第十八話 諦め

 バッと、芳樹が沙良を振り払う。その顔は青ざめていた。


 木村は冷笑する。

「救えやしない。救えや、しないんだよ」


 沙良は芳樹の持っていた俺を奪う。

「私のぬいぐるみ、返してよ」



 冷たく、言い放つ。



 そうして二人で家に入っていく。


 何にもできない。

 芳樹も、俺も。


 二人を止められない。もう。

 


 おじさんが帰った後。


 彼女はぬいぐるみたちを抱いて泣いた。


 その感情は。その涙は。


 それがどこからくるものなのか、俺には分からない。


 俺が彼女にできる、事なんて。

 俺には、もう、分からない。


 だた、彼女から出る水分を俺に吸わせる事しか、できなかった。


 ぬいぐるみたちは黙っている。


 芳樹はどうだろうか。

 どう――しているだろうか。



 あの人は知っていた。


 私の全てを。


 そして。


 わかった。


 踏みつけにしていたのは私だった。


 私はあの人を、過去の全ての人を踏みつけにしていた。


 決して向き合わず、


 ほんとうを出さず、


 偽りだけを述べて。


 そしてそれ故に去っていく皆を。


 馬鹿にしていたのだ。


 恨んで、軽蔑していた。


 拒絶した後、気付いた。


 そんなのは当然だ。


 ああ、馬鹿は私だった。


 私は。


 おろか、だった。 



 布団の中。丸まって、いた。

 冬の朝。僅かな光に、目を覚ます。


 朝の光、車の音、椅子の硬い感触、牛乳の甘み、パンが焼ける匂い、――五感。

 母さんが用意してくれた簡単なご飯を食べる。


 気が付くと、俺はもとの体に戻っていた。


 人間。



 ピサメの――ぬいぐるみの体じゃない。


 芳樹の――人間の体だ。



 あいつは諦めたんだ、きっと。だから、――もどった。



 悔しい。とても、悔しい。


 沙良がだからじゃない。 


 あいつが、アイツが――諦めた事が、無性に。



 悔しかった。



 大学へ行く気力もなく、街を彷徨う。

 導かれるように、あの神社まで来ていた。


 拝殿の、大きな鈴。

 付喪神のところへ行く。



『おや? 今度は、人の身になったのですね。諦めた、のですか?』  



「諦めたのは俺じゃない。ピサメだ。俺はまだ、諦めて――ない」


『はは、面白い、面白いな、人の子――いや、ツクモノマエ、かな?』


 確かに、今の俺はどちらなのだろう。人でありながら付喪神の声を聞く俺は。


『お前はどう生きるのか? ツクモノマエとして? 人として? そして彼女を、どう救う?』


「そんなの、わっかんねぇよ」



『お前は傍観者だろう。人だとしても在り方はツクモノマエのそれに限りなく近い』



「俺は、人じゃなくて物だってか」


『お前は只人であった時から人を見てきた。そう。見る、だけ。決して介入なぞしなかったではないか。そんなお前がどう人と関わる? 関わり方なぞ知らぬのに』


「俺、は……」 


 確かにそうだ。

 俺には何もできない。術を、もたない。  


 でも……


「やれる事は、あるさ」 


『そうかの? ははは』


 そんな付喪神に、俺は踵を返した。


『去るか。――それも一興。もう会うことも、無いかもしれぬな……』


 まだだ。昼からなら――大学は、間に合う。 



 講義室に入る。

 ここが彼女と被る講義の筈だった。

 講義室をぐるりと見やる。



 

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