エルフさんと夜明かりの少年

最近の私には、ひとつのささやかな習慣ができた。

観察官事務所の執務を終えたあと、車を使わず、宿舎であるホテルまでの道を歩く。

潮風が吹く新湾岸通りを抜け、途中の菓子店――和菓子屋だったり洋菓子屋だったりで甘いものを買う。

そして公園の東屋で、地球の海と夜景を眺めながらそれを食べるのだ。



田中は危ないですよと言っているが、護身用の武器は持っている。

現地の重火器程度であれば自衛はたやすいわ。



週に三回ほどのこの時間は、私の密かな癒しになっていた。

東屋で大都市の湾岸を眺める。

前FLT文明の大都市は一見無機質なように見えて、その国々の文化の極致だ。

星間文明にまでなってしまうと、ここまでの大都市はむしろ形成されなくなってしまう。

そんなにしてまで人が一か所に集まらなくてもよくなってしまうから。

つまりこの光景は、文明が星から外に出るまでのわずかな期間にだけ見える花火のようなもの。



街灯に照らされた木々、遠くに響く潮騒、

そして甘いケーキをひと口。お茶はペットボトルだけど、まあそれも一つの風流。


……うん、おいしい。


近い将来消えてしまう儚い風景を見ながら食べるケーキは最高に風流だと私は思う。





☆彡





――その夜、いつもと違う光景があった。





東屋の前、レンガの小道に、ひとりの少年が立っていた。

背丈は私の肩ほど。地球の小学校で学ぶ年頃だろう。


青いランドセルを背負ったまま、空を見上げている。

街灯の明かりが髪を照らし、その瞳は、まるで空を突き抜けようとするかのように真っ直ぐだった。





少し離れたところから声をかける。

「少年。こんな遅い時間に何をしているのかしら?」


少年はゆっくりとこちらを振り返る。


「っ!」

その顔を見て、私は一瞬息をのむ。

――魅入られた者の顔をしていた。


長い長命種の人生では何回もの短命種の人生を看取ってきた。

その中でも何か、音楽だったり、学問だったり、はたまた宙(そら)だったり――そんな『ナニカ』に魅入られている短命種の人生は美しかった。

だから、その人たちの瞳は今でも鮮明に覚えている。

そんな人たちと同じ目を、少年がしていたように、見えた。


しかしそれは一瞬。

瞬きの次の瞬間には、ただ不思議そうな顔でこちらを見ているだけの少年。


見間違え、かしら?


「……あなたは?」

少年が問いかけてくる。


「私は、そうね。エルフさんとでも呼んでもらえるかしら?」

お菓子あるんだけど、食べる? と聞くと、少年はこくん、とうなづいた。


少年と東屋の椅子に腰を下ろし紙袋から今日の戦利品――和菓子屋さんのスイートポテトをとりだした。

二つあるのは私が二つ食べるからだ。お菓子を二つ食べる日は徒歩でホテルまで帰る日なのでセーフ、セーフです!


私が頭の中で一人ぼけていると、少年はまた空を見ていた。

そんな少年に、プラスチックのフォークを手にしながら何気なく尋ねた。


「空を見るのが好きなの?」


少年は首を振る。

「嫌い」

その答えは、即答だった。


「行きたいのに、行けないから。星は、あんなにきれいなのに」


短い言葉の奥に、刺のような感情を感じた。

行きたい――宙(そら)へ?


「早く行きたいなぁ……」


「貴方が大人になるまでには行けるわよ」


これは予定ではなく決定事項。少なくとも私の中では。


「……うん、そうなんだぁ」


スイートポテトを食べながら気の抜けた声で返す少年。

放っておいたら消えてしまいそうな雰囲気。

そしてまた空を見上げる少年。


少年が空を見上げた時、彼の中のマナに揺らぎがあるのが見えた。

「……!」

今回は見間違いじゃない。

やっぱり、なにかに魅入られた短命種が放つ独特の輝き。


どうしても気になってしまうのは、マナに敏感なエルフの性(さが)だろう。




それが、私と少年の最初の夜だった。






☆彡






週が明けた月曜日。

私はまた、いつものように東屋に向かった。

そして、またそこに彼がいた。


今度は先に気づいたのは少年のほうだった。

「あ、お姉さん」

「少年もここが気に入ったの?」


彼の足もとには、小さな紙袋と魔法瓶。

「これ、お礼。大福とお茶。お小遣いで買ったんだ」


差し出されたコップ受け取ると、あたたかい湯気が立ちのぼった。

夜気の中で、ほうじ茶の香ばしく甘い香りがやさしく広がる。


「ありがとう。とても嬉しいわ」


大福を半分に割って口に運ぶ。

もちもちとした感触の中に、ほのかな甘み。

じんわりと心が温かくなる。


「このお茶、美味しいね」

「うん。ぼくのお気に入りのお茶屋さんのなんだ。習い事に行くときはいつもこれをもっていくんだ」


少年は少し照れたように笑い、空を見上げた。

そしてぽつりと言う。

「おねえさん、宇宙から来たんでしょ」


私は少し肩をすくめた。

「よくわかったわね」

「だって、自分でエルフってなのってるじゃん……」



……そうだった。



「いいなぁお姉さんは、宙(そら)に行けて」

そう言って空を見上げる少年。


今日は曇り模様。


星は見えなかった。







☆彡







東屋には、もう当然のように彼がいた。

いつものように制服のまま、ランドセルを隣に置いて。

私を見るなり、手を振った。


「お姉さんー。今日はチョコ持ってきたよ」

そう言って手を包み込むように渡してくる。

その小さな手から感じられる体温が、心の奥を温める。


一緒にチョコを食べながら、彼は話した。


「お姉さんたちは、どこまで行ったの?」

「そうねー。大体、天の川銀河の38%くらいかしら」


テリトリーの30%探索領域の8%。

私たちでも、まだまだ天の川銀河が手狭になることはしばらくないだろう。


「そっかー……そっか」


かみしめるように言う少年。


また、マナの揺らぎが見える。


長い人生の中で確信がある。

この子は近い将来偉人になるだろう。


私の経験がそう告げている。

そんな偉人の、何者でもない幼少期に立ち会えた私は、運が良い。

こういう出会いこそ、観察官の醍醐味だと私は思う。







☆彡







私は東屋の前で、空を見上げていた。

今日は少年は来るだろうか。

今日はどんな話をしようか。



一人でケーキを食べて楽しんでいたこの時間は、いつしか少年との逢瀬が目的になっていた。

「あぁ……」


今日は、何に魅入られているのかを聞いてみようか。


うん、そうしよう。

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