《テケテケ》⑦

「お願いします、武田さん」


 もうすでに、テケテケによる犠牲者は五人を数えていた。流石に看過できない数字である。私たちは、唯一の可能性――依頼者の武田コハルさんに、頭を下げていた。


『敵の敵は味方ってよく言うだろう? 逆に言えば、敵の味方も敵なわけだよ。なら、いじめっ子と個人的に仲良くしていた人間は十分敵だと思わないかい? さらに言えば、彼女はテケテケを一度目撃してるんだ。そういう意味でも資格は十分あると思うよ』


 だから、私たちに残された策は、武田さんを囮に使うことしかなかった。


「リスクは当然あります。歩けなくなるかもしれません。ですが、これしかないんです。テケテケを退治すれば、今歩けなくなってしまった人たちは皆、助かるんです。これから襲われるかもしれない人の被害も未然に防げるんです。だから、お願いします」


 私とカレンさんが頭を下げている。所長はお察しだった。


 我ながら卑怯なことをしている自覚はあった。他人の安全を天秤にかけて、ほとんど部外者と言っていい相手に無茶を頼んでいるのだ。


 しかし、それ以外の方法がなかった。


 一応引きこもってる連中のところへ向かったが、いじめっ子などという人種に義侠心を期待するのは無理があったし、そのへんの生徒を連れてくるのも変わらない。


 そうはいっても、彼女だってテケテケを目撃しているのだから、その恐怖は桁違いのはずので――


「……分かりました、やります」


 だけど、武田さんはあっさりと頷いた。


「え、いいんですか」


「良いも何も、それしかないじゃないですか」


 そう言う彼女の声音には、驚くほど気負いのようなものが感じられなかった。


「安心したまえ。そこのデカいスーツの腕は確かだから」


 所長が言う。


「彼女は単なる木偶の坊ではなく、本物の怪異ハンターなんだよ。今までだって何体もの悪霊を狩ってきたんだ。だから安心すると良い。霊が見えないからこそ、彼女は強いんだ」


「大丈夫です、皆さんなら安心だって信じてますから。……わたしみたいな高校生の言う事を信じてくれて、ここまでしてくれたんですから」


 そうして、私たちは武田さんを囮にした作戦を行うことになった。


 ※


 暴力だけは絶対に駄目だと、亡くなった父は生前よく言っていた。


 わたしもそう思う。暴力を振るう人間は、最低だ。どんな理由があっても暴力は許されないだろう。


(……でも、最低でも、許されなくても)


 わたしはその日、はじめて意識的に暴力を振るった。


 あの子をいじめていた女子の一人を、階段から突き落としたのだ。


 周りに人がいないのを確認して、思い切り体重をかけて、背中を押した。


 すると彼女は面白いくらいに簡単に転げ落ちていって、呻いていた。


 いい気味だと思った。


 天国の父はこんなわたしを軽蔑するかもしれないが、それでも構わなかった。


 それよりも大事なことが、今のわたしにはあったのだ。


 暴力は良くないなんて建前は、そんなことで簡単に破られてしまう。だから世界から暴力はなくならないし、いじめや犯罪だってなくならないに違いなかった。


 そうしていじめっ子は、足を骨折し、全治三ヶ月の怪我を負った。


 朗報だった。


 足なのがちょうどいい。


 わたしは噂を流した。いじめられて不登校になった生徒が電車で投身自殺を図り、失った下半身を求めて夜の校舎を彷徨っているという噂を。


 その噂は実際に怪我をした生徒もいることから爆発的に拡散していき、わたしは次の段階に移った。


 次のターゲットは偶然同じ委員会に属していた桐山アオイだった。わたしは彼女に近づき、何度も先程の噂を聞かせた。彼女はそのたびに本気で狼狽え、顔を青くしながら早口で怒った。それだけじゃない。長い抜け毛を添えた告発の手紙を下駄箱に入れたりもした。日に日にやつれていくその姿は、最高に愉快だった。


 けれども彼女は、わたしとの交友をやめない。やめられない。


 噂は桐山アオイを孤立させた。次に呪われるかもしれない相手と付き合おうと思う人間など誰もいないだろう。噂のなかで度々語られるいじめっ子の実名――その噂もまた、わたしのお手製である。


 そうしてわたしは、彼女の恐怖が最高潮まで達したのを確認したら、また同じように階段から突き落とす予定だった。


 そうだ、予定だったのだ。


 なのにそれは、本当に現れてしまった。


 それは間違いなく、あの子の、転校生の、聖(ひじり)マナミの顔をしていた。


 マナミの顔をしたテケテケが、本当に現れてしまったのだ。


 それは骨折などよりよほどおぞましい真似をして、桐山アオイを病院送りにした。


 わたしは怖くなって、近所にあるひどく胡散臭い屋敷――新島心霊事務所に相談して。


 その結果として、わたしは今、テケテケの囮として、夜の校舎に侵入していた。


 ※


「助かったよ。キミが監視カメラがないところを教えてくれなかったらこうして侵入するのもままならなかっただろう。何から何まで、キミのおかげだよ」


 所長が言う。時刻は午前二時。私たちは真夜中の県立H高校に侵入していた。


 そうして目指すのは桐山アオイがテケテケに襲われたという、件の渡り廊下だった。ここなら校舎に入らずとも侵入することは容易いため、私たちはすぐにそこにたどり着く。


「後はキミとアンナくんたちがそこの渡り廊下を別館側から歩いてくれれば、やつは現れると思う」


 言われたとおりに、私たちは歩き出した。私とカレンさんで武田さんを挟むように横並びになりながら歩く。


 真冬の夜の校舎はなるほど雰囲気があったが、もう本物の心霊スポットを何度も渡り歩いてるため、正直そこまで怖くない。テケテケだって、人間ムカデもどきや赤い赤ん坊と比べてしまえば可愛いものだ。けれども隣の武田さんの歩みは遅く、私は彼女を勇気づけるために手を握った。それを見て、カレンさんも同じことをする。


 それにしても、渡り廊下は長かった。一〇〇mくらいはあるだろうか。私たちはそこを、彼女のペースに合わせてゆっくりと歩き、ついに真ん中あたりにたどり着いた時、それは現れた。


「……ひっ」


 校舎側から現れた、一体の異形。


 それは間違いなく、テケテケだった。


 黒いセーラー服の、分断された下半身から血を流しながら両手で這う少女。


「見えますか、カレンさん」


「……見えてないよ」


 霊力を高めるためのサングラスをかけてなお、彼女は言った。


(じゃあ、貼らないと駄目なのか)


 この作戦の前に所長が言っていたことを思い出す。


『今回のテケテケはかなりの人間に現実味を持って認知されているから、素の状態で相当強いことが予想されるよ。それこそ、霊感が普通にある一般人なら難なく認識できるくらいにはね。もしかしたら運が良ければカレンくんでも認識できるかもしれない。そうはいっても、おそらくは無理だが。


 となると、問題は強化札を貼ることの危険性だ。ボクの札は霊を強化するけど、これはその力を一定値にまで底上げするみたいな空気の読めるものじゃないんだよ。ざっくりと倍加するものだから、もとの力が強ければ強いほど、怪異も強くなる。もとはほんの少しの差だったものが、倍加することで洒落にならなくなるかもしれない。……正直、この案件は、今まで戦ってきた連中よりも厄介かもしれないんだ。カレンくんもアンナくんも、そのへんを覚悟して戦ってもらいたい』


「――来ます!」


 テケテケは両手で這ってるとは思えないほどの速度で、こちらに迫ってきた。


 だから私は、彼女に向かって札を放った。


 強化された怪異が、やっとカレンさんの目に認識される。


 カレンさんが武田さんの手を放し、駆けながら抜刀する。


 私は武田さんの手を引きながら、逆方向に駆け出す。


 自殺者が多発した駅の線路のレールを鋳溶かしたという逸話が事実ならば、同じく電車への投身自殺で下半身を失った彼女にとってその短刀は特効に違いなかった。


「――ッ!?」


 違いなかったはずだが、その一撃は身を低くして軽々と回避されて。


 そのまま、彼女の長い脚は、テケテケの餌食になった。


 両足を掴まれて、彼女は前のめりに崩折れる。


『安心したまえ、もし足を掴まれたとしても、足が物理的に吹き飛ぶみたいなことはないだろう。あるいは噂が曖昧だったらあり得たかもしれないが、今の彼女は襲った相手を下半身不随にする怪異として実例込みで認識されているから、その能力が変わることはない』


 所長の言う通りだった。


 私は武田さんの手を引いてひたすらに駆ける、駆ける、駆ける。


 そして、彼女の手を離すと、私は勢いよくその背中を押した。


『もしもカレンくんが駄目だったら次はキミが依頼者を身を挺して守ってくれ。彼女の目的はあくまで依頼者だから、先に依頼者がやられたら姿を消す可能性が高いんだ』


 そうして私は、足を掴まれた。


 ぞっとするほど冷たい手だった。


 冬の大気の中でさえ凍えるほどに、それは冷たかった。


 私は前のめりに倒れる。


 下半身に、一切の力が入らなかった。


 それでも、上半身は動く。


『そして、もしもカレンくんが倒されたら、こうしてほしいんだ』


 私は指示通りに動く。


 意味など微塵も理解せずに、しかし所長のことを信じて。


 そうして私は、テケテケの背中に、強化札を再び貼った。

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