第17話 弁舌には、

「岡元くん! 逃げんね! わたしが時間ば稼ぐったい!」


 よし任せた!

 逃げるぞぉぉぉぉ!


「おっと、逃がさへんで」


 糸目の男、カガセオが呪文めいた言葉を口にすると、周囲の景色が忽然と姿を変えた。

 先ほどまで郊外にいたはずなのに、どういうわけか、俺は林道に立っている。

 そして、目の前には『多首オ』と書かれた看板が立てられていた。


 ……よし、状況は完璧に把握した。


 逃走作戦は中止だ。

 地面を靴裏で擦りながら急ブレーキをかけて立ち止まる。


「なんや兄さん、おもんないな? おもんないわ。そこは一人逃げ出してみっともなく泣きべそかくとこやろ」

「そんな……っ! 燈火ちゃんを置いて俺だけ逃げるなんてできるわけないだろ!」

「あれ!? 思いっきり逃げようとしよったよね!?」


 気のせいじゃないかな?

 うん。気のせいだと思う。


 決して、これより先に進もうとしたら頭が複数生えた怪物が20メートルくらい先の草むらから出てくる予感がしたから立ち止まったとかではない。断じて違う。


「まあええわ。お兄さんお嬢さん、ワイの与太話に一つ付き合ってぇな」


 カガセオが、鉄骨に叩きつけた燈火ちゃんを無造作に放り投げる。

 慌てて、落下点に駆け寄り燈火ちゃんを抱きとめる。


「数年前のことやねんけど、昔、林道を抜けた先の旅館に泊まったことがあってな。ぎょーさんもてなしてもろた記憶があって、また行きたいと思ったんよ」


 俺はすぐにピンと来た。

 これは怪談、『多首オ』の導入だ。


(やばいやばいやばい)


 目の前の怪異カガセオは、怪談と怪談を混ぜ合わせて、全く新しい怪異を生み出すのを得意とする怪異だ。

 ここまでは『多首オ』だが、ここから先、どんな怪談が展開されるかわかったものじゃない。

 そして、その怪談からどんな恐ろしい怪異が生み出されるか分かったものじゃない。


(何か、何か対抗策を考えないと――)


 でも、どうやって?

 燈火ちゃんに『多首オ』を祓ってもらう?

 いや、カガセオ本人が妨害しに来る。

 力による解決は現実的じゃない。


 力が無理なら、技?


 でも、さっき確認した限りだとこのあたりの電波は悪いし、 †漆黒の堕天使† ちゃんのときみたいにSNSを悪用した怪異ハックも通用しない――。


 電流走る。


「それ旅館じゃなくてホテルだったんじゃね?」

「あ? 別にどっちでも構わんやろが」

「でも恒凪ならホテルの方が一般的だと思うけど」

「……せやったな。ホテルやったな」


 俺は内心でガッツポーズを繰り出した。


(よーしよしよし!)


 怪談白物語かいだんはくものがたりというTRPGがある。

 怪談を語るゲームマスターと、それを怖い話にさせまいとするプレイヤーによる非対称型の対戦ゲームだ。


(真実味の無い怪談はただの嘘。だから、「それおかしくない?」と指摘すれば無視はできない)


 それなら、まだ俺にも出来ることは残されている。


(やつの怪談に割り込んで、怪異が生み出される前に攻略する!)


 それが俺の、戦い方だ!


「ワイは記憶力には自信があったさかい、車を運転しよったんやが」

「え、流石にカーナビ使ってたんじゃね?」

「……そうやったかもしれんな。カーナビを頼りに林道を走らせとったんやが」

「それ林道じゃなくて公道じゃね?」

「んなわけあるかい!」

「でも、恒凪に林道なんてほとんど残ってないけど」

「それでも林道やったんや!」


 くっ、失敗したか。


(林道を公道にできたら、この異界からも脱出できたかもしれないんだけど……)


 相手もそれをわかっているから、ここは簡単に譲ってくれないらしい。


「それで、林道をしばらく走ると村を示す看板が立っとるはずなんやが」

「それ村じゃなくてビジネス街だったんじゃね? ほら、宿泊先もホテルだったし」

「~~っ、そうやな。そやったかもしれんな」


 燈火ちゃんが狼狽している。

 なんの話をしてるの、と視線で訴えてきている。

 何の話をしてるのかって、そんなの俺が聞きたいよ。


「それで、ビジネス街を示す看板があったはずなんやが、その看板の文字がどうにもおかしいねん。普通、簡単化した道と、その先の地名を表示するやろ?」

「それただの看板じゃなくてデジタルサイネージだったんじゃね?」

「……せやったな。さすがに今の時代、デジタルサイネージやわな」


 通った。通ったぞ!

 俺はもう狂喜乱舞した。

 悟られるわけにはいかないから、内心だけで。


 改変した怪談の効果はすぐに表れた。

 俺の少し先、木製の、古びた看板が、突如デジタルサイネージに置き換わる。

 林道にあまりにもなじまずに立っている。


「せやけどそのデジタルサイネージはただ単に、『多首オ』って書いとったんや」

「それ『多首オ』じゃなくて『螟ゥ遨コ蟇コ』って書いてたんじゃね?」

「めいぅ……なんて?」

「『螟ゥ遨コ蟇コ』」

「なんて?」


 仕方ないので、その辺の小枝を拾って地面に文字を書き起こす。

 林道だからね。

 土の地面に文字を書くくらい簡単なのだ。


 カガセオはしばらく、俺が地面に書いた文字をじっと見つめていた。

 だが、ふいにふっと微笑んだ。


「せやったなぁ。『螟ゥ遨コ蟇コ』いうて表示しとったわ。それで続きなんやけど」

「無いよ、続きなんて」

「あ?」

「この物語は、ここで終わりだ」


 カガセオ。

 お前は俺の罠にはまったんだよ。


「種明かしといこうか。そのデジタルサイネージは文字化けしていたんだ」


 文字化け。

 それはコンピュータが数値を文字に変換する際の、換字表の不一致による表示バグ。


「表示されていた『螟ゥ遨コ蟇コ』は、正しくは――」


 一連の下り。

 そのすべてが、この一手を導き出すための盛大な工作。


 デジタルサイネージに表示される文字が、『螟ゥ遨コ蟇コ』から書き換わる。


 ――『天空寺』。


「なっ!? ちょい待てや!」


 カガセオが待ったをかける。

 しかしもう遅い。

 この怪談は、仕舞いだ。


「走るよ、燈火ちゃん!」

「わ、わかったったい!」

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