第四章《ついてくる女》

《ついてくる女》①

 人を殺したんです。……安心してください、刑期は終えてます。厳密には殺人未遂で、私が出所する前日に、被害者が亡くなったんです。あわや別件で再逮捕……となるところだったんですが、死因と私の犯行に因果関係が証明しきれないとかで、何とか逮捕は免れました。……もちろん、被害者やご遺族には申し訳ないと思ってます。ですけど、もう八年も服役したんです。それでいいじゃないですか。罪を償ったんだから、それでいいじゃないですか。少なくとも、この国はそれを認めてるんですから、それでいいじゃないですか。


 ……だけど、被害者の霊は、私を許す気がないみたいです。


 はい、霊です。彼女が死んでから、私の背後にそれは現れるようになりました。それは私の耳元で、いつも囁くんです。絶対許さないって。ずっとずっと、私の罪を詰り続けるんです。……あれは事故みたいなものだったのに。あいつだって悪かったのに。なのにあいつは、私を人殺しだと詰り続けるんですよ、四六時中。


 最初は、単なる罪の意識が起こした幻聴だと思って、病院に行ったんです。そこでいただいた薬を飲んで……、一時的にマシになった気がしたんですけど、気のせいと言うか、プラシーボでしたね。


 今度は、幻聴では済まないことが起き出しました。家のあちこちで異音がしはじめて、起きたら私の髪の長さじゃない長い髪が枕元にあったり、通りがかったベランダから鉢植えが落ちてきたり。気が狂いそうでした。だってその間、ずっとずっと、声も聞こえ続けるんですから。死んでしまえ、人殺しって。


 私は今度こそ、お祓いに頼ることにしました。高名な寺に行って、住職にお祓いを頼んだんです。……それでやっとマシになったと思ったら、でもやっぱり、駄目だったんです。


 今度は、完全に見えるようになったんです。


 鏡を見たら、見えるんです。髪の長い不気味な女が、私の後ろにいるんです。もう駄目だと思いました。……耐えかねた私は、自殺することにしました。彼女はとてもとても苦しんだに違いない。たかが刑務所に八年いただけで罪を償った気になっている私が間違っているんだと。


 ですけど、ただ死ぬのも寂しかったから、私は最後に友人と話をすることにしました。きっと信じてもらえないだろうと思いながらも、それでも、私が服役してからも手紙でやり取りをしてくれた唯一の友人に話をしたんです。


 そしたら彼は、怒ってくれました。簡単に命を絶とうとする私と、私に取り憑いている霊にです。曰く、私は八年間苦しんだ、いいや今も苦しんでるんだから死ぬ必要はない。そして霊だって、そうして復讐したところで何も残らない、生者の邪魔をするべきではないと怒ってくれました。そして彼は言ってくれたのです。私のことが好きだから、死なないでほしいと。おそらく、前のふたつは建前で、最後だけが本当なのかもしれません。友人が自殺するといったら、私だって同じことを言います。


 ……私は改めて除霊する方法を模索することにして、最初に除霊を頼んだ住職に、こちらを紹介してもらったんです。


だからお願いします、新島心霊事務所さん。私を、いいえ、私ではなく、私を想ってくれる友人のために、私を助けてくれないでしょうか。


 ※


 事務所の応接間。依頼者の言葉通り、彼の背後には髪の長い女の霊が憑依していた。肌が真っ白で、顔の見えない、足がない霊。ある意味でとてもステレオタイプで捻りのないそれが、彼の後ろに取り憑いている。


「……ふむ、それは少し難しいかもしれませんね」


「どうしてですか」


 背後の幽霊に負けないほどにやつれて顔が真っ青な彼が、所長に問う。


「鎌田さんは、我々がどうやって除霊を行うのか、ご存知ですか」


「一応、住職に聞いています。……霊を強制的に強化して、そこを霊感がほとんどない方が危険な妖刀を使って斬ると。……眉唾だと思いましたが、本当なんですか」


「ええ、本当です。この方法は危険ではありますが、そのぶん確実性があるのです」


「ではなぜ」


「簡単なことです。殺したいほどあなたを恨んでいるなら、強化した時点で、確実にあなたを殺しに来るでしょう。物理的な干渉力も極限まで高まってますからね。その時我々があなたを保護できるかは難しい」


「……だとしても」


 鎌田さんの言葉を遮って、所長が続けた。


「ですが安心してください。今すぐというわけではいかないだけで、方法はきちんとあります」


「そうなんですか?」


「ええ。護符を貼ります。あなたの身を守れるほど強力な護符を。それを使って相手を引き剥がし、そこで強化して、斬る。それが基本方針となるですが、……お値段のほうが」


 そう言うと所長は手元の電卓を見せた。


「え、こんなにですか」


 彼は目を剥いて露骨に動揺する。


「はい、わたくしたちとしてもこれで精一杯なのです。……高名な霊媒師から札を取り寄せねばならず」


 所長がそう言うと、依頼者は少し考える素振りを見せたあと、こう続けた。


「……分かりました。額が額なので今すぐは支払えませんが、来週には耳揃えて用意させてもらいます」


「大丈夫ですか? もし厳しそうならローンを組んでも――」


「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 そう言うと、彼は頭を下げて、一週間後にまた来ると言ってその場をあとにした。

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