第3話

週末から雨が続いていた週明け月曜日の休日。リビングで趣味の押し花アートに没頭する。


最近、少し老眼になりつつあって、ピンセットで花びらを掬う時に突き刺してしまわないように気を使う。

時折、眉間を指でつまんでほぐさないと、気づくと目が疲れて仕方がない。


春から夏にかけて作った材料を、組み合わせながら、花や花びら、葉を重ねて全体にグレーとブルーの配色をする。


「よし、これにパンジーの黄色を入れて月っぽくしたらいいかな」


1人暮らしの良いところは、声を抑えず独り言が言えるところで、悪い所は独り言が増えてしまう点だ。


図書室の子どもたちへのハロウィンのプレゼントに栞を作ってみた。夏のワークショップで一緒に押し花をやったので、たぶん喜んでくれると思う。


うーん、と体を伸ばして椅子の背もたれをグーっと体で押したとき、インターホンが鳴る。


カメラを覗くとどうやらお隣さんのようだ。


「はい、今出ますね」


相手が何も言わないのに、パタパタと廊下を小走りに玄関に向かっていた。


玄関を開けると、傘を差した笹川さんとカッパを着たシェパードが立っていた。


「こんな日にすみません。先日のタッパーをお返しに来ました」

「すみません。ご丁寧にありがとうございます」


ついついカッパを着て賢くお座りをしている犬の方に視線がいく。


「お名前なんていうんですか? 」

「……“みなと”です」


犬の名前にしては、珍しい。横浜とか神戸とかの生まれなのだろうか。


「みなとくん? ちゃん? かな」


しゃがみ込んで、目線を合わせてみた。


「いい子だね、みなとくん」

「あっ。すみません。“みなと”……僕の名前です」

――すごい空気が流れた


「……この子はローワンです。普段は、ロウって呼んでいて……」


顔が熱くて立ち上がれない。“みなとくん”って……


「すいません。恥ずかしい間違いをしてしまって……」


頭上から焦るような、困ったような声が降ってくる。


「こちらこそ……すみません」


しゃがみ込んだまま、謝った。


「ほ、ホントにいい子ですね。ちっとも騒がないし、吠えたりもしないし」


取り繕ったような感じで立ち上がると、笹川さんは耳まで赤くして、目線を合わせない。

こういう勘違いってホントに恥ずかしい。でも、お互いにそうだ、と思ったらちょっと解れた。


「その……ロウは、保護犬で。前の飼い主に声帯を除去されたようで、声が出ないんですよ」


笹川さんが名前を呼ぶと、ロウが顔を上げて控えめに尻尾を振った。


「そうだったんですね。声を失うなんて、辛かったね、ロウ」


そう声をかけると、ロウは、こっちを向いて、ハッハッハ、と舌を出した。


「良かった。小野さんが犬が苦手だったら、申し訳ないと思っていたので」

「大丈夫です。昔は、この家にも犬がいたんです」


遊びに来ていた頃、この家には一応、番犬という体で犬がいた。祖母の知り合いの家で生まれたポンタと言う名前のミックス犬で、庭に犬小屋はあったのだが、勝手口の土間が彼のテリトリーだった。


「安心しました。ロウは、大型犬なので苦手な方は怖いかなと思って。気になっていたんです」

「それで、あまり庭に出ていなかったんですか?」

「いえ、それだけではないんです。僕が傍にいないと、大きな物音にひどく怯えるので」


ロウは、私と笹川さんを交互に見て、自分が話題にされていることがわかっているのか、パタパタと尻尾をふる。気づけば玄関口で随分と長く話し込んでしまった。笹川さんは傘を開いて、片手に下げたままだ。


「散歩に行く前に寄ってくださったんじゃないですか? すっかりお引き留めしてしまって」


申し訳なく思ってそう声をかけると、笹川さんが慌てる。


「あ、僕の方こそ、すっかり話し込んでしまって、すみません。栗のキッシュ、おいしかったです。ありがとうございました。では」


そう言うと、頭を下げて、傘を差し、ロウを促して玄関ポーチから門へと出て行く。


門を出たところで、家とは反対方向に向かおうとする笹川さんと、帰ろうとするロウとが、リードを挟んでどちらもゆずらず背を向け合ったが、しばらくして笹川さんが折れて、恥ずかしそうに私に会釈をして家の方へと帰って行った。


どうやらロウは、雨の散歩は好きではないらしい。思わず、ふふ、と笑いが漏れた。


◇◇◇


「来週のハロウィンイベントは、“紙で作るのランタン”のワークショップだったよね」


真弓さんが、私ともう一人の司書、長谷川さんに朝の打ち合わせで確認する。


「必要な材料って、いつ買いに行く?」

「先週末が申し込みの締め切りで、参加親子が7組。保護者7名と子どもが10名ですね」


長谷川さんが申し込み用紙をめくりながら、人数を確認する。


「うわ、思いのほか参加者が多いね。カウンターは私がやるけど、小野さんと長谷川さんの2人でその人数は厳しいかも」


確かに、保護者にサポートをお願いしてもギリギリという感じだ。


「どうしますか? 栄子さんに手伝ってもらいます?」


長谷川さんの言う栄子さんとは、今年80歳になる真弓さんのお母さんだ。どうしても人出が足りない時には、手伝いをお願いしているが、なかなかに子どもに厳しく、走り回ったりうるさくする子どもをすぐに𠮟りつけるので、幼児を連れた親子には評判があまり良くない。


――悪い人ではないのだけど


「うーん。お母さんに頼むのは最後の手段にするわ。親御さんもいるし、とりあえず長谷川さんと小野さんの2人でお願いします」


ため息をつきながら真弓さんがそう言うと、長谷川さんが苦笑いする。


「今日中に必要な資材の数を確認しておきますね」


そう言って、自分の持ち場に戻る。


書架の整理と夜間の返却の処理を終えて、必要な物を確認する。


『花紙、ハロウィンシール、牛乳パック……』


本当はカボチャをくりぬいてランタンを作れたら本格的だけど、さすがに幼児さんには無理だものね。


紙に書きだしながら、笹川さんのランタンを思い浮かべる。


そして、やりたいことを思いついてしまう。


『うーん。でも、さすがに厚かましいかな。急だし』


昨日の傘の中で丸まった笹川さんの背中を思い出して、すっかり手は止まってしまった。

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