第3話 暁と武の境目
アルデリオンの王宮は、霊峰ベン・バハシュの麓、真北を頂点とした五芒の形を描いて聳える。五つの角はそれぞれ、王国を支える五つの理を象徴していた。
北は威の角、王の居する塔。
西は慈の角、聖母レナシアが見守る王妃の間。
東は暁の角、レナシアの髪──すなわち始まりの糸である若き王族の居館。
南西は智の角、大臣らが政を司る議政塔。
南東は武の角、騎士らが詰める軍の砦。
それらを結ぶ中央の謁見の間は、アルデリオンの心臓──すべての理を繋ぐ糸車であった。
暁の角の最も南、最も市井に近い者としてフィオネの居室はあった。彼女の小さなため息を、不安げに使用人たちが見つめている。数日ぶりに会った兄の無礼さに、「剣を抜いてくれてありがとう」などという自分の言葉に、彼女は落胆に近い感情を覚えていた。
──彼女は気付いていた。勇者と名付けられる彼は、おそらく"犠牲"になるのだと。今まで剣すら握ってこなかった一般人が、突然魔族との戦いに巻き込まれるのだ。それを犠牲と呼ばずしてなんと呼ぼう。
「ローガンがついているから、死ぬようなことはないと……信じたいけれど」
お守りのペンダントを握りしめる。あの日と同じぬくもりが──冷たさが返ってくる。このカメオの女神はいつも、変わらない笑みをたたえてここにあった。
外からは祭りのようなざわめきが聞こえてくる。それが"勇者"を祝う騎士たちのものだと思うと、胸が痛んだ。
都はすっかり勇者の話で持ちきりだった。三日後に武を学ぶため王宮へ召し上げられるとのことで、リアンはその準備に奔走している。
勇者となった日のクロード家はそれはそれは大きな笑いに包まれた。息子が珍しく夜遅く帰ってきたと思ったら、その日の夕刊に載った"勇者"になったとのたまわう──、リアンの両親はそれはそれは腹を抱えて笑った。あまりのことに騙されているのだとか、どこでそんな妄想をだとか。
「だから、本当なんだって」
「だったらその剣とやらはどこにあるってんだ」
「危ないから王宮に預けてきた…」
「がっはっは!まあそう言うしかねえよなあ!」
「僕が生身の剣持ってる方が危ないだろ!」
そうだなそうだな、と父は笑いながらリアンの肩を抱く。
決して二人の関係は悪いものではなかったが、いかんせん仕立て屋として父は長く生きすぎた。証拠のない話など全て父にとって冗談で笑い話だ。リアンもそれはよくわかっている。
「ねえ、何か悪い物を食べたりしてない…?」
「母さんまで」
大きくため息をついてはみたが、リアンにもこの状況を打開する策は思いつかなかった。とにかく、あの後言い渡されたように、この三日で王宮暮らしの準備を整えなくてはならない。まずは動くしかない──彼がまだ笑い転げている父を引きはがした頃、突然聞こえてきた馬のひづめといななき。
静かなざわめきが、家の戸を叩く。おずおずと母が開けた先には真っ白の鎧が、折り目正しく頭を下げていた。ローガンだった。
「クロード家の方々とお見受けいたします。混乱があるでしょうから、私のほうからもこれからの話をさせていただこうと思い、馳せ参じた次第です」
「ま、まあ、ご丁寧に」
それからローガンが家を出るまで、リアンの記憶は判然としない。おそらく今後のことを両親に話をつけて、その間に自分は自室で準備をしていたように思う。
気づけば白い騎士は、来訪したときと同じように玄関先で丁寧に頭を下げていた。
「あとは、これらのものも自前で用意しておいた方がいい。メモを渡すのを忘れていた」
「あ、ありがとうございます」
「……」
ローガンはどこか寂しそうに、悲しげな目でリアンを見下ろしていた。
「ええっと」
「……長らくお二人の顔を見ることは叶わぬだろう。よくよくこの三日を過ごせ」
「…はい」
「お前が元の仕立て屋に戻れるよう、全力を尽くすつもりだ」
肩を叩くローガンの手は、とても優しかった。
「はい」
大きくうなずくと、軽快な仕草で馬にまたがり騎士団長は帰路へ着いた。
彼の背を遠くに見ながら、ふと視線を感じて街を見やる。街の人々が「彼が…」「あの子が…」「あれが…」と小さく噂しているのがわかった。見知った向かいの八百屋のおばさんも、隣の幼なじみも皆一様に。いたたまれなくなってリアンは静かに戸を閉める。家の中は奇妙な静寂に包まれていた。
人生が変わっていくのを、ひしひしと感じた。
禍福は糾える布のごとし 真広 @mahiro_sksk
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