第2話

仕事を終えて家に帰り着くのはいつも6時過ぎ。


隣家に灯りが灯ったら訪問してみようと夕飯の支度を始める。ここに引っ越してきて片づけをしていたら、祖母が作ったレシピノートが数冊出て来た。時間のある時には、それを時々参考にして懐かしい味を楽しんでいる。


「あ、そうだ」


台所の籠に入った栗と玉ねぎを見てメニューを決めた。


夕食を終えて食器を片づけていると、隣家のガレージに車が入る音がする。


――あー。緊張しちゃう。


エプロンを外してテーブルの袋に入った皿とミニカボチャのランタンを手にして隣家へ向かった。



インターホン越しに様子を伺う。間を置いて反応があった。


『はい』

『あの、隣の小野ですけど』

『……はい』


静寂が続く。


――インターホンが切れた? のかしら


もう一度ボタンを押して、話をしようとしたところで玄関が開いた。


「あっ…え? お、お待たせしてすみません」


たぶん、着替えの途中だったのだろう。いつもの眼鏡をかけていないし、シャツの裾が乱れている。


近くで見ると、思っていたよりも背が高い。


他所の玄関ってだいたいその家の匂いがするのよね。でも、なんていうか、ここの玄関は心地よい香りがする。花の香り?


「お疲れのところすみません。先日から、我が家の庭に素敵なカボチャが転がっていて…」


こういうのは、不満を言いに来たわけではないように話すのが難しい。


「え! ああ! こちらこそ、すみません! たぶん、うちの犬が悪戯をして」

「あら。ワンちゃんがいるんですか? 全然吠え声も聞こえないし、気づきませんでした」


隣家から犬の気配を感じたことは無かった。薄暗い廊下の奥のガラス扉の向こうに大きな犬の影が見える。


「すみませんでした。あまり庭には出ないようにしているんですが、最近、気候がいいので少し遊ばせていて。その時に持って出たんだと思います。ご迷惑をおかけしました」


申し訳なさそうに、頭を下げる姿に慌ててしまう。


「迷惑なんて、そんな。素敵な細工ですね。言葉はお考えになったものなんですか?」

「お恥ずかしい……」


耳を赤くして言葉に詰まっている。困らせてしまったことに気づく。


「あ、あの、すごいなって思って。本当に素敵だなって。あ! 私、お詫びをしないと」


手に持っていたカボチャを手渡しながら、その大きく開いた口の中を見えるようにした。


「あまりに素敵だったので、勝手に蝋燭をつけてしまいました。ちゃんと拭いたつもりですが、中に煤が残ってしまったかも」


もしかしたら、どこかへ差し上げるものだったかもしれない、と蝋燭を付けた後で気づいて慌てて中を綺麗にしたのだ。


「そんなの! 全然、そんなものじゃないので。大丈夫です……楽しんでもらえたなら」


彼は、語尾を消失させながら、カボチャを手に乗せると恐縮したように首を垂れた。

――沈黙


「あ、あの。良かったらおかずを作り過ぎたので、貰っていただけませんか?」


手に持った袋を差し出す。それを手にして彼が中を覗き込んだ。


「もう、お夕飯を召し上がったかもしれませんが、冷蔵庫なら2日くらいは大丈夫ですし。お口に合えばいいのですけど……栗のキッシュを作ったんです」


少し厚かましかっただろうか。押し付けたようになっていないか、今更、気になり始める。


「た、食べる時に600Wで1分くらいチンするといいかなと思います。それでは」

「ありがとうございます。夕飯、これからだったので。有難いです」


なんとも表し難い面持ちで彼がこちらを向いて、頭を下げた。

では、とそそくさとその場を後にする。


ぐるりと門扉を回って自分の家の玄関に入るまでの、ほんの30歩ほどがひどく長く感じられた。振り返って確かめはしなかったが、隣の彼が、私が自宅に入るまで見ているのがわかる。


玄関ドアを閉めて、それにもたれかかった。

――ふぅーーーー


長いため息が漏れた。私、こんなにコミュ障だったかな。そりゃ、あんまり人と話すの得意じゃないけど、一応、社会人経験もあるし、接客業経験もあるのに。


まぁ、接客が合わずに辞めたんだけど。


なんか、動悸が収まらない。後ろ手に鍵を閉めると、さっきの笹川さんの表情を思い出していた。照れた感じも、なんていうか、ちょっと可愛いかったな。

私よりも少し年上の人に変だけど。


動機が鎮まってくると、口元にいつの間にか笑みが浮かんでいた。なんだろう、この気持ち。ふふふふ。


よくわからないけど、ひどく楽しい気分であることだけは確かだった。

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