第8話

 夜。

 ついに、セルマさんと同じ部屋で寝る時がやってきた。

 風呂から出た僕は、まだ湿った髪を拭きながら、自分の部屋の前でしばらく立ち尽くしていた。

 胸の奥が落ち着かなくて、手が勝手に戸の前で止まる。


 本当に……セルマさんと一緒に寝るのか。


 深呼吸をひとつ。

 意を決して戸を開けると――


「あ、アル。ようやく来たのね」


 中には、いつもより少し落ち着いた雰囲気のセルマさんがいた。

 普段のような露出の多い服ではなく、淡い青色の、普通の寝間着姿。

 その姿を見て、僕は思わず胸を撫でおろした。


「あ、あの……こんばんは、セルマさん」

「ふふ、緊張してるの?」


 セルマさんは微笑みながらベッドの上を軽く叩く。


「そんなに怖がらなくても食べたりしないわよ?」

「い、いえ……そういうわけじゃ……」


 頬が少し熱くなりながらも、僕はセルマさんの隣からベッドに上がる。

 ふかふかの布団の感触がやけに気になって、寝返りも打てない。

 そんな僕の様子を見て、セルマさんはくすっと笑った。


「本当にかわいいわね、アル」


 その声に余裕があって、どこか甘く響く。

 僕の心臓は、なぜか少し早く鼓動を打ち始めていた。


「ねぇ、アル。やっぱり、ごめんなさい。一つだけお願いを聞いてくれる?」

「え、えっと、なんですか?」

「この寝間着、少し胸が苦しくて。第一ボタンだけ、外してもいい?」

「……あ、はい。そういうことでしたら……ど、どうぞ」


 僕がそう言うと、セルマさんは優しく微笑み、ゆっくりとボタンを外す。

 それだけの仕草なのに、なぜだか部屋の空気が少し変わった気がした。


「ありがと。……ねぇ、アル。アルは将来、どうなりたいの?」

「え……?」


 不意を突かれたように言葉が詰まる。

 僕は今まで、誰かにそんな風に聞かれたことがなかった。


「……僕は、ザーハさんやセルマさんみたいな冒険者になりたいです。

 強くて、頼りになって、誰かを守れるような」

「そうなんだ。意外ね」


 セルマさんは柔らかく笑って、天井を見上げた。


 「でも、アルならきっとなれると思うわ」

「……ありがとうございます」


 僕は少し照れくさくなって、視線を逸らした。

 けれどその瞬間、セルマさんの横顔が妙に穏やかで――普段の妖艶な雰囲気とは少し違って見えた。


「セルマさんって、なんだか今日、いつもと雰囲気が違いますね」

「そう? どんなふうに?」

「えっと……やさしいというか……お姉ちゃんみたいです」

「ふふ。お姉ちゃん、ね」


 セルマさんは少し驚いたあと、柔らかく微笑んだ。


 「じゃあ、いっそのこと“セルマお姉ちゃん”って呼んでみる?」

「そ、それはちょっと……恥ずかしいですよ……」

「あら、じゃあ普段の私に戻って、アルに悪戯しちゃおうかな?」

「えっ!? そ、それは……!」


 思わず声が裏返る。

 セルマさんは楽しそうに笑っていたが、僕の反応を見て目を細めた。


「……じゃあ、どうする? どっちがいいの?」


 僕は真っ赤になりながら、思わず口にしていた。


「そ、それだけはやめてください。せ、セルマお姉ちゃん」


 その言葉を聞いたセルマさんは、まるで満足そうに微笑む。

 そして、そっと僕の身体を引き寄せた。


「ふふ……よく言えました。よしよし」


 そのまま、優しく抱きしめられる。

 温かくて、柔らかくて、安心する匂いがした。


「嫌?」

「……い、嫌じゃないです」


 そう答えると、セルマさんは小さく笑って僕の髪を撫でた。

 穏やかな鼓動が耳に心地よく響いて、まぶたがだんだんと重くなっていく。

 こうして、僕は“セルマお姉ちゃん”の腕の中で、静かに眠りにつくのだった。

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