第18話 甘言には、

 20メートルほど走れば、林道が開けた空間に繋がっている。

 燈火ちゃんの脚力で、一息に光さすその場所まで駆け抜けると、見覚えのある場所が目の前に広がる。


 天空寺だ。


「岡元くん、これどぎゃんしたと!?」

「翻訳バグって言えばいいのかな」


 たとえば、英語に翻訳しないといけないところをスワヒリ語に変換してしまった。

 その状態が、俺の提案した『螟ゥ遨コ蟇コ』だ。

 逆に、その誤変換を修正すれば、本来表示したかった文字を解読できる。


「スワヒリ語じゃ意味が通じないから日本語翻訳しましょうね。翻訳したら天空寺になりました。そんな感じ」

「スワヒリ語圏の人に謝った方がよか」


 例えだから、怒らんで。


「やってくれたなぁ、兄さん。ワイの『多首オ』が台無しや」


 カガセオが俺を睨んでいる。

 細い瞳の奥に、鋭い眼光を潜ませて、怒りに満ちたまなざしを俺に向けている。


「ワイの怪談に干渉してくるなんて、兄さん、何者や?」

「俺? 『オカルト掲示板に出てきがちな友人C』」

「誰やねん」

「比較的常識人枠」


 燈火ちゃんが隣で「常識人……?」と首をかしげているけど、聞こえてるからね?


 ちなみに、Aは犠牲者でBは元凶。

 独断と偏見だけど、こういう傾向が強いと思います。


「さっきからワイのこと舐め腐っとるんか?」


 あ、やばい。

 カガセオに青筋が、ぴきってる。


「と、とととと、燈火ちゃん! おばあちゃんを早く!」

「わかったったい!」


 う、うおぉぉぉ、間に合えー!


「封神巫女の拠点やとか、語り手の放流とか、もう気にしてられるか」


 いや無理だこれ! 間に合わねえ!


「来い――」


 だってもう、怪異召喚しようとしてるもん!


(やべ、本気で終わ――っ)


  ◇  ◇  ◇


「私のお気に入りに、何していやがりますか!」


 濃密な死の予感を引き裂いて、彼女は現れた。

 息切れしながら。


 カガセオが、胡散臭さそうに目を細める。


「なんや、えらい虫の息の真打登場やな」

「ほ、放っておきなさいですわ!」


 黒い髪、Gカップを超えそうな爆乳。

 まさか、彼女は――。


「†漆黒の堕天使† ちゃん……!」

「その名で呼ぶなですわーっ!」


 間違いない、本物だ。


「どうしてここに」

「あなた、異界に足を踏み入れたでしょう」


 さっきまでいた林道、怪異『多首オ』のことだろうか。


「噂の根源であるあなたが現世から消えた。だから、私は本来の力を取り戻せたのよ」

「げっ」

「助けに駆けつけたんだから喜びなさいよ!」

「厄介な怪異が増えただけじゃん……あれ?」


 おかしい。

 悪霊としての力を取り戻したなら、どうして彼女は、律儀に階段を上って境内に現れたんだ?

 しかも、息を切らせてまで。


 飛んで来ればよかったんじゃないのか?


「なんや小娘。あんさんも怪異やったんか。あんまりにも力が弱いせいでただの人間や思うたで」


 人間と勘違いした……? 怪異から見ても?


(あ、そうか!  †漆黒の堕天使† ちゃんの力が元に戻るのは、俺が異界に迷い込んでる間限定なんだ)


 つまり、ここにいるのはただの痛い中二病患者ってこと?

 た、頼りねぇ……。


「さ、どうしやがりますの」

「え?」

「さすがにこの怪異の相手は、あの封神巫女にも荷が重いんではなくって?」


 確かに、カガセオは強力だ。

 敵組織の幹部を張るだけある。


 シナリオが進めば、燈火ちゃんでも倒せる相手ではあるけれど、現状の燈火ちゃんには覚悟が足りていない。


 それは御履行オリコウ様相手にとどめを刺すことを渋ったり、果ては十三仏真言の八での浄化を試みたりしたことからも明らかだ。


 だが、


「私なら、あれを相手できますわよ」


 その理屈で言えば、 †漆黒の堕天使† ちゃんも、本来のシナリオではカガセオと同格に描写されていた。

 力を取り戻せば、やり合えるというのは嘘ではないはずだ。


 まして、そこに、俺の原作知識が加われば――


「……っ!」


 どうする、どうするどうする!


 刹那的な判断をするなら、蔵屋敷のツイート削除一択だ。

 あれさえなければ †漆黒の堕天使† ちゃんが本来の力を取り戻す。

 少なくとも、この場をやり過ごすことはできる。


(俺が †漆黒の堕天使† ちゃんに協力すれば、俺だけは助かる……けど)


 だけど、そのあともたらされる被害はどれほどだ?

 いったいどれだけの市民に被害が及ぶ?


(けど……!)


 俺は、自己犠牲精神にあふれる人間なんかじゃない。


 誰だって自分の命が惜しい。

 燈火ちゃんみたいに、他人のために命を張れる人間こそがぶっ飛んでるんだ。


 だから。

 だから、仕方ないじゃないか。


「わか――」

「巫女巫女ぉぉぉぉっ」


 言いかけた言葉を遮るように、気迫のこもった声が響く。

 目を見開く。

 祖母を呼びに行ったはずの燈火ちゃんが、すさまじい勢いで引き返しに来ている。


「グータァァァァァッチ!」

「なっ!?」


 カガセオの細い目がくわっと見開かれる。

 刹那、燈火ちゃんの拳がカガセオにぶち当たり、思い切り殴り飛ばす。


「ぐはっ!」


 境内の砂利を飛び散らせながら、カガセオが転がりながら跳ねまわった。

 木々を2、3本なぎ倒し、ようやくカガセオが停止する。


「燈火ちゃん……? おばあちゃんを呼びに行ったんじゃ……」

「うん、そのつもりやったんやけどね。なんや、妙に胸騒ぎがして」


 胸騒ぎ、というのは、俺が †漆黒の堕天使† ちゃんと契約した場合に恒凪に降りかかる、災厄のことだろうか。


「それに」


 燈火ちゃんの左手のひらが、右の拳を受け止める。

 だがそれは、暴力を自制する心の働きが現れたものではなく、むしろ、真逆。

 みなぎる闘志を、あらわにした構え。


「封神巫女でもない岡元くんが頑張っとるとに、わたしだけ逃げるわけにはいかんち」


 覚悟を決めた空鳴燈火が、そこに立っていた。

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