花空リチは議論の楽しさを知らない?

議論がひと段落し、部室の空気がようやく少し柔らかくなったころだった。


紙皿に残ったクッキーの欠片を見ながら、

リチがぽつりと呟いた。


「……うーん」


誰もが顔を上げる。

リチは頬をほんのり赤くして、

小さく笑った。


「たのしーーーー!!!」


部室に響くその声は、あまりにも唐突で、あまりにも無防備だった。


 シオリ先輩が目を丸くする。

「……な、なにごとだ!?」

 ナツメ副部長は驚きながらも口元を押さえて笑い、

 トコ先輩はペンを止めてじっとリチを見た。


そんな中俺だけは、一瞬呆気にとられたような顔をして、すぐにふっと小さく笑ってしまった。


「ど、どうしたんだ?花空」

シオリ先輩が尋ねると、リチは勢いのまま言葉を続けた。


「私、今までこういう話、誰ともできなくて!今日話した、“宗教”とか“信仰”とか“神様”のこと、真面目に語ったら絶対引かれるって思ってたのに……

みんな、ちゃんと聞いてくれて、考えてくれて――」


その瞳が、ほんの少し潤んでいた。


「こんなに人生で楽しかったこと、なかなかないんです!」







「もし神様がいたら、いま“ありがとう”って伝えたいです!」






その一言に、部室の空気がふわりと揺れた。


決して、誰も笑わなかった。


ただ、静かにその言葉の熱を受け止めた。


ユカ先輩が最初に口を開いた。


「……そういう理由で信じるのも、悪くないわね」


彼女の声には、先ほどまでの冷たさが消えていた。代わりに、少しだけあたたかい微笑みがあった。


「“信じたいから信じる”って、

 いちばん人間らしい信仰かもしれない」


トコがゆっくりと頷く。

「理屈を超えて“好き”とか“楽しい”で信じる……それ、哲学よりずっと強い気がします」


「たしかにな!」シオリ先輩が笑う。

ナツメが柔らかく続ける。

「理屈よりも、心が動く方が真実に近いときもある……そういうことですね、リチさん」


「はいっ!」

リチは胸を張って笑った。

「そういうことです!」


ユカ先輩はその笑顔を見つめながら、

紙コップの中のジュースをくるくると回した。


「……ねえ、花空さん」

「はい?」

「あなたの言う“神様”って、

 きっと“あなたが人とつながれる瞬間”のことなんだね」


 リチは少し考えて、うん、と頷いた。

「そう……?かもしれません。

だって今日、初めて“説明できないくらい嬉しい”気持ちになったから」


 その言葉に、俺は何も言えなかった。

 ただ――胸の奥で、何かが音もなく崩れた気がした。理屈で説明できないものを嫌う俺は、“説明できない”という言葉が、

こんなにも優しく響く事が出来るとは思わなかった。


夕陽が完全に沈むころ、ユカ先輩が立ち上がった。

「……やっぱり、いい部ね。

 今日の議論、たぶん忘れない」


 彼女の微笑みはどこか柔らかく、

 ほんの少し、救われたように見えた。


「私もです!」リチが笑う。

「またお話したいです!」

「ええ、ぜひ。……神様の話の続きを」


カサネは黙ってその光景を見ていた。

リチの笑顔が、 ほんの一瞬、“祈り”のように見えた。


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