《ついてくる女》②
「あの、その札代っていくらなんですか」
依頼者がいなくなったあと、私は所長に問うた。そういえば、今まであんまり料金の話をしているところって見たこと無かった気がする。赤い赤ん坊のときとか、結局タダで祓ってたし。
「三〇〇万だよ」
所長は、なんでもないことかのように、そう言った。
「は?」
「三〇〇万円。札は高いからね」
「いやいやいや、高すぎませんか」
「しょうがないだろ、本当にそれくらい必要なんだし」
「でも、無理でしょ」
相手は出所したばかりの前科持ちなのだ。とても支払い能力があるとは思えなかった。
「でも揃えるって言ってたし、駄目だったら駄目で他所に行けばいいじゃん。こんな変な除霊方法してるとこじゃなくても、世の中にはいくらでも除霊師はいるからね」
「……何か冷たくないですか。こないだの大学生とか、ほとんどタダで応対してたじゃないですか」
「あれは公益性があったから」
「公益性って」
「あの赤い赤ん坊は放っといたら駄目なやつだった。ほとんど無差別に人を襲う化け物だったからね。バニシングツインで人を襲うなら、そのうち排卵や吐精で人を襲うようになるかもしれないだろ。でも、あの背後霊は依頼者以外を襲う気がないし、放っておいてもあの人以外には脅威にならない」
「……そんな」
「にしても、アンナくんは優しいね。彼、前科持ちなのに」
「でも刑期は終えたって言ってますし、何より、困ってるわけじゃないですか」
「……ふぅん、意外だね。もっと冷たいやつだと思ってた」
「私はただ、お金がない人からもっと搾り取るみたいな真似は良くないなって思うだけで」
「キミの言うことは正しいと思うよ。……ま、やっぱり支払えないって他所に行くんじゃないかな。さっきは冷静さを欠いてただけで、次の一週間のあいだに正気に戻るさ」
そうして一週間後。彼は定刻通りに事務所へやってきた。
「……三〇〇万円、ちょうどぴったりいただきました」
所長の予想に反して、そこには確かに札束があって。私が見たことないような数の一万円札の群れがあって。
「はい。それで、いつ頃までに準備は終わるんでしょうか」
「そうですね。多めに見積もって、一〇日ほどでしょうか。準備ができ次第連絡させていただきます」
「……ありがとうございます」
彼は深々と、頭を下げた。
「あの、いいんですか」
その姿に、所長の座るソファの後ろで立って待機していた私は思わず口を開いていた。
「……アンナくん」
「だって、三〇〇万円ですよ。子どもでも分かります。すごい大金だってことくらい。もっと他に除霊方法があるんじゃないですか。ここの除霊方法、私が言うのも変ですけど、すごい変じゃないですか」
私はやつれきった彼に問う。今は選択肢がひとつしかないように見えるだけで、本当はもっと出来ることがあるんじゃないかと。
「……いいんだよ。私は後ろの彼女と別れることが出来たら、それで十分なんだ。そのためならばこれくらい安いものだよ」
「……でも」
「本人がそう言ってるんだから、それでいいだろ?」
「うん、それでいいんだ。ここの除霊方法、気に入ってるんだよ。……私みたいな素人でも分かりやすいしね。妙な棒を振りながら妙な呪文を唱えてその時だけ肩が軽くなるみたいなのはもう良いんだ」
彼がそう言ってしまえば、私は黙るしかなくなって。
そうして彼は事務所をあとにしていった。
「……まさか本当に三〇〇万用意してくるとはね。金持ちなんだろうか」
「お金持ちには見えなかったですけど。そもそも殺人未遂起こしてるんですから、そっちでもたんまり取られてるんじゃないですか」
「実家がめっちゃ太いとか。それで殺人容疑は避けれたみたいな」
私たちの会話に、さっきはずっと黙ってたカレンさんが加わる。
「実家が太いならなおさら変ですよ。もっといろんな除霊方法を試してからこっちに来るんじゃないですか。お金持ちほどケチってよく言うし」
「まあいいじゃないか。ここにお金があるんだから」
「良くないですよ。どうするんですか、あの人が借金してまでこれを捻出してたら」
「前科持ちの殺人未遂犯にどこの誰がお金を貸すんだろ」
「……闇金とか?」
「いやいやいや、それじゃここで助かっても意味ないじゃないですか。幽霊とは別の種類の怖い目に合うだけですよ。……肝臓売ったりとか」
「肝臓て。子どものくせにさっきから金の話ばっかだね、キミは」
「親もいませんし、姉さんの残してくれたお金を何とか切り崩しながら生きてるので」
「……それはなんていうか、ごめん」
「とにかく、私にはこの三〇〇万が途方もない金額に見えるんです」
「だとしても、彼は納得して払ったんだ。ならしょうがないだろ」
「……うーん」
確かに所長の言う通りで、双方納得してるなら、それで話は終わりなのだろう。それでも、どうしても気になった。
「それにほら、これだけ儲けられたんだ。あとでキミたちにもお給料を弾むよ。そうだ、焼き肉も奢ってあげようじゃないか」
「え、焼き肉!?」
その一言で、少し沈んでいた場の雰囲気が一気に明るなくって。
「食べ放題だ。ちょっといいところへ連れてってあげよう」
「「わーい、焼き肉!」」
私とカレンさんはハイタッチすると、その日の夜ご飯は焼き肉になった。
……我ながら現金なものだと思った。ちなみに、レバーが一番美味しかった。
※
許せなかった。絶対に許せなかった。
あの男だけは、絶対に。
どんなにやつれたところで、どんなに反省してるように見せたところで、やったことが消えるわけではない。罪が消えるはずがない。刑務所に長い間閉じ込められたからといって、それで何が変わるんだろうか? 何も変わるはずがない。罪は消えない。
そもそも、懲役一五年という数字が気に食わなかった。そうだ、死刑以外あり得なかったのに。なのにあの男は、模範囚などと言ってたった八年で出てきた。その上、殺人罪で起訴さえされない。この世には正義はないのかと、胸が張り裂けそうだった。
植木鉢をあの男に向かって落としてやったが、直撃は免れた。
なんて悪運の強い男なんだろう。許せない。殺してやりたい。あいつだけは絶対に殺してやりたい。でなければ、死んでも死にきれないだろう。
……だけど、今の私にはあの男を殺すことは出来なくて。
そうだ、あと少し、あと少しで殺せると言うのに、その少しが――
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