十 雨と月を盗めば

「アタシはね、他人が書いた文字を自分のものとして使えるの」


 手首から先が闇に消えた両腕を見せびらかすように掲げ、黒菊クロギク四天王の一人・あまねは言った。


「こっちの書いた字を、全部盗られるってこと!? ほんなら、文字を使わずに闘うしかないやん!」

「そりゃあ、使わなければ盗まれることもないけど、何の付与もなしじゃ対抗できないわよ? 文字相手には文字しか効かないのが原則。アタシが言葉の防御を張れば、もうアナタの刃は通らない」

「んな無茶な……」


 体術だけでも強いというのに、文字の付与をすれば盗まれてしまう。

 いったいどうすれば、と虎丸は頭を抱えたくなった。


「なあ、拓海。おまえも真似できへんの? 盗み返せばええんとちゃう!?」

「無理だ」

「なんでや!」

「能力には得手不得手がある。時間をかければ習得できるかもしれないが、俺はリアリズム小説が専門で、今いきなり怪奇小説やミステリイ小説を書けと言われても書けない。あと長編も得意じゃない。俳句も詠めない。それと同じだ」

「不自由やのー」

「この力は書けば何でも発動するというわけじゃないんだ。無論、器用な作家もいる。でも俺は無理だ」

「おまえ、柔軟性ゼロやもんなぁ……」


 二人の会話を断ち切るように、鋭い殺気が走る。

 今度は周のほうから仕掛けてきた。虎丸は拓海を押しのけ迎え撃つ姿勢をとった。


「ほらぁ、ふたりだけで喋ってないで。こっちの相手もして頂戴」


 暗闇にまぎれた腕を振りあげ、周が笑う。

 拳が見えないのだから、体感を研ぎ澄ませて避けるしかない。覚悟を決めて刀を横向きに構えたが──すぐそこまで敵が近づいた瞬間、消えていたはずの腕が半透明となってほのかに浮かびあがった。

 間一髪で回避しながら苦しまぎれに一太刀浴びせると、刃先は周の額に触れた。


「……あら? ちゃんと隠れていないわね。刀身のように月に似ていないせいかしら。じゃあキラキラしているこっちはどう?」


 額から血が落ちるのに構うことなく喋りながら、周はを投げた。

 風を切る音がして、虎丸の右肩に細い針のようなものが刺さる。


 痛みというよりは、熱をともなった鈍い衝撃が肩を貫いた。

 突き立った細長いものを手探りで引き抜くと、しゃらしゃらと可憐な音が鳴る。数秒の間を置いて姿を現したのは、周の髪を飾っていた花簪はなかんざしだった。


「くっそ……」


 虎丸は簪を握って折ると、地面に捨てた。傷口から血が溢れ出て、黒いコートを滲ませている。

 手に持っている武器であれば、見えなくても動きや目線で多少の予測はつく。しかし、飛び道具では避けようがない。


 駆け寄ってきた拓海が、虎丸の肩を掴んだ。


「見せてみろ。……深いが、神経や腱は無事だな。血管が損傷しているか。応急処置をしてやる」


 傷を確認し、万華鏡のように光の揺れるガラスペンで虚空に文字を書く。



 殺菌 止血 縫合 保護 無痛



 黒い小さな文字が形容化し、白い布へと変化した。するすると肩に巻きついて虎丸の傷口を塞ぐ。


「うおお、治った!? これがおまえの固有能力ってやつか。さっすが医者志望やな~、医者志望なんか?」


 誰でも使える文字とは別に、操觚者そうこしゃがそれぞれ固有の能力を持っていると十里じゅうりが言っていた。

 八雲は物語を綴ることで物の怪を使い魔にすることができ、コウは他人の形容化を強制的に解除する。十里は景色を映像化する千里眼と念写、白玉は人型の傀儡を自在に操ることができる。

 さっき拓海も説明していたように、得意な小説の作風があるのと同じで作家の個性や資質によって発現するものらしい。


「痛みは取ったが治ってはいないぞ。一瞬で診断と手当てができるというだけだ」

繃帯ほうたいって、巻いただけで良くなった気ィするやん? あ、でもまさかこの手当ても盗まれたりするんじゃ……」


 虎丸が不安げにそっと周のほうを見ると、敵は片手を腰に当てた恰好でくすくすと笑った。


「盗らないわよ。アタシに役立つ文字じゃないし、致命傷でもないから盗る理由がないし。あと、そんなにイジワルじゃないのよ」


 安心してほっと息を吐くが、状況が好転したわけではない。このまま闘いを続けても傷が増える一方だろうと想像はつく。

 虎丸はダメもとで手を合わせ、敵に拝んでみた。


「なー、姐さん。一旦作戦会議してええ?」

「やだぁ、可愛い! 作戦会議ですって。男の子っていつまでも子供みたいねー。いいわよ、三分あげる」


 意外なことに、周はあっさりと虎丸の願いを聞き入れた。


「ハァ。ほんまに周の姐はんは、若い男に弱いなぁ……」


 と、離れた場所で見ていた海石榴つばきが呆れ返って顔を手で押さえている。


「優しい!! やった、あんがと!」


 虎丸はそそくさと幼馴染の背中を押して声の届かない位置まで移動し、首に腕を回した。


「なー、どうしたらええねん。詰んだとき作戦考えるんは昔からおまえの役目やろ!」

「あまり肩を動かすな。このまま闘っても勝てないんだ。現状判明している情報から方法を考えるしかないだろう」

「判明っていうても、文字を盗られることと、花魁男がめっちゃ強いことくらいしかわからへんわ!」

「まず、あの男はそんなに甘くない。優しくもない。拳が迷いなく急所を狙っていた。敵に塩を送る性格とは思えないな」


 含みのある笑みで空を見上げている周のほうをちらりと盗み見て、拓海は言った。


「手当てそのままにしてくれたし、時間もくれたやん? 優しいやん?」

「誤魔化しの手法だ。余裕のある素振りをして、知られたくない手の内を隠そうとしている。俺の能力……応急処置を盗らなかったのは、おそらくんだ」

「何でも盗まれるわけじゃないってこと?」

「ああ。だいたい、奴の能力が『無条件で文字を盗める』のでは言葉の及ぶ範囲が広すぎる。俺たちの使う文字の力には、必ずなんらかの制限があるからだ」

「んんん?」


 頭がこんがらがってきた、と虎丸は首をかしげる。


「例えば、だ。お前の得意な剣術にも規則ルゥルがあるだろう。剣でも槍でも素手でもよくて、勝利の条件さえ決まっていないなら試合が成り立たない。成立させるには制限が必要だ。『何でも盗れる言葉』じゃルゥルなしのようなもので、込めた意味が広義すぎて文字の効果が発動しないんだ。つまり、盗む力にも必ず制限がある」


 美青年の口調には迷いがない。その切れ長の瞳と同じでまっすぐだ。


「なーる。最後の一言だけでわかったのに、理屈っぽいなー」

「黙って聞け。肝心の条件だが、ひとつは簡単だ。『形容化』して具体的な形を持ってしまったら、盗めない。それができるのなら刀ごと奪えば終わるからな。『雨月』だけ盗ったのは、付与の文字しか盗めないからだろう。だから手当ての繃帯ほうたいも放置した」

「……たしかに! 拓海、あったまええな」


 もう二つほど思い当たるんだが、と拓海は人差し指を口元で立てた。


「片方はまだ確信が持てないから試させてくれ。相手のタネが判明すればどうとでも対抗できる。俺がしてみせる。あとは……体に文字を付与している気配があるから、どこかに『盗む力』に関する言葉を書いているはず。発動条件のひとつかもしれない。相手の付与している文字を探せ、お前の役目だ」


 会議の最後に一言、念を押す。


「心配するな、絶対にお前を勝たせてみせる。それは俺の役割だからな」

 

 ずっと冷静さを崩していない拓海にしては、妙に拘っているような言い方だ。

 多少気になったが、今は目の前の敵を倒さなければならない。


 いくつかの指示を聞いて、虎丸は退屈そうに欠伸をしている周の前へと戻った。


「作戦会議、終わったの~?」

「おかげさまでー」

「いい作戦思いついたかしら?」

「ふっふっふ、名付けて『なんて書いたかバレへんようにする』作戦!!」

「言っちゃうの!? 作戦会議の意味がないじゃないの。やだーもう可愛い!」


 本物の花魁のようにしなを作って、くすくすと笑う。

 本気なのか遊んでいるのか、明確な敵意を持ってタカオ邸にやってきた海石榴と違って、周の本心は読み取ることができない。


 しかし──戦闘再開となると表情が一転し、獰猛に変わった。

 獣のような迫力に虎丸は少なからず恐怖を抱く。自衛本能か、自然に足が後ろに一歩下がっていた。


 逃げ出したい気持ちを断って奮い立たせるために、虎丸は自分から向かっていった。


「『雨月』の文字、便利ね。刀じゃなくて飛び道具で使うべきだったわね。ふたりとも経験不足……」


 髪に挿さっていたはずのかんざしくしがすべてなくなっている。

 飛んでくる、とわかったが虎丸はあえて避けなかった。


「簪くらいじゃ致命傷にならへんし、無視!!」


 刺さる範囲を狭めるためできるだけ体を斜めにして、刀を持った腕で顔を隠しながら走る。

 何本かの簪が風とともに腕や頬を掠めていったが、深い傷はまぬがれた。


 虎丸が真上から刀を振り下ろす。

 が、周の半透明にすけた両手に刃を止められた。


「白羽取り!? 初めて見たで、ほんまにできる人間おるの!?」

「ふふ、アナタたち、どんな言葉かわからなければ盗めないと思ったのかしら。関係ないわよ。肉体強化を付与したでしょ? 喉元と額、あと両手に急所を守る言葉の気配を感じる。まあ、もう頂いたんだけどね」


 作戦会議の最中、敵の目を盗んで書いた四つの『堅固けんご』の文字。虎丸の肉体に付与されていたはずなのに、気づけばすでに敵に盗まれていた。

 文字によって硬質化した手のひらで、周は刃を無理やり受け止めたのだ。


 あっさりと攻撃を止められたにも関わらず、虎丸は刀を下ろして呼吸を整えると、嬉しさの滲んだ声で言った。



「あ、制限ってやっぱりそうやん。わかったで!!」



 わかった、というより拓海の推測が当たっていただけなのだが──。


 『堅固』はその推測を立証するため、相手に盗ませる・・・・目的でわざと書いたのだ。

 あえてダミーの作戦を伝えたのも「バレたらまずい文字」と思わせれば、敵は必ず盗んでくるだろうという誘い込みだった。


「花魁男姐さん、文字の力で防御を付与すればこっちの攻撃は効かへんて自分で脅したくせに、全然書こうとする気配がなかった。ちゅうことは、盗んどる間は盗んだ文字しか使えへんのやろ!」


 これこそが、試したいと拓海が言っていたもうひとつの推測だ。

 ぴくりと、周の眉が不満げに動く。


 ──かと思えば、高く笑った。


「アナタたち、本当にいいわぁ。活きのいい男は好きよ。なぶりがいがあって」

「あー、やり返されると燃えるタイプなんかー……」

「返されたってほどじゃないわ。そんなことがわかったところで、アナタたちの不利は変わらない。書けなくても盗めばいいんだもの。アタシはすでに『雨月』と『堅固』を持ってる。対して、アナタは文字を書いても盗られるだけなんだから、結局使えないでしょ」


 ふ、と虎丸が笑い返す。


「オレの目先の目的は倒すことちゃうねん。せやから、『堅固』で防御されようがどーでもええの! むしろ助かるわ、無駄に怪我させんの好きちゃうしー」


 虎丸は両手にそれぞれ刀を持ち、二刀で間合いに踏み込んでいく。

 そう、狙いは最後の条件を探し出すために、敵の敵の絢爛な着物を斬り払うことだ。


 反射的に急所を守ろうと構えた周は、対応が遅れた。

 はらはらと桜吹雪のように舞う朱色の端切れを目の当たりにして、瞳を見開いている。



「あった、背中に文字! 意外とシンプルな言葉やったなぁ。『盗人ぬすびと』!」



 目的を達した虎丸は一旦下がり、拓海に向かって笑いかけた。



──盗人? 強奪、窃盗など行為にかかる言葉ではなく?



 言葉を伝えられた拓海は顎に指を置いて、思案をめぐらせた。

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