《テケテケ》⑥

 県立H高校への潜入任務は三日間を数え、武田さんの協力も相まって、その間にほしい情報は概ね手に入った。


 まず、一年二組に不登校になって中退した女子生徒がいること。


 その生徒が学校に来なくなってからしばらくした一〇月頃に、同じクラスの女子生徒が校内の階段で足を踏み外し、足を骨折していること。


 依頼者が持ち込んできた案件、桐山アオイが下半身不随になって入院してから、このクラスで三人も不登校が出ていること。皆何かに怯えているようで、彼女たちがいじめを隠れて行っていたに違いないと学内ではもっぱらの噂だということ。


 その中には、前述した足を骨折した生徒もおり、やはりこれが『いじめられていた生徒が自殺して、テケテケになって足を探し回っている』という噂の源流と思しきこと。また、その生徒は友人に誰かに後ろから押された旨を何度も語っていること。


 しかし、テケテケの噂を流したのが誰かは、依然として不明なこと。それと――


「そのテケテケになってしまったという女子生徒の名前は、分からなかったんだね」


 事務所の応接間、所長が話をまとめるように言った。


「はい。誰も名前を覚えてなくて、中退しているので名簿にも載ってなくて」


「まあ別にそれは良いよ。問題はテケテケが現実に暴れていることなんだから」


「それなんですけど、多分テケテケはもう出てこないんじゃないですか。……だって、彼女をいじめてたと思しき連中が全員不登校になってますし。学校にしか出てこれないなら、来れなければもう二度と事件は起こらない」


「……それならいいんだけどね」


「にしても、意外ですね」


 ここ数日で幾分態度が軟化したカレンさんが言った。


「H高校ってけっこう頭いいじゃないですか。確か地域で一番ではないですけど、それでもかなり。なのにいじめなんかあるんですね」


「頭がよかったらいじめをしないなんて、そんなわけ無いだろう? エリートが独裁者になり人種差別なり虐殺を行ったりするのは枚挙にいとまがないし、そんな大げさな例を挙げなくても大学でのアカデミックハラスメントなんてよく聞くじゃないか」


 自称勉強ができなかったとはとても思えない賢しらな口調で、所長が言った。


「で、どうするんですか。テケテケが現れないなら、私たちも退治できませんが」


 私がそう言うと、カレンさんが続けた。


「退治しなくて良いんじゃない? いじめなんかするからこうなるんだよ。しかもそれで相手が自殺したんだから、足が動かなくなるくらい当然の報いだってば。命をとられなかっただけ感謝したほうが良いじゃん。他の連中も一生ビビり散らしながら引きこもってればいいし、むしろ清々するよ」


 その言葉はどこまでも正論に聞こえたが、私だって黙っているわけにはいかなかった。


「いやいや、そういうわけにもいかないでしょ。……少なくとも、依頼者の武田さんは良い人でしたし」


「相手が悪人だろうがなんだろうが怪異から人間を守るのがボクらの仕事だからね。テケテケを倒さない限り、彼女の脚は治らないだろうし」


 カレンさんがいくら力説したところで、所長もスタンスを変えなかった。


「……それにだよ、いじめの加害者っていうのは、定義がとても広いんだ」


「定義?」


「それこそ、見て見ぬふりをしてた連中だって、加害者認定できるだろう?」


 所長がそう言った数日後のことだった。


 新たな犠牲者が現れ、テケテケに足を持っていかれたのは。


『被害者は、一年二組の担任でした』


 武田さんが、スピーカーの電話口で語る。その声は、とても憔悴しきったもので。


「まあ、だろうね。いじめが横行したのは担任の責任だと考えるのは妥当だ」


『担架に乗って先生が運ばれようとしていたので、ドサクサに紛れて先生の太ももを思いっきりつねってみたんですが、無反応でした』


(……この人、かなり行動派だな)


「となると、また下半身不随が起きたと考えていいだろうね。テケテケは学校でしか活動できず、しかし学校には復讐したい相手がいないため、次善の相手を選んで襲いはじめた。そう考えるのが妥当だろう」


『……てことは、また犠牲者が出るかもしれないってことですよね』


「ああ。十中八九出るだろうね。いじめを見て見ぬふりをしていた一年二組の生徒が主に被害に遭うだろう。思えば、いじめられていた生徒の名前を誰も挙げないのは、自分はそんなやつは知らない、自分は悪くないんだというせめてもの抵抗なのかもしれないね」


『……そんな』


「この件で、テケテケは単なる噂レベルを超えた存在になるだろう。一回だけならば単なる偶然だが、二回起きてしまえば必然だからね。となれば存在そのものがより強固になり、被害者は増えていくに違いないよ」


「でも、私たちはその子と微塵も縁がないから、おびき出すことは出来ない。……ですよね、所長?」


 私が会話に割って入る。


「ああ、そのとおりだね。ボクらは彼女に襲われるには、あまりにも無関係すぎる」


「今引きこもってる連中の首根っこを掴んで無理やり引きずり出してくるとか」


「警察呼ばれるよ。流石に前科者になる覚悟はないからね」


 ……そうして手をこまねいているあいだにも被害者は増えていき、一週間後には校内で新たに三人の犠牲者が出ていた。


 これ以上傍観しているわけには、いなかった。


 ※


 父が亡くなり、学費を払い続けることが出来ず、わたしは公立高校に進学せざるを得なくなった。


 わたしの唯一の友人が県内でトップの高校を外部受験するというので、わたしもまた無謀にも挑戦することになった。


 それが、中学三年生の春のことである。


 わたしの成績は彼女の協力もあって、みるみるうちに伸びていった。今までが勉強しなさすぎたのだ。そうはいっても、そんなお手軽な成長は最初の三ヶ月で止まってしまって、そこから先は苦しい勉強の日々が続いたのだけれど。


 そして、年をまたいで翌年の一月。


 わたしの模試の結果は、散々だった。D判定である。


 一方の彼女といえば、A判定だった。


「わたし、もう一個高校のランク下げようと思うんだけど。……S高じゃ無理だから、H高にしようかなって」


 それは実質的なお別れへの宣言だった。


 だって仕方ないだろう。もう一月なのだ。受験は二月の下旬に始まるのだ。いくら何でも絶望的がすぎるだろう。底辺の成績だったわたしがここまで来れただけでも、奇跡的と言って差し支えなかった。


 だけど、あの子はこう言ったのだ。


「……わかった、じゃあ私もそこ受験する」


「は?」


「両親の説得は出来ると思う。だってH高も十分頭のいい学校なわけだし。それこそ、うちの学校よりちょっとランク上だしね」


「いやいやいや、だってずっと頑張ってきたじゃん」


 わたしはずっと、彼女の努力を横で見てきた。わたしに勉強を教えながら、自分の勉強も精一杯頑張ってきたのだ。


 そんな彼女が、わたしに合わせてレベルを下げる?


 そんなの、おかしいと思った。


「あなただって頑張ってきたでしょ」


「でも」


「でもじゃないよ」


「だってほら、見てみなよ? S高は東大とか京大とかいってる人もゴロゴロいるんだよ?」


「だから?」


「だからじゃなくて、アンタは絶対こっちの高校に行ったほうが――」


 気がつけば、制服のネクタイを掴まれていた。


 ネクタイを掴まれて、ずいと顔を引き寄せられて、彼女はこちらを見つめている。


「私が行きたいって言ってるの」


「……なんで」


「なんでって、あなたが好きだから、じゃ駄目?」


 そのまま彼女は、続けた。


「私はあなたがすんごい馬鹿な高校に行くとしても追っていくつもりだった。……流石に親に反対されるから無理だっただろうけど。でも、あなたは頑張った。去年の春頃の学力じゃ考えられないくらい成績が良くなった。だから一緒の高校に行きたい。それじゃ駄目なの?」


「……でも、わたしだよ?」


「自称霊感少女の抜け殻でも、私はあなたと一緒にいたいの」


 そういうわけで、わたし達は同じ高校に――県立H高校に進学したのである。


 これはもう、生涯の大親友確定コースだと、誰もが思うだろう。


 わたしだって、今の高校に合格したときはそう思っていた。


 だけど、そうはならなかった。そうはならなかったのである。


 まず最初に、クラスが違った。わたしは五組で、彼女は二組だった。それでも、最初は昼休みに一緒にご飯を食べたりしたし、放課後だって一緒に過ごした。


 だけど、お互いに別の交友関係が出来ていった。


 幸いにも、わたしに彼女以外の友人が中学以来初めて出来たのだ。


 そうしてわたし達は、徐々に疎遠になっていった。


 ……思うにそこには、罪悪感があったのだと思う。


 あの子は第一志望を蹴って、わたしとレベルを合わせた。


 あの子は気にしていなかったかもしれないが、わたしはずっと、それが気になっていたのだと思う。あの子と顔を合わせるたびに、罪悪感がチクリと胸を刺したのだと思う。


 人と人の関係は対等であることが肝要で、そうでなければ、長く続かないのだ。


 そうして気がつけば一度も会わないまま高校一年生の夏休みが終わってしまって。


 夏休み明け、わたしはやっと、彼女が学校に来ていないことに気づいて。


 そのまま中退していることを知った。


 こうしてわたし――武田コハル生涯最大の後悔は、父とろくに口を利かずに死に別れたことから、新たに更新されたのである。

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