《テケテケ》⑩

 「テケテケと思しき少女……聖マナミは、普通に生きてたよ。伝手を使って調べたんだ。彼女は今通信制の高校へ通っているらしい」


 空が白み始めた山の中、私たちが掘った大きな穴の傍らで、所長が言った。


「彼女はおそらく、校内の協力者とともに噂を流し、テケテケを生み出した。ボクたちが戦ったのは、そうやって人為的に生み出された怪異だった」


「……連中は、私たちの頭の中を読んで、その恐怖の形を具現化してるだけだって、そう言いたいんですか」


「ああ。彼らは別の次元に棲息する、ボクたちとはまったく別の生き物なんだろう」


 そう言って所長は、解説を続けた。


「たとえば、キミが最初に遭遇した人間ムカデもどき。これは、SNSで有名なイラストレーターが描いたイラストがちょっとしたミームになっただけに過ぎないよ。だからキミ以外には見ることも出来なかったし、今ではすっかりブームも下火で、またキミが出会うこともないだろう」


「たとえば、赤い赤ん坊。キミは知ってるかい? 水子供養が始まったのが一九七〇年代だということを。その前までは、誰も水子の霊なんて考えていなかったんだ。だから水子の怨霊が現れることもなかったし、誰も恐れていなかった。しかし水子供養のブームによって、霊が現れるようになった。……もっと言えば、ボクらがあの廃医院で見た慰霊碑。あれは慰霊碑じゃなくて単なる定礎だったんだよ。苔まみれで誰も気づかなっただけでね」


「たとえば、カレンくんのアパートで見た首吊り霊。あれはカレンくんが家の中にいる侵入者の物音を幽霊だと勘違いしたことで現れただけなんだよ。霊感がなくても、頭の中を読むことは出来るみたいだね。あるいはキミの考えに影響されたのかもしれない。自殺イコール首吊りなんて、陳腐な想像じゃないか。でも実際の自殺方法は、お風呂で手首を切っただけだった。カレンくんが侵入者を殴り飛ばしたことで、彼女のなかで幽霊はいなかったという認識が生まれて、首吊り霊は消えたんだ。キミがいくらいると言ったところで、見えないものを信じるのは大変だからね」


「たとえば、このあいだ刺殺されて見つかった鎌田ヒトシ。彼の背後に霊がいたのは、単に彼の罪悪感を連中が読み取っただけに過ぎないよ。強い思いは、それだけ連中に働きかけるんだ。実際のところ、鉢植えが落ちてきたのは彼を刺殺した犯人がやったことみたいだしね。人一人の想いでは、幻覚や幻聴を引き起こすのが限界みたいだ」


「たとえば、くねくね。ボクたちはかつてくねくねを退治したことがあるんだけど、どういうわけかそれは八尺様の姿をしていた。簡単なことさ。ネット怪談が語られ続けるにあたって、いろいろな怪談がごっちゃになってしまったんだろう。ボクがニョロニョロとスナフキンをごっちゃにしていたみたいにね。あるいは、連中の中にも雑なやつがいたのかもしれない。そして連中は自分を見たものの霊感を強制的に引き上げる能力を持っていた。彼らの目的が人々に認知されて、この世界に顕現することだとすれば、この能力の目的は明快すぎるほど明快だ」


「たとえば、カレンくんの妖刀。カレンくんの妖刀は自殺者が多発した駅の線路のレールを鋳溶かしたものだ。だけど、少なくとも電車への投身自殺に限っていえば、そこに怨念が発生するのは変なんだよ。この手の自殺未遂者の体験談を読んでいると、彼らは決まってこう言うんだ。ふらっと、まるで誘い込まれるように、気がつけば身を投げ出していたと。症状が比較的軽いうつ病で、外に出られるほどの元気がある患者に多い事例だね。そこには、ドラマも覚悟も怨念もないんだ。だからこそ怖いと言っても良いかもだけれど。もたらされる結果の重さを抜けば、そんなのは花粉症患者が鼻をかんだり、アトピー患者が痒くてつい肌を掻いてしまうのと変わらないんだよ。その駅で自殺者が多いのは、たまたま身投げしやすい環境要因が揃っていただけに過ぎないんだ」


「たとえば、四谷怪談を知ってるかな? 有名なお岩さんが出てくる怪談だね。これを上演するときは彼女を祀ったお岩稲荷にお参りしないと祟りが起きるなんて言われていて、実際にそうしなかった関係者が怪我に見舞われることが度々あったんだよ。だけどこの四谷怪談、江戸時代の劇作家である鶴屋南北の創作でしかなくてね、本当にあったことじゃないんだ。たとえ最初に起きた怪我は偶然でも、そういうことがあり得ると認識されてから何度も起きているのは説明がつかないと思わないかい? 四谷怪談じゃなくて、四谷怪談をお参りなしに上演すると呪われるという都市伝説こそが連中の力によって実体化してるんだ」


「たとえば――」


「……所長は、なんでこのことを私やカレンさんに隠してたんですか」


 私は問うた。


 細かいことはどうでも良かった。だけど、そのことを隠していたのが不可解だった。


「所長は、まるで幽霊が、霊魂がいるかのようにずっと振る舞っていました。なんでそんなこと、したんですか」


「……だってキミたちは、霊を、幽霊を望んでいただろう?」


 所長は言う。


「カレンくんは無邪気にも幽霊に会いたいと言っていた。キミだってそうだ。ユイナくんの霊に会えたらいいなと言っていた。そんなところで水を差したら、せっかくの有用な人材を失ってしまうじゃないか」


「それは、そうかもですけど」


「でも幽霊はいないんだ。考えてもみなよ。人の意志が死んだあとも残るはずがないだろ。そんなロマンチックなことが、人間にとって都合の良いことが、あるわけないじゃないか。世界はボクたちのために出来てるわけじゃないんだ。天動説は間違いだし、災害は容赦なく脈絡もなく伏線もなく人々の命や生活を奪っていく。あるようにあるだけなんだ。そう思えないのはボクたちが都合よく自然を改造して生き残ってきたからだし、都合の良いストーリーを脳内で生み出す生粋の陰謀論者だからだ。肉体を持つものはいずれ滅ぶし、肉体を持つものはひどく脆い。それこそあれだけ恐ろしかったはずのテケテケが、銃弾ごときで倒れるようにね。実際は別次元から来ている侵略者……いいや、いいところ野生動物がボクたちの思考を読み取ってそれらしいものを再現しているだけに過ぎないんだよ。そう考えたほうが、よっぽど現実的じゃないか」


 そこまで言って言葉を区切ると、最後に絞り出すように言った。


「でもそれじゃ、嫌だろ」


「……それは」


「死んだ母にまた会えるかもしれないってボクだって昔は考えてたさ。でも、彼らのことを研究すればするほど、分かってしまうんだ。幽霊なんて、霊魂なんて、いないって。単なる都合の良い妄想に過ぎないって。連中がその妄想にタダ乗りしているだけに違いないって。……でもボクは、この考えを受け入れるのに、すごく時間がかかったんだ。だから、キミたちにも自分で気づかない限り、そのことを語るのはやめたんだよ」


「……姉さんは、自分で気づいたんですか」


「ああ、気づいたよ。当たり前だよね。怪異を実体化させてタコ殴りしてるんだ。そんなの実質的な死者蘇生だし、殺した魂はどこに行くんだよって話になる。……あの子には悪いことをしたと思うよ。ご両親の魂にどこかで出会えるかもなんていう希望を絶ってしまったからね」


 思い出す。私が両親に再び会うんだと言って降霊術を学んでいたときに姉が見せた、あの寂しそうな顔を。


「とにかく、霊はいないんだ。幽霊は見えないんだ。ボクたちが見ているのは、別次元からやってきている何かなんだ。……ごめんね、アンナくん」


 最後に、所長は本当に申し訳無さそうに、そう言った。


「……いえ、それでも、希望はありますから」


 だから私は、努めて笑顔で、そう返した。


「新島心霊事務所に来たことで、神隠しがあるって分かりました。現実ではありえないような不条理なことがあるって分かりました。それこそ、姉さんはまったく別人の記憶を植え付けられて、別人として生きている可能性だってあります。……少なくとも、死体が見つかってないなら、まだ希望はあるんです。所長だって、そう思いませんか?」


「キミは、ポジティブだね」


「この事務所に来て、怖い目にたくさん遭いました。化け物に追われたり、人殺しの手伝いを結果的にしてしまったり、……それでも、それだけで、お釣りが来ます」


「……アンナくん」


「それに、カレンさんや、所長にも出会えましたし」


「……ははは、そんなこと言っても、お給料は上げないからね」


「ケチですね。中学生にこんな危険なことさせてる時点で児童相談所行きですけど」


「それはちょっと困るな」


「でも、チクるのは後にしてあげます」


 そこまで言って、私はさっきからずっと震えているスマホをとった。


「カレンさん、すいません。はい。……カレンさんが仕留めそこねたテケテケを何とか倒してたらこんな時間になってしまいました。そっちはどうですか? 警察とか呼ばれてたりしませんか? すぐに目覚めて武田さんごと逃げた? ありがとうございます。お疲れ様です。血の跡? ああ、あれは激戦の形跡ですね。本当に大変でしたよ。でもこれで、テケテケ事件は収まると思います」


 そこからしばらく話をして、私は電話を切った。


 そうして所長と一緒に、笑い合う。


 共犯者同士の、笑みだった。

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