十二 いつかの約束はすでに
いつも頭より先に体の動く幼馴染が、うつむいて立ち尽くしている。
「どうして、そこでまた悩むんだ。八雲先輩たちが心配だから怒っていたんじゃないのか。気になるなら戻ればいいだけの話だろう」
「おまえと
虎丸が真剣な顔つきで言ってのける。
拓海は数秒ぽかんと口を開け、そのあと思わず噴き出した。
「なにが可笑しいんや!!」
「いや、昔と反対だと思ったんだ。お前が俺に後押しする立場だったのに」
「せやったかな……。オレ、昔から繊細やったけどなー」
「それはない。お前はいつでも何も考えていなかった。まあ、誰だって大切なものに対しては臆病になるということだ」
ますますわからない、といった表情で虎丸は眉間に皺を寄せた。
「大切なもの……。あの人らにとって、オレは仲間なんやろか。自分で去っといて聞くことちゃうけど」
「お前、まだ自分があの場所に受け入れられてないと思ってるのか?」
「んなことないわ、進んで巻き込まれてったしな。ちゃんと仲良うしてた……はず。正直言うと、ちょびっとだけ距離は感じる」
やれやれと肩をすくめ、言い聞かせるように拓海は話し始めた。
「あの人たちは地下の秘密を守るため、本当に排他的なんだ。八雲先輩はいきなり訪ねてきた人間と会ったりしない。大抵は番犬の
「そういや、いきなり紅ちゃんに脅されたな……」
まだひと月も経っていないのに、帽子を燃やされたのが昔のことのようだ。
あのときは驚いたが──新世界派の部員たちを知ったあとで思い返すと、いかにも赤髪の娘らしい言動だった。
「一見、人当たりがいい面子ですらそうだ。
「どうしてって……溢れるオレの魅力……?」
ぐいっと耳たぶを引っ張られ、虎丸がわめいた。
「痛い痛い! 冗談やてぇ。そんなん、オレにもわからへん。今まで追い返されたやつらは、あの人らを特別視して踏み込まへんからあかんかったんちゃう?」
「特別視?」
「みんなちょっと変なだけで、ちゃんと人間らしい気持ちを持っとる人らやん。せやからフツーに接しただけや。八雲さんは愛想ないけど、アンナや銀雪に対する態度見とったらやっぱり悪い人とは思えへんねん」
耳から指を離して、拓海が考え込む。
──そうか、人を受け入れるから、受け入れられるのか。
正反対の性格である自分にはできない芸当だと謎が解けた気分になったが、なんとなく教えるのも癪で胸にしまった。
とにかく、と話を戻す。
「あとはお前の気持ち次第だ。いいから、朝の汽車で戻るぞ」
「あれ、オレの気持ち次第やのに強制? まあ、ええわ。ほっといても気持ち悪いだけや。編集長、話聞いてくれるかなぁ。もしかしたら辞表出さなあかんかな~、これは……」
ふたりで鳥居をくぐったとき、ふと虎丸が拓海に尋ねた。
「あ、闘いの最中、借りがどうとか言うてたのはなんや? 変にこだわっとったけど」
「俺が大阪を去った理由を覚えているか? 借りっぱなしは性に合わない。お前を勝たせて、今度は俺が背中を叩く番だった」
「拓海が去ったとき……? んんん?」
***
拓海の父親は爵位持ちで、大阪・住吉の開発に多額の支援を行ったいわゆる地元の権力者であった。
対して、母親は十八にもならない歳で手篭めにされた身分のない女中。
当然、周囲の風当たりは強い。
何人もの男児がいる中、父親は見目も成績もいい優等生の拓海を気に入って跡継ぎにしようとした。だが、母の扱いは下働きと変わらないどころか、腹違いの兄弟たちのやっかみも相まって、拓海が成長するとさらに酷くなっていったのだ。
「なー拓海。
「知らん。だいたいうちでは、小説なんて堕落した人間が読む娯楽だと禁止されている。進級もぎりぎりのくせに文学なぞにかまけて、もう少し危機感を持て」
中学にあがった頃には家の状況が一層悪くなり、拓海の余裕もなくなっていた。
物心つく前からずっと傍にいる幼馴染とも、そろそろ離れる時期とさえ思っていたのである。
「親父が残してった本の中で昨日見つけて、初めて読んでん。夢中になりすぎて徹夜してもうた。まだオレらと同じ十代なんやて。はっきりゆうてオレは無理や。こんなん絶対書かれへん。作家の夢が潰えたわぁ」
「諦めの早いやつだな……。まあ、近頃妙に拝金主義のお前には向いてないんじゃないか」
正反対の性格をした虎丸とは、父親が嫌いなことが唯一の共通点だった。
しかし、取った態度も真逆だった。拓海は父に従って耐えたが、虎丸はいつも反発していた。
この頃、虎丸はすでに父親と離れて暮らしていた。だから拓海はよけいに自分だけが苦労をしているような気分になっていたのだった。
裕福で生活に困窮することはなかったので、妙に金儲けに走りだした幼馴染をたいして気に留めることもしなかった。
「でもなー、そんならオレ、編集者になりたいなぁ。こういう心底好きになれるすごい作家を見つけて、世に送り出して、最終的に出版社を経営して大儲けすんねん」
「結局金稼ぎなのか……」
拓海の成績であれば飛び級は確実だ。虎丸のほうは、中学を出ても進学できるかわからないと言う。その報告を拓海は、成績が足りないのだろうと思い込んだ。
物心ついた頃からの腐れ縁がついに断たれるのか、と。
安心するような、寂しいような。
顔を合わせれば女子にモテただのなんだのと、拓海にとってまったく興味のない事柄でキーキーと絡んでくる幼馴染は正直鬱陶しいのだ。
だが、奔放で陽気で、羨ましくもあった。
成績が落ちれば父親に責められ、親族に皮肉をこぼされるのは母だ。だから勉学は逃げだった。
中学最後の一年、家の揉め事は増え、この頃のことを拓海はほとんど憶えていない。夏休みに東京の大学で出会った不思議な青年作家の記憶だけは、鮮烈に焼きついていたが──。
真っ白な視界の中で暮らして、終業を迎えた日。
周辺の女学生に花束やら手紙やらを散々押しつけられ、荷物だらけになっている拓海に向かって、幼馴染は突然言った。
「母ちゃん連れて、逃げたらええやん」
まず、気づいていたのかと驚いた。
幼い頃と違い、簡単に弱みなど見せられない。家の話はすっかりしなくなっていたのに。
「馬鹿いうな。すぐさま連れ戻されて、ますます状況が悪くなるだけだ」
「何もせんかったらこのままやん。てかな、おまえがおらへんかったら、おまえの母ちゃんは大人なんやからひとりで逃げれるわ。そうせえへんのは、おまえの将来を思っていい学校行かしたり、金持ちの家を継がせてやりたいからやろ」
「俺はどっちもいらない。いや、自分で手に入れられる」
いつもふざけている幼馴染は真剣な顔で、しかしあっけらかんとして言った。
「うん。でも、母ちゃんのためを思って何もできへんみたいな言い方しとるけど、足手まといはおまえや。ほんなら、親父の後ろ盾なんかなくても立派にやってけるってとこ見せたらな。おまえのお勉強できる頭はなんのためにあんねん?」
今思えば、子供っぽい考えなしの言葉なのかもしれないが──と、拓海は思い出すたびに笑いそうになる。
結果、母を連れて逃げた。
母に提案して初めて、虎丸の言葉を思い知ることになった。拓海が逃げようと言わなければ、母はどれほど辛くても絶対に行動に移すことなどなかったのだ。
大阪を発つ最後の夜、虎丸の家に行った。居間にぼんやりと灯りが見える。おずおずと玄関を叩くと、虎丸の母が顔をだした。
「あら、拓海くん。こんな時間にどないしたん?」
「お別れを伝えにきました」
拓海と虎丸の母は、もともと近所同士だったので仲がいい。おおよその事情は知っていたのだろう。何も聞かず、虎丸を呼びにいった。
「あかん、全然起きへんわ。ごめんなぁ、うちの子がアホで」
「いえ、最後の最後まで、あいつらしいです」
「なんか伝言しとく?」
「……あいつが編集者になるなら、俺が作家になります。いつか文学の世界で会おう、そう伝えてください!」
「うん、わかった」
***
「借りって、そんな昔のこと!? 真面目か!! ガキの頃から借りも貸しもありすぎやし、今更気にする必要ないやろ〜」
借りというのは建前で、要するに感謝していると言いたかったのだ。だが、この美青年は率直であっても素直ではないのである。
最後の夜に虎丸の母とした会話だけは、聞いていないようなので胸にしまった。
わかったと、間違いなくそう言ったはずなのだが──。
「既定路線だと、
「せやから、うちのオカンを名前で呼ぶなって。そういや牛鍋屋で言うとったな、最後の伝言がどうとか。なんやったん?」
「いや、もういい。俺もあのとき勢いで言ったんだ。子供の安易な発想だ。だが、言葉の力というのは怖いな」
東の空がわずかに白んでいる。
成長したふたりの青年は東京へと戻るべく、閑散とした街を歩きだした。
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