価値の証明
アルフォンスがたどり着いた北東辺境領は、彼が知る「嘆きの森」に隣接した絶望の地ではなかった。
瘴気は晴れ渡り、かつて痩せこけていた土地は見渡す限りの「黒麦」の畑と化し、活気に満ちた領民たちがテキパキと収穫作業に勤しんでいる。領都の城壁は修復・強化され、市場には食糧以外の物資も並び始めていた。
それは、王都とは比べ物にならないほど、豊かで力強い光景だった。
アルフォンスは、その現実に愕然としたまま、領主の館へと通された。
玉座の間に通された彼を待っていたのは、かつての婚約者、イザベラ・フォン・ヴェルフェルトだった。
だが、そこにいるのは、彼が一方的に断罪した公爵令嬢ではない。
泥にまみれていたはずの乗馬服は、機能的だが威厳のある領主服に変わり、その瞳には、民の生活の全てを背負う者だけが持つ、絶対的な自信と冷徹なまでの理性が宿っていた。
彼女は、アルフォンスを玉座(領主の椅子)から静かに見下ろしていた。
「……イザベラ」
アルフォンスは、その威厳に気圧されながらも、王太子としての虚勢を張った。
「久しいな。まずは、その……瘴気を鎮圧したこと、見事であった」
イザベラは、その上から目線の言葉を、表情一つ変えずに受け流す。
「それで? 王太子殿下が、このような辺境にまで、何の御用でしょうか」
「決まっているだろう!」
アルフォンスは声を荒げた。「リリアナ…あの『偽りの聖女』に、私は、いや、この国は騙された! あの女のせいで、王都は今、深刻な飢饉にある!」
彼は、全てリリアナのせいだと弁明し、イザベラに向かって続けた。
「だが、貴様は公爵令嬢であり、この国の臣下だ。この領地の豊作は、国全体の危機を救うためにある。王太子として命じる。直ちに王都へ食糧支援を――」
「お断りします」
イザベラの即答は、氷のように冷たく、刃のように鋭かった。
「……なっ!?」
「聞き違いではありません」とイザベラは続けた。
「貴方は『騙された』のではない。『選んだ』のです。貴方を諫(いさ)める私の『耳の痛い真実(実績)』ではなく、貴方を賛美するリリアナの『耳触りの良い嘘(奇跡)』を、貴方自身の意志で選んだ。その結果が、今の王都の惨状です」
「ぐ……!」
アルフォンスは言葉に詰まる。
「貴方の選択の責任を、私に転嫁するのはおやめください。私は、貴方に追放されたこの土地と、私を信じてくれた領民を守る責務があります。王都を救う『義務』など、私には一片たりとも存在しません」
アルフォンスの顔から、王太子としての余裕が完全に消え去った。
飢えた民による暴動。失墜した王家の権威。そして、目の前で「実績」を積み上げ、実質的な独立国家を築き上げた、かつての婚約者。
彼は、ついに膝から崩れ落ちた。
「……頼む」
床に両手をつき、王太子が、頭を下げた。
「イザベラ…! 私が悪かった…! だから、どうか、民を見捨てないでくれ…! 食糧を…食糧を、恵んでくれ…!」
それは、公の場での完全な土下座だった。
数ヶ月前、高らかに彼女を断罪した男の、惨めな姿だった。
だが、イザベラは、その土下座を冷ややかに見下ろしたまま、首を横に振った。
「ですから、『恵む』ことはしないと申し上げました」
アルフォンスが絶望に顔を上げた、その瞬間。
イザベラは、傍らのセバスから一枚の羊皮紙を受け取り、それをアルフォンスの眼前に放り投げた。
「ただし――『交易』には応じます」
そこには、恐るべき内容が記されていた。
『黒麦(最低限の生存維持量)』と、『王都が持つ全ての金銀、宝石、美術品、及び魔術理論』との交換レート。
それは「交易」とは名ばかりの、王国の富を根こそぎ奪い取る「要求書」だった。
「な……これでは、王都の富がすべて…!」
「それが何か? 貴方たちが、生きるために支払う対価です」
イザベラは玉座から立ち上がり、アルフォンスの前に立った。
「貴方はかつて、リリアナの『奇跡』こそが聖女の証だと言いました。ですが、その奇跡は国を滅ぼした」
彼女は、窓の外に広がる豊かな黒麦の畑を指し示す。
「国を救い、民を生かす、その『実績』こそが価値の証明。今、この国に『聖女』がいるとすれば――それは、私だ」
アルフォンスは、屈辱に震える手で、その要求書を握りしめた。
彼に、拒否するという選択肢はなかった。
――こうして、王都は辺境領(のちに独立を果たし、『ヴェルフェルト大公国』となる)から法外なレートで食糧を買い続けることで、かろうじて命脈を保つこととなった。
アルフォンスは王位を継ぐことも許されず、歴史書には「『実績』を見誤り、国富を失った愚かな王子」として、その名を残すこととなる。
追放された公爵令嬢、知識で辺境を救い、王都を出し抜く 伝福 翠人 @akitodenfuku
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