第1章 東京にオーロラがやってくる


七月の風は、まだ夏休みの匂いがしなかった。


湿気はあるくせに、教室の空気はどこか軽い。

まだクーラーを入れてはいけない時期の、あの少しだけ耐えている季節。


四年四組の黒板の上では、扇風機が「ガラララ…」とよく分からない音を立てて回っている。

その下で――天外則雄、通称「プラッチ」が、今日も教壇の横を占領して熱弁をふるっていた。


「今回はただのフレアじゃないんだよ! 黒点1236って、前にNASAの発表でも話題になった超巨大黒点でさ――」


また始まった、と誰かが笑う。


だけどプラッチは全然めげない。

むしろ好きな話題だと無限に息が続く人間だ。


僕――島田拓也は、その様子を斜め後ろの席から見ている。

窓の外には雲の影。暑いけど夏じゃない。濃い緑がまだ色を増す前の、梅雨の終わりの匂いだ。


「つまり、地球に届くのは三日後。CMEが当たる確率はものすごく低いんだけど、もし磁気嵐が来たら――もしかしたら、東京でもオーロラが見える可能性がある!」


その瞬間だった。

クラス全員の目が、少なくとも半分くらいは輝いた。


僕は、というと――胸の奥が少しだけドン、と鳴ったような気がした。


(オーロラ。東京で?)


普通なら、あり得ない。

だけどプラッチの目は本気だった。


そして――この胸を鳴らす感覚は、たぶん僕の方が誰よりも早かった。


説明なんてなかった。

理由もなかった。

ただ、


「行きたい。」


それしかなかった。


掃除時間のあと、僕は黒板の前に立ってチョークを走らせた。


―― 7月24日の夜、こっそり家を抜け出して探検に参加できる隊員募集!


書いている間、ワクワクしすぎて字が少し震えた。

クラスがざわつく。笑うやつもいるし、冷やかすやつもいるけど、関係ない。


プラッチが目を輝かせながら手を上げた。


「僕、ぜったい行く! 未来の歴史に名前を刻むよ!」


それを聞いた時――

僕はまだ気づいてなかった。


この一言が、本当に未来の誰かの人生を動かすことになることを。


放課後。

教室の外の空気は湿っていて、廊下の窓から吹く風がだるい。

けれど、僕は心の中ですでに夜の探検隊長だった。


僕らの小さな冒険は、この瞬間、始まりを告げた。


まだ誰も知らない。

あの日あの時、オーロラを見上げることが――

僕らの心の地図を作り、未来の誰かを呼び起こす旅になることを。

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