十一 闇夜に咲いた甘美の花

 男は着物の下に、黒革製のぴったりとした衣装を身に着けていた。

 なんとも面妖な、そして奇天烈な恰好である。


 曽根崎周辺は大阪屈指の花街だ。もしかすると、このような衣装を着た芸妓や踊り子も当たり前にいるのかもしれない──虎丸はそう自分に言い聞かせて落ち着こうとするものの、浪花踊なにわおどりくらいしか見たことがないので実際のところは不明である。


「キャー!!」

「嬉しそうにせんで!?」


 花魁道中のできそうな着物一式を虎丸に切り刻まれてしまったというのに、あまねはなぜか楽しそうだ。今の今までぎらぎらと野生の獣並みの眼光を光らせていた男と同一人物だとはとても思えない。


 東京で起こっている騒ぎを邪魔をされては困るので、ここで潰す。

 そう最初に宣言されたが、敵意剥き出しの海石榴つばきと違って周はどこまで真剣なのか心が読めない。


「だって、アナタが脱がしたんじゃないの」

「ほんまによかった……下に着てくれとって……。これはこれですごい恰好やけど、全裸よりは気にならん。多分……」

「あらぁ、失礼ね。アタシの勝負服なのに」


 盗みに関する文字を探すという虎丸の目的は達したが、勝機を見つけるためであって闘いはまだ終わっていない。

 ここから対策を練るのは拓海の役割だ。


 後ろにいる美青年は黙り込んで、虎丸が敵の背中に見つけた文字について考えていた。



──『盗人ぬすびと』?



 疑問なのは、なぜ『盗む』行為そのものを表す言葉ではないのか、である。

 盗人とは字そのままに、盗む人。泥棒や盗賊たる誰かを示す普通名詞。自分に付与する言葉としてあえて使うには、他人行儀な含みがある。



──つまり、『自分ではない者』が対象。他人を盗人に変える力か!



 拓海は幼馴染に向かって叫んだ。



「虎丸、盗みの力を持っているのはそいつじゃない。海石榴の固有能力だ!」



 指をさされた狸顔の女は拓海を睨みつけ、すぐにその場から逃げた。

 判明してしまえば、当然ともいえる。文字の力を付与される側は肉体的な体力を消費するが、使うほうも精神の負荷が大きいのだ。

 どちらにも対応できたとしても、補助と戦闘を同時に受け持つことはあまりない。『操觚者そうこしゃ』と『闘者とうしゃ』で一組が基本である。


「あの男、自身が操觚者なのに闘える相方を誰も連れてきていないのは、ただ自信があるだけかと思っていたが……。フェイクの多い奴だな」


 周は海石榴に対して「何もできないのだから下がっていろ」と言ったが、相方がいることを隠すためにわざわざした発言だったのだ。


 もともと圧倒的に強い力を持つ白玉、付与できる数や効果時間を増やそうと日々肉体に文字を書き続けているコウなどを除き──力の弱い操觚者が意識を失えば、書いた文字はすべて消える。影響の大きい言葉ほど持続力はない。


 『盗人』を付与されている間、周自身が文字の力を使えないことはさっき虎丸が証明したのでわかっていた。

 海石榴を倒されれば完全な無防備になる。だからフェイクを重ねて隠していたのだろう、と拓海は素早く思考を巡らせた。


「あ、いけず女、逃げるで!」


 走り去る海石榴に気づいて虎丸は動こうとするが、目の前には周がいる。簡単に隙を作ってくれる相手ではなかった。


「ちょっと、足引っ張んないでよね。効果が切れない程度に離れなさいよ!」


 周の声とほぼ同時に、拓海が虚空にペンを走らせた。



──『畏怖』の操觚者そうこしゃ入舟辰忌いりふねたっきの名において命ずる。畏れは守りの本能。痛みと快楽、毒と薬、畏れる者にこそ与えよう。いずれも、表と裏を担う花の名を。


 

 百合に似た花弁が、走る海石榴の周囲に舞った。

 まるで全身が痺れて堕ちていくような甘美な香り。

 不思議な快楽に包まれて、海石榴はその場に倒れ込み、意識を失った。


 周に付与された『盗人』、そして奪われていた『雨月』と『堅固』が消えていく。

 かわりに、虎丸の刀に新しい文字が浮かんだ。



 曼陀羅華まんだらげ



 それは闇夜に花開く白い花。



「まんだらげって、毒草……? たしか江戸時代に全身麻酔薬でも使われた……。あ、毒と薬ってそういうこと!? 拓海のやつ、おっそろしい文字使うわぁ~。てか、画数多い字ィやのに頑張ったやん!」

「言っただろう、俺がお前を勝たせてやる。あのときの借りは返すからな」


 海石榴には意識を奪う麻酔薬として、そして虎丸の刀には幻を見せる毒として。

 薬と毒で表裏一体。ひとつで両方の意味が作用する文字である。



「倒せ! 今はお前のほうが強い!」



 拓海の声に押され、虎丸は刀を振り上げた。

 敵は腕で防御するが、触れた場所から花の毒は全身を駆け巡っていく。



「何よ、これ……。一面の白い花畑……?」 



 曼陀羅華の毒は非常に強く、幻覚症状を引き起こす。

 周の意識は混濁し始めていたが、柔術家の本能かほとんど虎丸が見えていないはずなのにまだ拳を振るってくる。


 虎丸は深く、息を吸って吐く。

 拓海の書き起こした陸奥守吉行の打刀であらためて抜き打ち、真横にふっ飛ばした。

 筋肉質な身体は神社の石畳を二、三度打ち、倒れる。峰打ちだが、もう起きあがることはなかった。



「よっしゃ、大阪コンビ大勝利!!」

「安直な名前をつけるな」



 青年ふたりは腕を高くあげて、互いの手のひらを打った。



 ***



「この男、死んだりせえへんよな」

「当然だ。殺すほどの毒は使わない。数時間は痺れで動けないだろうが」


 近づいてみると、驚いたことに周にはまだ意識があった。見た目どおり頑丈なようだ。

 具合を見るため傍に寄った拓海を、視線だけで見上げている。


 一歩離れた後ろにいたはずの虎丸が前へ進み出て、低い声で言った。


「アンタみたいな強い男に勝ったって、喜びたいとこやけど。オレは本気で怒ってんねん。自分にも、アンタらにも。焦っとるし、後悔しとる。もし八雲さんや紅ちゃんになんかしてたら、この刃ァ裏返してしまいそうやわ」


 腕をまっすぐ前に伸ばし、周の喉の真上で刀身を光らせた。

 虎丸らしくないただならぬ様子に、拓海は立ち上がって止めようかと一瞬迷う。


 が、幼馴染を信用することにした。


「……ほんとにどうなったか知らないわ。ごめんなさいね」

 

 周は毒に冒された体から、声を絞り出すように囁いた。


 嘘をついている可能性もある。だが、刃を向けられた状態で答えないなら、問いつめても無駄だ。脅しに屈する相手ではないと闘った虎丸が一番わかっていた。


「オレはタダ働きはせえへん主義やねん。これ以上アンタら痛めつけても……状況が変わるわけでも、お金が儲かるわけでもないし。動けるようになったら、いけず女連れて帰りー」

「甘いわね。アタシたちはただの文壇の犬じゃない。──『黒菊クロギク』。アナタたちが思ってるより、黒幕はずっと大物デカいのが隠れてるわよ」


 それ以上敵と目を合わせることなく、虎丸は背を向けた。

 拓海は幼馴染が自制したことに安心してふっと笑い、横に立った。


「終わったが?」

「せやな……」


 拓海の短い問いかけが何を伝えているのか。

 付き合いが長いせいで、嫌でもわかる。


 東京では新世界派が危険な目に遭っているのだ。

 お前は、はどうするんだ──流れるような美青年の瞳が、そう問うていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る