《首吊り霊》③
カレンさんが過去を語り終えてしばらくして、私はただ、こう言った。
「……カレンさんは可愛いですよ」
「え? そう?」
「カレンさんはデカいですけど、可愛いです」
「本当に!? 身長一八七㎝でも!?」
「そんなにあるんですか」
「あ、ごめん、さっきのは聞かなかったことにして」
「デカいのは可愛いでしょ。ゴールデンレトリバーも可愛いし」
「いや確かにそうだけど、レトリバーを例に出されたら勝てないけど」
「私たちが戦う連中もデカいですけど」
「じゃあ可愛くないじゃん!?」
「顔によります」
「ルッキズム!?」
「……私も、昔は同じようなことを考えてました」
「アンナちゃんは小さくて可愛いじゃん」
「いや、そうじゃなくて、幽霊の話です。……いいや、今だって、姉さんの幽霊に会えるなら、会ってみたいと思ってます」
この仕事を始めて二ヶ月、姉さんの行方はまるで掴めていなくて。
「……死んだなんて、決まってないじゃん」
「ええ、そうですね。こないだの赤い赤ん坊もありますし、向こうではほんの一瞬しか経ってないなんてことも、あり得るかもです」
「うん、そうだよ。きっと生きてる」
そう言うと、カレンさんは私の手を握って。
「家族とのお別れは苦しいからね、なるべくない方がいい。……わたしも頑張るからさ、きっと何とかなるよ」
カレンさんはそう言うと急に静かになって、
「……寝ちゃった」
すやすやと、やはり可愛らしい寝顔を浮かべていた。
※
一方の私は寝られなかった。二重、三重の意味でである。
エナドリをキメて、ブランケットのなかで明度を落としたスマホをひたすら見つめる。スマホにはこのワンルームの映像が白黒で映し出されていて、時刻は午前四時だった。
(……これで今晩出てこなかったら許せねえ)
そんなことを嫌に冴えた頭で考える。中学生に何をさせているのか。
なんでそんなに人使いが荒いのか、そもそもなんで私がこんなことしなくちゃいけないのか、だいたい所長の言うことが正しいとも限らないのに――そんな何巡目かも分からない愚痴の嵐は、それによって断ち切られた。
「……ッ」
私は布団から飛び出る。そしてそのまま、部屋の片隅に確かに現れた人影に向かって、所長謹製除霊アイテム――スタンガンを放った。
※
これはアンナくん、キミにだけ頼む重要な任務だ。
まず最初に言っておこう。カレンくんが霊感を手に入れたというのは、間違いなく勘違いだ。キミが来る前に軽く手元にあった呪霊の封印を解いてみたが、カレンくんは無反応だったし、たかが事故物件にいるような相手なら気づけるはずもないだろう。
では、カレンくんが感じた気配は何だったのか? 簡単だ、人間だよ。海外ではフロッギングとも呼ばれる手口で、早い話が住居に侵入して屋根裏などで勝手に生活する犯罪さ。最近寒くなってきたからね、そういう連中が活発化してもおかしくはない。エアコンが勝手についてたなんてのは、一番怪しいし、人間臭いよね。
だからキミには、リュックに入れておいたカメラを隙を見て設置してほしい。間違ってもカレンくんには何も言わないでほしい。あの子は嘘がつけないからね。それと、万が一のことも考えてスタンガンを入れておいた。職質されたら捕まるような大出力のもので、服の上からでも相手を三〇秒は行動不能に出来る。
それと、もしかしたらカレンくんに泊まっていかないかと言われるかもしれない(何かと理由をつけると思うけれど、本当の理由はキミと仲良くしたいとか、そんなんだろう)。その場合は快諾してほしい。彼女がお風呂に入ってる間にカメラを設置するのもいいかもね。でもって一晩寝ずの番を布団のなかでやってもらいたい。もし犯人を捕まえられたら、その時は特別ボーナス……◯◯万円だ。
なぜ事務所の時点でカレンくんにこの推理を披露しなかったのかだって? ……そんなの、夢を壊すのが忍びないからに決まってるじゃないか。
それがリュックの中にスタンガンと隠しカメラといっしょに入っていた指令書だった。
どう考えてもカメラを設置するだけで仕事は終わりで、あとは警察に任せるべきだろう。だけど、友達の家に泊まるのなんて初めてで、きっとテンションがおかしくなってたんだと思う。そもそも人が潜んでるなんて半信半疑だったし、いたとしても今夜現れる保証はどこにもなかったけれど、アパート前にあったエナドリが、これを飲んで犯人を捕まえろと言っている気がして。
それで私は、こんな馬鹿馬鹿しいことをしていた。
「うぎゃああああああああ!」
野太い絶叫が響き渡る。
この声は間違いなく、生者のものだった。
直前まで、実は幽霊なんじゃないかと疑っていたが、間違いなく、生きている男の声だった。
パーカー姿の背の低い男が、腹を抱えてうずくまっている。
「カレンさん!!」
私は叫ぶ。
「アンナちゃん!?」
カレンさんがすぐさま飛び起きる。
「え、それなに、幽霊!? やっと見えるようになった!?」
「違います、不法侵入者です! 人間です!」
私がそう言うと、カレンさんはすぐに顔色を変えて――
「紛らわしいことしてんじゃねええ!」
回転の効いた鉄拳が、パーカー男の腹にのめり込んだ。
男の叫びは、先程のスタンガンの比ではなかった。
※
事件の真相は概ね所長の推理どおりだった。
男は日常的に他人の家に侵入して生活をしており、今回はたまたまカレンさんの家をターゲットにしたらしい。曰く、普通に鍵が空いていて、生活感も無かったので仮宿だろうとあたりをつけたのだそうだ。
「鍵閉めてなかったんですか」
事情聴取を終えた、事務所の応接間にて。
「だって私物もほとんど置いてないし、めんどくさかったから」
しゅんとした様子でカレンさんは言った。
「いやいやいや、いくらカレンさんがデカくて屈強でも危ないですよ! 一応若い女性なんですから!」
「……デカくて、屈強で、一応若い女性」
「言葉の綾です! とにかく、これからは気をつけてくださいね!」
「……そんなの、アンナちゃんこそそうでしょ。今回はたまたま何とかなったけれど、あんな不審人物を制圧するとかバカだし、危ないでしょ」
「う」
ぐうの音も出なかった。
「……ていうか、それを言ったら一番駄目なの所長だし。何でわたしに黙って全部進めたんですか」
「いや、それはキミの夢を壊したくなくて」
カレンさんの矛先が所長に向かう。
「夢より安全のほうが大事に決まってるじゃないですか! 何子どもにこんなことさせてるんですか!? カメラ置いて警察呼ぶだけじゃ駄目だったんですか!?」
「いやだって、こっちのほうが面白そうだったし……」
所長が気まずそうに目をそらす。初めて見る絵面だった。
「言うに事欠いて面白いですか!?」
「……それにほら、普段もっと危ないことさせてるし、ね?」
「普段はわたしがいるじゃないですか! もしわたしが起きなかったらどうしてたんですか!? 相手がナイフを持ってたら!? ねえ!」
「……あはは」
所長が気圧されていた。こんな所長、本当に初めて見る。
「……いやそれは、カレンさんならきっと起きてくれるかなって思って。私のこと、守ってくれるかなって思っちゃって」
私がそうやって助け舟を出すと、カレンさんは少し照れくさそうに目を逸らして。
「……そんなことで許さないし」
「すいません、反省してます」
「……本当に反省してる?」
「めっちゃしてます」
「じゃあアレやって」
「アレ?」
「彼シャツ萌え袖」
「きもっ」
ぞわりと、本気で身の危険を感じた。
「……何の話かわかんないけど、こういう危険人物が相手だったかもしれないし、軽率だったね。ボクも反省するよ」
「いや変な意味じゃないですからね!」
「ぶっちゃけ、カレンくんってロリ――」
「ちがいますー!」
「手さえ出さなければ嗜好は自由だよ。手さえ出さなければね」
「だから違いますって!」
「……あ」
「どうしたんだい、なにか変なことでもされたのかい、アンナくん?」
「だから違いますって!」
「そうじゃなくて、ちょっとスマホを見てみたら、こうなってたんです」
言いながら、私は未だに設置されたままだったカメラが撮影した映像を見せた(警察には偶然夜中に遭遇したとしか言ってないし、スタンガンの件も伏せてあるので、カメラも押収されなかった)。
「何も映ってないけど」
所長の言う通り、そこには無人の部屋が映っているだけで。
「そうじゃなくて、何も映ってないのが問題なんです」
私が設置したカメラは、私の霊感に呼応したのか、件の首吊り霊を映していた。だけどそれが、綺麗さっぱり消えてしまっているのだ。
「……ちょっと現地に行ってみよっか」
そういうわけで私たちは大捕り物があったカレンさんの家に向かってみたが、やはりそこには首吊り霊の姿はなかった。
「昨日の夜まではいたんだよね?」
「はい、確かにここでぷらぷら揺れてました」
「わたしは見てないけど」
「……ふむ、となると、除霊したのかもね」
「誰が?」
「キミだよ、カレンくん」
「わたしが? 霊感ゼロなのに?」
「だからこそだよ。キミがそのパワフルな拳を持って不法侵入者を殴り飛ばし、その圧倒的な生命力を持ってして霊を怯ませて除霊したのさ」
「……あり得るかもです。カレンさんのパンチ、本当にすごかったから、ビビって逃げ出してもおかしくないかと」
「ええ、全然嬉しくないんだけど」
「いいじゃないか、除霊できたんだから。これで誰に貸しても恥ずかしくない物件になったってことさ。カレンくんはすごいよ」
所長の言葉に感動して目をうるませるカレンさん。だけど私は、少し気になることがあった。
「それなんですけど、住居侵入があったのもまあまあ事故物件なんじゃないですか」
「「……あ」」
そういうわけで、しょうもないオチが付いてしまった。
しょうもなくないオチも、ある。
後日、私は事務所の応接間の奥にある、所長の作業部屋にやってきていた。ものが散乱して、どこに何があるかもわからない、あちこちにガラクタの山ができている部屋の奥、作業机に座る彼女に私は声を潜めながら問うた。
「……すいません、少し気になることがあって、わざわざ押しかけてきてしまって」
「何だい?」
作業を止めて、所長がこちらに視線をやった。
「あの、この前の事故物件なんですが、ちょっと気になって自分なりに調べたんです。……それで、かなりおかしな事実が判明して」
「歯切れが悪いね」
「いえ、それがですね、あそこで自殺した、前の住人なんですけど」
そこで一度、呼吸を整えてから、続けた。
「風呂場で手首を切って死んでるんですよ」
「……へえ」
「だって変じゃないですか。なんで首吊りで誰かが死んでるのに、畳が部屋そのものと同じくらいボロのままなんですか。誰かが首吊って死んだなら張り替えるでしょ。なのにお風呂だけはやたらと綺麗でしたし」
「それで気になって、調べてみたんだ?」
「はい。……それで、改めて間取りを見てみたんです。そしたら、風呂場が一番、あそこから遠かったんです」
「あそこって?」
「……首吊り霊が、いたところですよ。ベランダの窓のカーテンレールで、あれは首を吊って揺れていた」
それが示すことは、ひとつしか無くて。
「……前の住人は、なんで自殺なんてしたんでしょうか?」
やはり霊はロマンチックなものではなくて、恐ろしいものだと思った。
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