。
「血糖値の急上昇で俺は今にも気絶しそうだよ」
俺が答える。
「まあまあ」
「今の台詞への返答がまあまあってことあるか~?」
首を傾げつつ、第二陣もなんとかやっつけた。ここに来て再びメニュー表に手を伸ばした倉木さんを必死になって制止して、「ここから先は悪ふざけになっちゃうから!」と泣き落とし。食べきれるのなら冗談の範疇だけど、残してしまったら笑えない。食べ物の恨みが深めな国に生まれ育ったことを軽視してはいけない。
「からの~?」
「フリじゃないからな。マジで」
「ふふっ、嘘嘘。御堂くん見てたら私もおなかすいちゃったし、デザートでも頼もうかなって」
宣言通りに、季節限定のパフェを注文する倉木さん。いちごが贅沢にいくつも盛り付けられていて、彩り鮮やかだ。それを小さな口で、幸せそうに食べ進めていく。今の倉木さんが教室で見かけるときよりも少し幼く感じられるのは、たぶん俺の勘違いじゃない。
あんまりじっと見つめられるものだから、気まずくなったのかもしれない。「御堂くんってさ」倉木さんが大胆に話題を作ろうとするのがわかった。じろじろ見ていたのを咎められたらなにも言えないから、俺もおとなしくそれに乗っかった。
「お母さん、どんな人?」
「どんな人……っていうと、なんか難しいな」
「ああ、ごめんね。じゃあもっとシンプルな質問。御堂くんのお母さん、美人?」
「考えたことないなあ……」
ただ、言われてみれば、ということもある。家族が特別きれいだとか醜いだとか考えて生きている人はきっと少数派だ。しかし倉木さんの言葉をきっかけにして振り返ってみると、たしかに記憶の母親は美しかった。
「そういえばそうかも。身内評だからアテになんないと思うけど」
だからって、なんでいきなりそんな質問を?
話題にするのなら、もっと手近なやつがたくさんある。平日のほとんどを同じ教室で過ごしているのだから、どの授業が一番眠いかとかこの前のテストはどうだったかとか、話せることはいくらでも出てくる。
「やっぱり。そうだと思ったんだ。御堂くん、美人のお母さんから生まれた子の顔してるもん」
「そんなのわかんの?」
「うん、私と同じタイプ」
パフェ専用の細長いスプーンで、倉木さんが虚空に八の字を描いた。その動きがなんとなく、DNAの二重螺旋構造をイメージさせた。
「ちょっとした特技っていうかさ、昔からなんとなくわかっちゃうんだ。この人のお父さんは肩幅広めの長身だろうなとか、この人のお母さんは色白で指が細いんだろうなとか」
「子どもの要素を分解して親の像にたどりついてるってこと? すごい曲芸だな、それ」
「うーん、どうだろ。全部感覚任せだから、理屈じゃないんだよね。直感の囁き?」
言って、再びパフェをぱくり。俺と倉木さんがざっくり同じ区分に属していると言われると、ぜんぜん悪い気はしない。同じ人類である以外の共通点があるとは思っていなかったから。
改めて、その容姿のほどをうかがうことにした。
折に触れて手入れの大変さを嘆いている腰丈の黒髪は乱れも跳ねもなく均質に整えられており、肌は今スプーンにのせられたバニラアイスのように真っ白。顔にはしみもしわもなく、かわりにマジックペンで描いたのかと思わせるくらいジャストの位置に泣きボクロがひとつある。全体的に醸し出される高級で手の届きそうにない感じは、けっして家柄のみに由来するものではない。
倉木さんは、見上げるものにたとえたくなる。
春の桜。真夜中に浮かぶ月。教会のステンドグラス。基本的に触れたいと思わない、触れようとすること自体どこか失礼で禁忌的に感じられるような、はるか遠くの存在。
「だからかな、こうやって話すようになる前から、御堂くんにはちょっと親近感あったんだ」
「初耳だそんなの」
「初めて言ったから」
それから、ちくっと釘をさすようにもう一言。
「御堂くんの方は、私のこと知りもしなかったみたいだけど」
「……去年はクラス違ったじゃないすか」
「ふーん?」
「不遜だなあ。私のことくらいおさえておいてナンボでしょってその感じ」
「謙遜した方がいいかな? 私の存在感や知名度なんてまだまだですって」
「めっちゃ嫌味だ、それ」
「でしょ?」
自分の能力や影響力を正しく評価できていない人間は疎まれるし、わかったうえでへりくだるやつは印象が悪くなる。ちょっと調子に乗っているくらいが、人としては取っ掛かりが得やすい。
お金持ちで、美人。属性としてはいやらしいくらいのわかりやすさを持っていて、それゆえに倉木さんの認知度は高かった。俺が知らなかったのは、アンテナが死ぬほど低かったから。
「さじ加減が難しいの。あんまりふんぞり返りすぎると裏で嫌味を言われて病んじゃうし、だからってぺこぺこしすぎたらしすぎたで陰口きこえてきて鬱になるし。私の人間不信がどんどん加速しちゃう」
「そうやってさらっと心の闇チラつかせるのよくないぞ~」
持っている側には持っている側なりの苦悩があるらしい。そして、そんなのは当たり前のことだった。どんな背景があったにせよ俺たちは等しく16歳か17歳で、誰しもが精神的な未熟さや脆さを抱えている。
もしかすると今の流れやペースに乗る形で倉木さんがどんどんネガネガうじうじしていってしまうかなと危惧したが、そうはならなかった。
薄い桜色をしたきれいな唇を小さく動かし、若干視線だけ逸らして、こう言葉を紡ぐ。
「こんな話、御堂くん相手にしかできないんだもん」
「はい、こっから審議入るぞ」
人気者は大変だなとかなんとか適当に相槌を打って済ませてもよかったが、さすがに捨て置けないと感じた。
「審議?」
「今のが、やりにいってるかいないか」
「や……り……?」
「黒、と」
人狼ゲームよろしく倉木さんに黒確を出す。一応こうやって同じ時間を過ごす間柄として、明らかにヤバい行為には待ったをかけていかねばならない。
「あなたは今、特別感を演出しようとしましたね?」
「特別感というか、実際に御堂くんは特別でしょ? 学校終わり、知ってる人たちの目が届かない場所まできて一緒におしゃべりしてるんだし」
「そうやって羅列されると普通に怖いな。なんで俺ここにいるんだ?」
「私がお願いしたから。御堂くん、呼んだら絶対きてくれるもんね」
「ほらほらそういうとこそういうとこ!」
どこまでが計算で、どこまでが天然なのかわからない危なっかしさが倉木さんにはある。ある程度は狙ったうえで、プラスしてそれ以上の成果を引っ張り出してしまうような怖さ。相手がほしがっている、気持ちよくなれる言葉をピンズドで探し当ててしまうセンス。
他人とのかかわりに消極的で二の足を踏みがちな性格だから表面化していないが、その問題が解消され、世に解き放たれるとなったら未曽有の被害を産みそうな気がしてならない。具体的にはガチ恋量産モンスターになってしまう。
「勘違いを生みそうな発言は自制していかなくちゃ。結局、最後には自分が傷つくことになるんだから」
「いいよ、勘違いしても。それが御堂くんなら」
「今のは完全にやりにいってんな~」
またバレましたかとでも言いたげに、ちろりと赤い舌をのぞかせる倉木さん。とてもじゃないが人間不信がどうのと言うような女の子には見えやしない。
だけど事実として、倉木さんとそれ以外の学生との間には、たしかな溝がある。見えないように工夫して、気づかれないように細工を施しているだけで、目を凝らせばうすらぼんやり浮き出てくる半透明な壁はずっと存在している。そうでもなければ、わざわざ友だちの誘いを断ったうえで、俺をこんな場所まで呼び出したりなんかしない。
倉木さんはずっと、肩で息をしているようだ。酸欠なのにそれを隠して、終わりの見えない長距離レースを走り続けている。
そして、あろうことかそんな秘密を、俺だけが握ることになってしまった。
「はい、御堂くん」
軽く身を乗り出しつつ、倉木さんがこっちへスプーンを差し出してきた。それなりに量があったパフェの最後のひとくち。半分くらい溶けたアイスと、いちごのソースが混じり合っている。
「いるでしょ、デザート?」
「なに言っても意味深にきこえるんだもんなあ」
不満たらたらにぱくり。甘酸っぱいなあ。青春の味だなあ。そうやって余韻を噛みしめる俺を、倉木さんはただにこにこと見守っている。
「御堂くん、間接キスとか気にしないタイプなんだ」
「急に刺してくるし」
「気にして? 私も気にするから」
言って、もはや無用の長物となったはずのスプーンの先端を、自身の唇に押し当てる倉木さん。
「…………」
思いがけず、顔が熱を持つのがわかる。
この子をピンポイントで裁く法が現時点で存在しないのが、本当に恨めしい。――耳まで真っ赤にするくらいだったら、そんな無茶しなければいいのに。
腹ごなしに外を歩いている。同じ高校の生徒に見つからないよう、人目を気にしながら。
量を食べるには当然時間がかかるから、すっかり外は暗くなり始めていた。「あっという間だったね」なんて倉木さんは言う。5ケタにも及んださっきの支払いは当たり前のように彼女持ち。お礼を言うと、「成金の娘だから」と自虐的に笑っていた。
「お金持ちにも種類があるんだよ」
いつだったか、倉木さんが言っていた。何代、何百年とかけて財産を築き、守ってきた由緒正しいお金持ち。個人の腕っぷしと星の巡りに恵まれて、瞬く間に富を手にした突然変異のお金持ち。たとえ両者の持っている資産価値が同額の評価を受けていたとしても、その実情はまるで似て非なるものだって。
「私のお父さんは完全に後者」
昔から勉強がめちゃくちゃできて、しかも、あらゆることに意欲的だったという。そんな中、大学在学中に思い立って始めたビジネスが想像をはるかに超えて大きくなったらしい。
結果として巨万の富を獲得したはいいものの、結局はそこ止まり、ということだ。少数精鋭の天才を集めて目ざとく時流を見定め、未開拓のブルーオーシャンで荒稼ぎする戦略は、その属人性の高さゆえに再現性がまったくない。稼ぎ方のノウハウを構築できない以上、自分は幸運な一代成金にすぎない、というのが倉木さんのお父さんが語る持論らしい。俺はバカなので、シビアな世界なんだということしかわからなかった。
でも、悪いことばかりじゃないよというのが倉木さんの言。
何世代にも渡って倉木家を大きくしていこうみたいな思惑がまったくないおかげで、娘である倉木さんの将来はこれっぽっちも束縛されない。面倒な習い事を強いられることもなく、必要以上に学力を求められもしない。背負うものはないが支えになるものは多いという、最強の身分。
だけど、あまり羨ましいとは思えなかった。その話をしているときの倉木さんが、ちょっと自棄になっているように見えたから。
踏切にさしかかったところで、折悪しく遮断機がおりてきてしまった。がたんごとんと通過していく列車の風を受け、流されそうになる髪の毛をおさえる倉木さん。そういう仕草のひとつひとつが絵になって、見ている側に強烈な印象を与えてくる。ふるまいに説得力があるとでもいえばいいのか。この子は男子人気が高くて、女子からも憧れられる存在で、というどこか嘘くさい記号的な情報を、立ち姿ひとつだけで納得させられるだけの強烈な存在感。隣にいるからか、それをなおのこと強く感じる。
「見惚れちゃった?」
「うん」
素直に答える。
「へっ、へぇ~? そっか、そっかぁ」
倉木さんは露骨に動揺しながら、毛先を手櫛でいっぱい梳かしている。いろんな人から容姿を褒められてきただろうにイマイチ耐性のないところとかが、かなりあざとい。
そうこうしているうちに列車は通り過ぎ、緩慢に遮断機があがった。だけど倉木さんに歩き出す気配はなくて、それに合わせた俺もその場で直立不動。
ちょこんと、手の甲どうしが触れあった。近すぎたかなと思って半歩分距離を取ってみたが、同じだけ倉木さんが詰めてきたせいで、また当たる。
こん、こん、こん。振り子がリズムを刻むように手が触れ、そして離れる。相変わらずやってんなあこの子と思ってその手を取ろうとすると、今度は逆に逃げ出すようにするりと距離を取られた。なんで?
「俺、中学で身長が30センチ以上伸びて、地獄の成長痛を味わったんだ」
「…………?」
脈絡のない話を突然始めた俺を、倉木さんがどこか不安げな眼差しで見つめる。風で乱れた前髪と、ファミレスでゆるめたっきりそのままにしているネクタイ。みんなが彼女に抱く完璧なイメージから少しズレた、素顔の状態。
「解答欄を一個ずつ間違える大ポカをしでかしたせいで、中二のときの英語のテストで2点を取ったことがある」
「えっと、御堂くん……?」
「夏場の限界まで日焼けしてる時期に撮ったから、パスポートの写真で本人確認ができないんじゃないかと今でもちょっとおびえてる」
これ以上言っても置いてけぼりだと感じたので、止まる。脚色しないでエピソードトークの見出しだけを羅列しても、あんまりウケはよくない。
「はい、次は倉木さんの番」
「え、えぇ~? い、今でもたまにぬいぐるみ抱いて寝てる、とか……?」
「かわいすぎる。もうちょっと殻を破って、失敗談に絡めてもう一個」
「……音質にこだわって今でも有線イヤホン使ってるけど、正直無線との違いがまったくわかってない」
「そうそれ、そういうの!」
知らなくてもぜんぜん問題ないけど、いざ知っていたら相手がどんな人間なのか理解しやすくなるエピソード。どんな失敗をして、どんな嘘をついて、どんなことを恥ずかしく思うのか。親近感というのはそういう場所から生まれるのだと俺は信じている。
「みんなが彼氏とか好きな人とかについての話をしてるとき、経験豊富だけど今は良いかな……みたいな態度でやりすごしてる」
「いいじゃん、めっちゃ情けない」
「メイクはオールインワンばっかり使って適当に済ませてるけど、見せてって頼まれたときのためにほとんど使ってないちゃんとしたやつを持ち歩いてる」
「それはちょっと自慢入っちゃったな~」
「えっと、あとは……」
「もういいもういい。さっきよりもちょっとだけ、倉木さんについての理解度が上がった気がする」
「こんな話で、なにかわかるの?」
わかるとも。プロファイリングとまでは言わないけれども、個人の傾向みたいなものは、今のやり取りだけでもばっちり見えてくる。
「倉木さんは意外と見栄っ張りで、背伸びしたがりだというのがなんとなく」
「合ってるって認めたくない」
その発言自体が認めているようなものだというのは口にしない。
「だからちょっといたずらっぽく煽ってみるまではいいんだけど、その後になにが起こるかとなったときに尻込みする。具体的には、自分から出したはずの手をひっこめたり」
「…………」
ぷいっとそっぽを向いて、黙りこくる倉木さん。
意外とわかりやすいところがある、というのも追記しておくべきかもしれない。
どちらともなく歩き始めた。街灯がぽつぽつと点灯し始め、夜の始まりに片脚を突っ込んだ気分になる。影が長く伸び、心なしか昼間よりも足音が大きく反響して聞こえる。
「御堂くん、忘れるといけないから」
高架下の、小さなトンネルみたいになっているスペースで呼び止められた。どうしてもいたたまれなくて、バッグをごそごそ漁る倉木さんからわずかに目を逸らす。
この時間、俺はいつも、ひょっとすると自分はとんでもない悪人なのではないかと悩み、考える。そうするべきじゃないとわかっているからこの後にある楽しみなこと、たとえば海外サッカーを観戦しながら深夜ラジオを流し聴くささやかな趣味を思って気分を高揚させようと試みるんだけど、基本的にうまくいったためしはない。
そして常のように、いつの間にか倉木さんの準備は終わっている。
さっきまでの会話と雰囲気の延長線上。なんでもないことのように、さもそれが当たり前のことであるかのように、倉木詩歌の両手には、ひとつの茶封筒が握られている。
「はい、今日のお礼。いつも付き合ってくれてありがとう」
なんと言うべきか未だにわかっていないから、いつも適当な薄ら笑いだけ浮かべてそれを受け取る。中身がなにかなど、確認するまでもない。
謝礼とか、バイト代とか、呼び方はいくらでもある。だけどこれには、あまりにもぴったりすぎる既存の名称がひとつだけ存在した。
「じゃあね、御堂くん。またお願いするから」
「ああ、倉木さん。また学校で」
お友だち料金。
俺は金で雇われて、倉木詩歌の友人をやっている。
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