第十話 「鬼と白瓜の連携、処分者達の末路」
🏮新太郎定廻り控え帳
第十話
「鬼と白瓜の連携、処分者たちの末路」
一. 臨時廻りの視線と、同心の視線
天保二年、初夏。
真鍋新太郎は勘定方の筆と定廻りの十手、二つの武器を携え、定廻り弐番組へと復帰した。
辞令は「定廻り臨時廻り兼任」という異例のものであり、彼が奉行所内部の闇を探る「内偵者」であることを暗に示していた。
同心部屋に戻った新太郎を迎えたのは、歓迎の空気ではなかった。
豊田磯兵衛の押込処分により、同心たちの間に広がるのは猜疑心と沈黙であった。
「白瓜、お前は何をしに戻った?」
代理で筆頭を務める大八木七兵衛が新太郎に鋭く問いかけた。
その眼には、新太郎が豊田の命で動いていることを既に察している深い覚悟の色があった。
新太郎は、静かに答えた。
「大八木さん。私は、札差の金の匂いを辿り、豊田さんの無実を証明しに参りました。臨時廻りとして、勘定方で掴んだ裏帳簿の謎を追います」
大八木は、新太郎をじっと見据えた後「鬼」の異名にふさわしい低い声で言った。
「よかろう。だが、この部屋には、三之助のバラまいた金に目が眩んだ鼠が潜んでいる。誰にも心を許すな。お前が命を落とせば、豊田さんの名誉は永遠に回復せぬ」
新太郎は、潮と鉄の匂いが混じる同心部屋で孤立無援の戦いが始まったことを悟った。
二. 処分者たちの末路と、隠された痕跡
新太郎の内偵は、勘定方の知識を活かし慎重に進められた。
彼は、定廻り臨時廻りとして三之助事件で既に「押込」処分を受けた南組同心九名の自宅や関係先の帳場を「業務上の必要」という名目で調べ始めた。
新太郎が向かったのは南組の処分を受けた同心の一人、木村の自宅であった。
木村は押込処分を受けて以来、酒に溺れ荒れた生活を送っているという。
木村の自宅は生活の匂いというより、湿った畳の腐った匂いと安酒の酸っぱい匂いが充満していた。
新太郎は木村が奉行所から借金をしていた帳簿の裏に、札差・柴田屋勘兵衛を通じて多額の不正な貸付を受けていた痕跡を発見した。
「木村は、三之助の賭場ではなく、札差の金に絡め取られていた...」
新太郎は三之助の裏金が、札差の不正な貸付と二重に絡み合い、同心たちを罠に嵌めていたという構図を掴んだ。
その時、背後に殺気が走った。
三. 大八木の援護と、鼠の正体
「白瓜、危ない!」
怒声と共に、大八木の十手が、木村の背後から迫っていた謎の浪人の刀を叩き落とした。
「キンッ」という甲高い金属音が湿った空気を切り裂いた。
「大八木さん!」
大八木は鬼の形相で倒れた浪人に抜き身の刀を突きつけた。
「てめえ、何者だ!なぜ処分された同心の家に忍び込む!」
浪人は恐怖に顔を歪め、「自分はただの借金取りだ」と喚いたが、大八木の迫力にやがて口を開いた。
「...わ、私は、北組同心・大槻様から、木村殿の不正な借用書を回収するように頼まれた...」
大槻。
それは、柴田屋の捕物で豊田と共に立ち回ったはずの、定廻り弐番組の同心の名前であった。
新太郎は、背筋に冷たいものを感じた。
鼠は、最も信頼すべき場所に潜んでいた。
大八木は新太郎の顔を見た。
「勘定方の帳簿」と「処分者の末路」、そして「内通者」の点が、一本の線で結ばれた。
「白瓜。これが、奉行所内部
での殺し合いだ。札差の金は同心の魂を食い破る。大槻を泳がせろ。奴の背後にいる巨悪を、二人で暴く」
大八木の言葉には、豊田の処分に対する強い義憤と、新太郎の命を守るという固い決意が宿っていた。
四. 巨悪の影と、二人の決意
新太郎は大八木の援護を受け、内通者・大槻を警戒しながら、札差の裏金を追う内偵を続行した。
彼が掴んだのは南組の大量処分の影で、北組の同心にも大槻を含め、不正な金がばらまかれていた事実であった。
この不正の元締めこそが、老中大久保の内意を盾に、奉行所の規律を掌握しようと画策する矢部彦五郎の派閥と繋がっていた。
夜が更け、のりひょうの湯気が立ち昇る中、新太郎と大八木は静かに酒を酌み交わした。
「大八木さん。私は、勘定方の仕事と偽り、札差の不正な貸付金が、奉行所内部の誰に、どれだけ渡ったかを調べます。豊田さんの押込処分は、巨悪による同心大量処分の第一歩だったのです」
大八木は、新太郎の小さな椀に、熱燗を注ぎ足した。
「白瓜。我々は、鬼と白瓜だ。命を懸けろ。豊田殿の無実を晴らし、定廻りの義侠心を守るためだ」
新太郎は熱い酒を一気に呷り、溜息にも似た一息をついた。
自宅に戻り控え帳を静かに広げた。
『九、鬼と白瓜の連携を記す。豊田様の不当な処分は、三之助の裏金と札差の不正が絡み合った同心大量処分の布石であった。南組の処分者を調べた結果、北組同心・大槻の関与を確認。同心・大八木七兵衛殿の鬼の活躍により命を拾う。これより、勘定方の知恵と定廻りの剣をもって、奉行所内の巨悪を追う。』
新太郎の筆は、裏切りと義侠心が交錯する、江戸の深い闇を克明に記録し続けた。
(第十話完)
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