第3話 「世界の構造に触れる朝」



—1年後—  2021年2月2日



池袋。


小雨が降っていた。

街の喧騒は変わらない。

だが、龍の目には、

何かが“静かに変わっている”ように映った。

ビルの一角に掲げられた看板。


龍は、自分の美容室を作った。


名前は《Studio33》。


白地に黒のサンセリフ体。控えめだが、

確かに“ここにある”と主張していた。

「……一人サロンも、悪くないかもな」

誰に言うでもなく呟く。


笑い声も、スタッフの気配もない。

だが、龍はこの静けさを心地よく感じていた。

店内は白とグレーと木目調。

アンビエントが低く流れ、雨音がガラスを叩く。

龍は鏡越しに自分を見つめる。


「33って数字、エンジェルナンバーでは

     最強らしい。願いが叶うってさ」


「みんなで願いを叶えたい……

     そういう意味も込めてる」


倒産。失踪。疑念。

すべてを越えて、ようやく辿り着いた場所だった。

龍は深呼吸し、開業チェックリストを確認する。

(資金はギリギリ。スタッフなし。

全部、俺一人。……でも、俺の店だ。誰にも邪魔させない)

鏡の中の自分が、少しだけ笑った気がした。


 

■再び動き出す影



閉店後。

龍は椅子に腰を下ろし、

静まり返ったサロンを見渡す。

昼間の笑い声が消えた空間は、

不思議と広く感じられた。


PCを開く。

都市伝説、経済記事、陰謀論――

情報の海を泳ぐように、

検索窓にキーワードを打ち込む。

そのとき、

目に飛び込んできた社名に心臓が跳ねた。


「株式会社マルドゥク・インベスター・ソリューションズ……?」


金融、不動産、物流、IT、エネルギー――

スクロールしても終わらない。


そして、〈美容・エステ部門〉の欄に、

見慣れた名前があった。


株式会社ヴィーナスゾーングループ。



「……ッ」



龍の指が止まる。

(俺が店長だったのに……

これはヴィーナスゾーンの親会社?!

すら知らなかった)

さらに過去の買収履歴に目を走らせる。



〈前身:株式会社レムリアンテクノロジーズ〉



「レムリアン……?」



AI技術、自律型監視システム、人間行動解析――

現実離れした事業内容が並ぶ。

スクロールの途中、社是の欄に目が止まる。

〈社是:秩序の最適化〉

「……秩序の最適化?」

龍は声に出して読み上げる。


(世界の秩序って、誰が決めてるんだ?)


その言葉が、頭の奥に静かに沈んでいく。

まるで世界全体が、誰かの手で“最適化”されているような感覚。

美容室も、街も、人の動きも――すべてが“見えない設計図”に沿って動いているような。



(これはただの投資会社じゃない。

           思想がある……)



画面の赤いレンズが、

まるで“都市の目”のように光っていた。

龍の背筋に冷たいものが走る。



(黒崎の言葉……

     “何もしなくていい”って、あれは……)



鏡越しに自分を見つめる。

美容師の目ではない。

都市の深層を覗き込む“探索者”の目だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る