第一章:交錯する思惑

第一章-1

### 1


 黒羽事件から一週間が経った。


 大学は相変わらずの日常を取り戻していたが、俺——神崎蒼太の生活は、もう以前とは違っていた。


「おはよう、蒼太」


 教室に入ると、美咲が笑顔で手を振った。彼女だけは、何も変わらない。いつも通り、俺の隣の席で、ノートを広げている。


「おはよう。今日も早いね」


「蒼太が遅刻しないように、ちゃんと起こしてあげたじゃない」


 そう、最近、美咲は毎朝電話をかけてくれるようになった。俺が寝坊しないように、という理由だが——本当は、心配してくれているのだと分かっている。


「ありがとね」


「どういたしまして」


 彼女はいつもの笑顔を見せたが、その目には少しだけ不安の色が見えた。


 あの事件以来、美咲は俺のことをずっと気にかけてくれている。能力者として戦う俺を、ただの人間として心配してくれている。


 その優しさが、俺を支えていた。


「蒼太」


 突然、後ろから声がかけられた。


 振り返ると、柊真が立っていた。相変わらず鋭い目つきで、周囲の学生たちから浮いている。


「柊さん、大学にいてもいいんですか?」


「監視が仕事だからな。それに——」


 彼は小声で言った。


「白鳥さんから連絡だ。放課後、本部に来い」


「分かりました」


 柊は頷いて、教室を出て行った。


 美咲が不安そうに俺を見た。


「また、任務?」


「多分ね」


「危ないこと、しないでね」


「大丈夫だよ」


 俺は彼女の頭を軽く撫でた。美咲は少し照れたように笑った。


### 2


 放課後、俺はAEGISの本部に向かった。


 本部は、表向きは普通のオフィスビルだが、地下に巨大な施設が広がっている。能力者専用の訓練場、研究室、拘置所——すべてが揃っている。


「神崎くん、来たか」


 白鳥麗華が出迎えてくれた。


「お久しぶりです」


「忙しくてね。黒羽の尋問や、後始末に追われていた」


 彼女は疲れた様子だったが、その目は鋭かった。


「で、今日は何の用ですか?」


「新しい任務だ」


 白鳥は資料を俺に渡した。


 そこには、一枚の写真が添付されていた。若い女性——おそらく二十代前半。黒髪のショートカットで、鋭い目つきをしている。


「彼女は?」


「神月結衣。能力者だ。そして——行方不明になっている」


「行方不明?」


「ああ。一週間前、彼女は任務中に消息を絶った。最後に目撃されたのは、渋谷の廃ビルだ」


 白鳥は地図を広げた。


「彼女が追っていたのは、『ファントム』と呼ばれる裏組織だ」


「ファントム?」


「能力者を集め、違法な活動を行っている組織だ。武器密売、暗殺、誘拐——何でもやる」


 白鳥の表情が険しくなった。


「そして、最近の情報では、彼らが『模倣能力者』を探しているという」


 俺の背筋に冷たいものが走った。


「俺を?」


「おそらくな。黒羽との戦いで、君の能力は知られてしまった」


 白鳥は俺を見た。


「神崎くん、君には神月結衣を探してもらいたい。そして、ファントムの動きを探ってほしい」


「でも、俺はまだ——」


「未熟だと言いたいのか?」


 白鳥は首を振った。


「君は黒羽を倒した。それだけの力がある。そして——」


 彼女は真剣な目で言った。


「君の能力は、この任務に最適だ」


### 3


 その夜、俺は渋谷の廃ビルに向かった。


 柊も同行している。


「緊張してるな」


「まあ、初めての本格的な任務ですから」


「心配するな。俺がついてる」


 柊は不敵に笑った。


 廃ビルは、取り壊し予定の古いオフィスビルだった。窓ガラスは割れ、壁には落書きが施されている。


「ここが最後の目撃場所か」


 柊が周囲を警戒しながら言った。


「痕跡を探そう」


 俺たちはビルの中に入った。


 内部は暗く、埃っぽい匂いがした。階段を上がり、三階のフロアに到着した時——


 異変に気づいた。


「柊さん、これ——」


 床に、焦げた跡があった。


「能力の痕跡だな」


 柊がしゃがみ込んで調べる。


「火炎系の能力者が戦った形跡だ。おそらく、神月結衣だろう」


「彼女は火を使えるんですか?」


「ああ。かなり強力な炎使いだ」


 その時——


 突然、背後から殺気を感じた。


「伏せろ!」


 柊が叫ぶ。


 俺は反射的に身を低くした。


 次の瞬間、俺たちがいた場所に、鋭い氷の槍が突き刺さった。


「誰だ!」


 柊が立ち上がり、能力を発動させる。


 暗闇の中から、人影が現れた。


 黒いフードを被った人物——その手には、氷の刃が握られていた。


「お前たちも、AEGISの犬か」


 低い声。男性だ。


「ファントムの構成員か?」


 柊が警戒しながら問う。


「さあな」


 男は氷の刃を構えた。


「だが、お前たちはここで死ぬ」


 瞬間、男が動いた。


 驚くべき速さで、柊に迫る。


 柊も負けじと防御結界を展開——しかし、氷の刃は結界を貫通した。


「くっ!」


 柊が後退する。


 俺は——その動きを見ていた。


 男の動き。氷を操る能力。すべてを目に焼き付ける。


 そして——


 俺も動いた。


 男の背後に回り込み、同じように氷の刃を生成する。


「なに!?」


 男が驚愕の表情で振り返った。


「お前、模倣能力者か!」


「そうだ」


 俺は氷の刃を振り下ろした。


 男は咄嗟に防御したが、俺の一撃は彼の氷を砕いた。


「くそっ!」


 男は後退し、窓から飛び降りて逃げた。


「待て!」


 柊が追おうとしたが、俺が止めた。


「追わなくていいんですか?」


「いや、今のは陽動だ」


 柊は廃ビルの奥を見た。


「本命は別にいる」


### 4


 柊の予想通り、ビルの最上階に何かがあった。


 扉を開けると、そこには——


 拘束された女性がいた。


 神月結衣だ。


「神月さん!」


 俺たちは駆け寄った。


 彼女は意識がなく、特殊な拘束具で縛られていた。


「これは——能力封じの拘束具だ」


 柊が拘束具を解こうとする。


 その時、背後から声が聞こえた。


「よく来たね、模倣能力者」


 振り返ると、そこには——


 スーツを着た中年の男性が立っていた。落ち着いた雰囲気だが、その目は冷たく光っている。


「お前は?」


「私の名は、霧島。ファントムの幹部だ」


 霧島は微笑んだ。


「君のことは聞いているよ、神崎蒼太くん。模倣能力——実に興味深い」


「神月さんを返してもらおう」


「ああ、彼女か。囮として丁度良かったよ」


 囮——


 俺たちは、罠にかかったのだ。


「君を捕らえるために、わざわざ彼女を使ったんだ。感謝してほしいね」


 霧島が手を振った。


 瞬間——


 周囲の空間が歪んだ。


「これは!」


 柊が驚く。


「空間操作能力か!」


「正解」


 霧島は余裕の表情だった。


「さあ、神崎蒼太くん。君の能力、見せてもらおうか」


 空間が収縮していく。


 逃げ場がない。


 俺は——霧島の動きを見た。


 手の動き、能力の発動方法。


 そして——


 俺も同じように手を振った。


 空間が——逆に膨張した。


「なに!?」


 霧島が驚愕の声を上げる。


「まさか、空間操作まで模倣するのか!」


「できるみたいです」


 俺は霧島に向けて、空間圧縮を放った。


 霧島は咄嗟に防御したが、その隙に柊が神月結衣を抱えて脱出した。


「逃がすか!」


 霧島が追おうとする。


 だが——


 俺は氷の刃と空間操作を組み合わせて、霧島の動きを封じた。


「くっ——」


 霧島は苦々しく呟いた。


「今日のところは引いてやる。だが、次は——」


 彼は空間を歪めて、姿を消した。


### 5


 神月結衣を救出し、AEGISの本部に戻った。


 彼女は医務室で手当てを受け、意識を取り戻した。


「ありがとう、助けてくれて」


 結衣は弱々しく微笑んだ。


「無事で良かったです」


「君が、模倣能力者の?」


「はい、神崎蒼太です」


「噂は聞いてた。まさか本当に、見ただけで能力をコピーできるなんて」


 結衣は興味深そうに俺を見た。


「でも、気をつけて。ファントムは本気であなたを狙ってる」


「どうしてですか?」


「彼らは、究極の能力者を作ろうとしてる。そのために、様々な能力者を集めてる」


 結衣は真剣な表情で言った。


「あなたの模倣能力は、彼らにとって最高の素材なの」


 素材——


 嫌な言葉だった。


「それと——」


 結衣は声を潜めた。


「ファントムには、政府の人間も関わってる」


「政府?」


「ええ。AEGISの中にも、内通者がいるかもしれない」


 俺は背筋が凍る思いだった。


 敵は、想像以上に深く、広がっているのかもしれない。


### 6


 その夜、俺は美咲と電話で話していた。


「今日も危ないことしたんでしょ」


 彼女は心配そうに言った。


「まあ、ちょっとね」


「蒼太、無理しないでね」


「大丈夫だよ。俺には、美咲がついてるから」


 その言葉に、美咲は少し黙った。


 そして、小さな声で言った。


「蒼太、私ね——」


「ん?」


「いや、何でもない。また明日ね」


「うん、おやすみ」


 電話を切った後、俺は考えた。


 美咲は、何を言おうとしたんだろう。


 そして——


 俺にとって、美咲は何なんだろう。


 友達——


 それだけじゃない気がする。


 でも、今はまだ、その答えを出す時じゃない。


 俺は、まずこの戦いを生き延びなければならない。


 美咲のためにも——


### 7


 次の日、大学で柊から連絡があった。


「神崎、白鳥さんが呼んでる。緊急だ」


 俺は授業を抜けて、本部に向かった。


 白鳥は深刻な表情で待っていた。


「神崎くん、ファントムが動いた」


「また?」


「ああ。今度は大規模だ。彼らは、都内の複数箇所で同時にテロを起こすつもりらしい」


 白鳥は地図を広げた。


「そして、その混乱に乗じて、君を誘拐するつもりだ」


「俺を?」


「そうだ。神月結衣から情報を得た。ファントムは、君の能力を利用して、最強の能力者を作ろうとしている」


 白鳥は俺を見た。


「神崎くん、危険だが——君の力が必要だ」


「分かりました」


 俺は即答した。


「でも、条件があります」


「条件?」


「美咲——春川美咲を守ってください。彼女を巻き込みたくない」


 白鳥は少し驚いたような表情を見せた。


 そして、頷いた。


「分かった。彼女には護衛をつける」


「ありがとうございます」


 俺は覚悟を決めた。


 ファントムとの戦いが、本格的に始まる。


### 8


 作戦は翌日に実行されることになった。


 ファントムが狙っているのは、渋谷、新宿、池袋の三箇所。


 AEGISは、それぞれに能力者チームを配置する。


 俺は、渋谷班に配属された。


 メンバーは、俺、柊真、そして神月結衣。


「よろしくね、神崎くん」


 結衣は回復して、すでに戦闘態勢だった。


「こちらこそ」


「君の能力、実戦で見せてもらうわ」


 彼女は自信に満ちた笑みを浮かべた。


 柊が言った。


「油断するな。ファントムは本気だ」


「分かってます」


 俺たちは渋谷のスクランブル交差点に向かった。


 そして——


 予告通り、事件が起きた。


 突然、空中に巨大な火球が現れた。


「あれは!」


 結衣が叫ぶ。


 火球が、交差点に向かって落下してくる。


 パニックになる群衆。


 俺は——結衣の能力を思い出した。


 彼女は炎使いだ。


 ならば——


 俺も炎を操れる。


 俺は手を上げ、結衣の能力を模倣して、炎の壁を作り出した。


 火球は壁に阻まれ、爆発した。


 衝撃波が周囲に広がるが、被害は最小限に抑えられた。


「すごい——」


 結衣が驚いた様子で俺を見た。


「私の能力を、完璧に——」


「ありがとうございます、参考にさせてもらいました」


 だが、これは始まりに過ぎなかった。


 次々と、能力者たちが現れた。


 ファントムの構成員だ。


「来たか」


 柊が戦闘態勢に入る。


 俺も——拳を握った。


 戦いが、始まる。


### 9


 ファントムの能力者たちは、訓練されていた。


 組織的に動き、連携攻撃を仕掛けてくる。


 だが——


 俺には、彼らすべての能力が見える。


 炎、氷、雷、風——


 あらゆる属性の攻撃が飛び交う中、俺はそのすべてを観察し、記憶し、模倣した。


 そして——


 それらを組み合わせて、反撃した。


 炎と風を組み合わせた爆炎。

 氷と雷を組み合わせた氷雷。


 俺の攻撃は、敵たちを圧倒した。


「なんだ、こいつ——」


 敵の一人が怯む。


「これが、模倣能力者か!」


 柊と結衣も、俺を援護してくれた。


 三人の連携で、次々と敵を制圧していく。


 だが——


 その時、空間が歪んだ。


「また会ったね、神崎蒼太くん」


 霧島が現れた。


「お前——」


「今日こそ、君を連れて帰らせてもらう」


 霧島は手を振った。


 空間が収縮し、俺を包み込もうとする。


 だが——


 俺はすでに、霧島の能力を理解していた。


 俺も空間を操り、霧島の攻撃を相殺する。


「無駄だ。もう君の能力は見切った」


「くっ——」


 霧島は焦りの色を見せた。


 そして——


 彼は、何かを決断したような表情になった。


「ならば、こちらも本気を出すしかないな」


 霧島の体から、莫大なエネルギーが溢れ出した。


「これは——」


 柊が驚愕の声を上げる。


「複合能力だと!?」


 霧島は、空間操作だけではなかった。


 彼の体から、炎、氷、雷——あらゆる属性のエネルギーが放出された。


「私もまた、複数の能力を持つ者だ」


 霧島は不敵に笑った。


「さあ、模倣能力者。私のすべてを模倣できるかな?」


### 10


 霧島の攻撃は、圧倒的だった。


 空間操作、炎、氷、雷——すべてを同時に使いこなし、俺たちを追い詰める。


 柊と結衣は防戦一方だった。


 俺は——


 霧島の動きを、必死に観察した。


 彼がどうやって複数の能力を同時に使っているのか。


 そのメカニズムを理解しようとした。


 そして——


 分かった。


 霧島は、能力を切り替えているのではない。


 同時に発動させているんだ。


 複数の能力を、並列処理している。


 ならば——


 俺にもできるはずだ。


 俺は深呼吸した。


 そして——


 今まで見てきたすべての能力を、同時に発動させた。


 柊の防御結界。

 結衣の炎。

 さっき倒した敵の氷と雷。

 そして、霧島の空間操作。


 すべてが、俺の中で融合した。


 そして——


 放たれた。


 光と闇が交錯する。


 霧島の攻撃と、俺の攻撃が、正面からぶつかり合った。


 轟音。


 衝撃波が周囲に広がり、ビルの窓ガラスが砕け散った。


 そして——


 霧島が、膝をついた。


「まさか——本当に、すべてを——」


 彼は信じられないという表情で、俺を見た。


「お前は、化け物か——」


 その言葉を残して、霧島は倒れた。


 戦いは、終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る