水色歯車
クワ
大切な歯車
キィキィ
男はブランコに腰を掛けゆらゆらと揺れていた。
「はあ」
ため息をつき皺のよった腕についている時計に目をやる。
十四時十三分
その瞳は虚ろで捉えどころのない視点と相成って男の境遇を物語っていた。
「……帰るか」
みっともない姿を下校途中の小学生たちに見せたくない、ただそれだけの理由であった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
男が家に帰ると、奥から男の妻の落ち着いた声が返される。
棚に鞄を置く。今は中を見たくない。
「今日はどうでした?」
「……ダメだった」
「……そう」
男の妻は寂しそうな顔を一瞬見せると、すぐに忘れるように破顔し「まだ大丈夫ですよ」と男を励ました。
「ああ、そうだな」
確かに早期退職の割増手当がそれなりの額でたことと雇用保険でしばらく生活には差し支えないことは確かではあった。
男は押し入れを開け、かつての仕事道具を取り出した。
ドライバー、ペンチ、テスター、はんだこて、グリス、機械油、ハンマーetc。
男は固くなったペンチ数種類に一つずつ丁寧に油を刺しては動かしてちょうどいい塩梅に整備する。
「なんだこれ?」
工具袋の中に小さな水色の歯車が入っている。
「ああ、これか、誰かのが混じったのかな」
そう言って何気なく工具袋の中に放り込んだ。
夜、男は流しっぱなしになっているテレビの前ではたと止まって見入る。
徳川家康が天下を取った後一度裏切った経験がある本田正信を重用し三河以来の武辺者、本田忠勝、榊原、大久保、酒井を軽視したという内容であり、大久保彦左衛門の徳川家に忠誠を尽くしてなおぞんざいに扱われることを哀愁を込めて見せている番組であった。
彦左衛門は言う「なぜ大殿はかの佞臣を用いて我らをないがしろにするのか」
「……」
男はその場にあぐらをかいて座った。
彦左衛門は再び言う「子孫に申し伝える、例えどのような境遇であれど殿を徳川を恨んではならない」
「……」
番組が終了すると、男はすくと立ち上がり自室に戻りパソコンを立ち上げた。
しばらくした後、XPの文字と共に立ち上がったパソコンにてインターネットエクスプローラを立ち上げると、いつものYahooの赤い文字が躍り出る。
トップには半年ほど前に起こったリーマンショックの影響で世界中の景気が悪いという記事である。
男はしばらく大久保彦左衛門を検索して色々な人が作ったブログなどを流し読みをしていく。
「こんな時間は本当に久しぶりだな」
男は元々理系のエンジニアだけあってこだわりが強く、興味を持ったらトコトン調べるたちである。
「私も前の会社を恨めないんだよなぁ」
若いころの思い出が頭の中を駆け巡った。
「あの頃は楽しかったなぁ」
会社に普通に泊まり込んで図面を引いて、試作品を作って一喜一憂していたころ、まさかこのようになるとは想像もしていなかった。
夢中で検索していると時間が高速で過ぎ去り、気が付くと午前一時を回っていた。
「いつの間にか、か」
男はパソコンの電源を落としながら呟く。
「もう寝るか」
サア――――
「うーうん、雨でも降っているのか?」
布団を抜け出てカーテンをめくると、ねずみ色の空から雨粒が落ち、ベランダの手すりの隙間から吹き込まれてコンクリートが黒っぽく変わっていた。
「出かけて来る」
「お父さん、雨降ってるわよ」
「横殴りの雨ではない、たいして濡れんだろう」
「でも」
「大丈夫だ」
妻の言葉を聞き流し、男は傘を持って玄関を出た。
家に閉じこもっていると気が滅入ってしまうのもあるが、男がいつも行っているルーチンをやめたくないという事もあった。
「この雨では座るのは無理だな」
傘の外れに手を差し出すと、雨雫がぱらぱらと手の上を飛び跳ねる。
「いつものコースを辿るのにとどめよう」
そう言って公園に差し掛かった時である、男の目にあるものが飛び込んできた。
「あれは……」
古いビデオデッキは雨に打たれ天板からトントンと金属音を鳴らして、まるで男を呼んでいるかのようであった。
男はビデオデッキに歩み寄る。
「昨日は無かったよな」
そのデッキには見覚えがある。
「うちの社で出した奴だ」
出したどころではなく、男にとって製作に携わった者の顔を見知っている。
「捨てられたのだろうか」
雨に打たれたビデオデッキ。
「……」
「ただいま」
「お帰りなさい、あらそれは?」
「拾った」
妻は拾ってきたそれを見て、一人合点がいった。
(お父さんの元居た会社の機械が捨てられていたんだから自分に重ねたのかな)
「風邪を引いたら大変ですからお風呂に入ってください」
デッキを抱えて持ったせいで傘を上手く持てずに雨に打たれていた事を、男はそこで初めて気が付いた。
「さてと」
男は部屋の一角に使い古しのシーツを広げると、そこに先ほどのビデオを置き、ボロ布で泥水を拭き取っていくと、それなりに傷があるがそこそこ綺麗な個体であることに気が付いた。
「前のオーナーは大切に使っていたのかな」
「あなた、お風呂湧きましたよ」
「ああ」
「あなた、やる前にお風呂に入ってください。いじりだしたら止まりませんから」
「わかったよ」
渋々入浴を済ませると、かつての仕事道具を押し入れから取り出し持ってきた。
「ドライバードライバーっと」
周囲のネジを順々に取り除き天板そして周りを取り外し基盤周辺の中身を取り外す。
思ったよりも中には水が侵入しておらず、綺麗な状態ではあった。
それを一つ一つ分解し、ネジをなくさぬよう袋に詰め、どんどんと分解を進めていく。
「駆動周りだけ掃除しとくか」
ビデオヘッドやブレーキ、ゴムなどを綺麗に磨いていった。
「今度、交換が必要な部品を買いに行かないとな」
数日後のある晴れた日
「本当に久しぶりだな」
東京都千代田区秋葉原
「さて、まずは電解コンデンサだな」
電解コンデンサは基板上ある二本足で立っている電子部品で、一時的に蓄電し一瞬足りなくなった時溜めていたものを放出して電圧を安定させたり、ノイズを吸収することで回路を安定させたりする部品である。
幸いなことに昔馴染みの店は何件か残っており、メモを見ながら買い進める。
「低インピのPWかLXZあたりはあるかな」
「それならラジオセンターあたりにいってみたらどうですか」
「わかった、ありがとう」
店頭にあるトレーをとりピンセットでひょいひょいとお目当ての物を取り店のおやじさんへ声をかける。
「これ下さい」
「はい、820円です」
「次はオーディオ用コンデンサだな」
「電気二重層コンデンサっと」
「最後に標準品だな」
翌日
「さてと、やるか」
分解した部品を取り出し並べたあとに、はんだこてのコンセントをタップにさす。
「まずは電源基板からいくか」
ジュッ
はんだがとけるとともに酢のような酸っぱい匂いが広がる。
「やはりな、4級塩電解液だ」
4級塩電解液とは80年代末から90年代初頭に出現した電解コンデンサの中に入っている強いアルカリ性の液体で、今までの電解コンデンサより小型化出来るという事で大いにウケて使用された。
しかしながら電解液の予想外の化学反応により早くて数年でマイナス端子から中の液体漏れ出て、基板を腐食させて故障する事例が相次いだいわくつきの電解コンデンサである。
幸いなことにそこまで酷い漏れはなく、基板を洗浄後問題なく新しい電解コンデンサを取り付けることができた。
「次は音響基板だな」
古いオーディオ用電解コンデンサは標準品に比べドライアップしていることが多い。
ついでだからとすべてのコンデンサを交換する。
「やっぱりガラスエポキシ基板はいいなぁ」
近年は安価なベーグライト基板が増えたことと欧州の規制から以前のはんだより高熱でないと溶けない無鉛はんだを使用するようになった。
そのため、はんだこての熱でスルーホール(コンデンサなどの足を通す穴)の周りのランド(はんだを乗せて足を基板にくっつける部分)が容易に剥がれるようになり、以前に比べると細心の注意が必要となっていた。
時間を忘れてはんだこてを握っている男を見て妻は声を掛けずに戻っていった。
「ああなっちゃったらご飯だと声をかけても聞かないし……まるで子供ね」
「電子二重層コンデンサの交換だな」
電気二重層コンデンサとは、時計などのバックアップ用に電力を充電し溜めておく電池だ。 携帯電話のように少しずつ充電能力が落ちていき、そのうち充電ができなくなってしまう。
次いでメイン基板に移る。
「あっとあぶないあぶない」
IC周り、チューナー周り、モーター制御周辺、言葉通り飲食を忘れて丁寧に一つずつ電解コンデンサを交換していく。
「さてと、終わった」
基板を組み立てて、テープ駆動辺りを点検する。
「やはりグリスは乾燥しているな」
古いグリスをふき取り、新しいものをグリスアップしてゆく。
「やはり、いつもの場所が壊れているな」
「たしか、この中に入れたよな」
道具袋をガサガサと漁ると中からひょっこりと出てきた。
「あったあった」
小さな水色の歯車。
それは、本当に小さな小さな部品。
でも、壊れて無くなると他の歯車は空回り。
途端にビデオデッキは動かなくなってしまう。
とてもかけがえのない大切な歯車。
「さて、とギアの角度を調整して……出来た」
グリスを塗って元のように組み立ててゆく。
「よし、あと少しだ」
ドライバーで天板固定のネジを閉め終わった後になってやっとオレンジ色の光が射し込んで来ていたことに気付いた。
「もうそんな時間か」
水分補充、トイレなどの小休憩を済ますと再びビデオデッキの前へと座る。
「さあ、頼むよ」
ウィ―――ン
男がコンセントを差して電源を入れるとデッキからは初動のメカが定位置に移動する音が聞こえてきた。
「よしよし」
男は立ち上がり押し入れをまさぐる。
「ビデオテープはこの辺にあったよな……あと同軸と映像音声ケーブル」
ガサガサ
「あった」
男はケーブルをテレビとデッキにつなげた後、テレビの電源を入れてチャンネルを合わせる。
「さてと、デッキのチューナーは生きているかな」
テレビにぱっとビデオデッキから芸人の軽快なトークとその姿が映った。
「よし、生きているな」
男はビデオテープをケースから取り出すとスロットに軽く押し込んだ。
「おお」
ウィ―――ン
カチャカチャ
問題なくテープを吸い込むとテープをヘッドに押し付ける駆動音が響く。
「再生だ」
ジィ――――――
いつ撮ったのか分からない位の古そうな映像が再生され、男には女優の名前は分からないが眉毛が異様に太い事に気が付いた。
「ほら、まだ使えるじゃないか!」
男がイジェクトのボタンを押すと、画面が録画からチューナーへと切り替わる。
ブルーレイレコーダー発売。
テレビのコマーシャルが流れる。
「ブルーレイ……か」
男は寂しそうに笑いを浮かべて呟いた。
「時代だよなぁ、もうビデオデッキはダメなのかなぁ」
男は壊れた水色の歯車を手に取りしげしげと眺め「お疲れさん、俺と同じだな」と語り掛ける。
「いや、まだまだだ」
男はテーブルに歯車を置き自らを奮い立たせるように力強く頷いた。
「アナログ放送終了は来年、ビデオデッキだってまだまだ使える、私だってまだまだ」
そう言って男は誇らしげに笑った。
聞くところによると、以前いた会社は生き残りのため製造業だけではなく他業種に進出しようとしているとの事だ。
「ビデオデッキも歯車もまだ死んではいない!」
男は立ち上がり、沈みゆく太陽に向けそう小さく呟いた。
それは、男の元に迷い込んだ水色歯車が織りなした小さな物語。
誰かが捨てた雨の中の古いビデオデッキ。
偶然の出会いがもたらした街角の小さな物語。
水色歯車 クワ @Yo556
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます