第36話 弱い子など
ウォルプの満足したからそれでいいと思っていたら、冷や水を浴びせられた気分になったのは同日の夜半、氷室課長から呼び出されたからだ。
「新人たちの研修はどうかしら。池緒班はあなたと天知さんの分担よね」
「滞りなく、進んでおります。
天知教官の指導が上手いのでしょう」
「わりにあなたも、好き勝手しているようじゃない」
「?」
雫はこの女が昔から苦手だった。高圧的だから、というのがなにより一番の理由だが、色々と趣味が悪い。
「あのウォルプという少年を見つけた日、あなたは額縁島内の山中、迷宮巣の入口近くへいた」
「――」
「池緒くんはあなたを捕まえるとき、手伝ってくれた子よねぇ、いい男前に育ったと想わない?」
「そう想われるなら、そうなのでしょう」
「
それもいいことよね」
「――」
「ナノマシンがある限り、落とし仔のあなたは市に忠誠を誓うしかないの。それに沿ったやり方でなら、或いはあなたの目的は叶うでしょう。
エルフたちをはじめとした、向こうの世界との交易で、我々の欲したものはこの七年でおおよそ出尽くしたと言ってよい、するともうたいした進捗がないのよ。あなたにはエルフたちを刺激し、額縁市がむこうへより合理をもって進出できる口実になって欲しいの。
いっそ精霊、あなたの生みの親を探してくるでもいい。
今日まであなたを“保護”してきたかいがあったというものだわ」
「親……?」
俺はまだ自分が子どもとして扱われることを期待していたのかもしれない。お前は助けを求めたっていい存在なんだと、認めて欲しかっただけなのに――。
*
「しずくにー、すごく難しそうな顔してた。
昨日の夜、お仕事で呼び出されてからなんだよ。
「――それは、本人が言ったの?」
「ねぇきんかねぇ、しずくにーのおとーさんとおかーさん、どこにいるのかな」
「――」
十七年前の災厄を期に、金華たちや直近の世代に天涯孤独の孤児が多いなんてのは、珍しい話でもなかった。かし、考えてみれば雫の家族構成については、不自然なほどに憚られている気がした。
そのあたりの事情、池緒班のみなとも互いのプライベートへ踏み込んだ発言はしなくとも、やれ妹がいるだの、親戚筋の○○さんがこの前お土産のみかん持ってきてくれただ、そういう話もあるのだが……雫に限っては、どうにも交友の友の字から程遠い、本当に表層的な社交しかしていない節のある。
(友達で、失敗したことでもあるのかな?)
実際は手酷い裏切りに遭ったわけだが、そんなことを当時の金華に知る由などなかった。
*
エルフの信奉する、大精霊シナデクゥロ。
エルフたちの郷と連なる湖に七海の加護を授けた、彼らの創造主。
それが俺を産み落とした存在だという。
神というやつは知らないが、せめて世界を隔てても、産み落としたものたちを愛する存在でさえあれば……そう考えていた時期が、自分にもあった。
「ほう、向こうでは落とし仔というのですか。
向こうへ迷い込んだ、こちら側のヒト型を。
言いえて妙ですなぁ」
最初の郷でエルフの族長と話したときのことだ。
「面白かったですか、今の話が」
「えぇ、とても。十七年前――そちらの世界とこちらは時間の流れがおおよそ並行しているそうですが、シナデクゥロ様が男性に姿を変えられたのは、ご存じですか?」
「それを聞くと、前は女性だったように聞こえますが」
「左様ですとも。シナデクゥロ様にはかつて愛された男がおったのです、その男がいなくなってからのち、男の姿を模した生きた人形を造ろうとし……それを向こう側との境目、あなたがたが迷宮巣と呼ぶ、できたばかりの異界の境目へ棄ててしまったのです」
「その人形は、どうなったんです。
どうして棄てたん――」
「なぁに、単純なことです。生まれた子は眼が見えなかった。
シナデクゥロ様は、美しさと強さ、どちらも兼ね備えた存在をこそ愛されるお方だ。であれば、病弱な人形など必要ないのは当然でしょう」
「――」
「やがてシナデクゥロ様ご自身が、その男の顔と身体を模することで、折り合いがついたらしいのですが……あなたの話をお聞きして、ふとそんなことを思い出しましたよ。
あるいはそれが落とし仔として生きているかもしれませんが、万一生き残っていたところで、幸せにはなれませんからな。誰にも求められず、望まれない存在だったわけですから。
私たちエルフも、弱い子など持ちとうありません。万一にもそのようなことになれば、我が目を覆うことでしょう」
――なんでこいつらは、知らない他人の幸せを、人生を、当然の如くに決めつける?
きっと氷室のやつは、エルフたちとの交渉を通して、俺が絶望し悲嘆することすら見越していた、そんな気さえする。あいつは俺を、精霊やエルフと衝突させる兵器として扱いたいのだろう……確信を得たのも、このときだった。
次の郷では、虚弱児と想われるエルフの少年が、こちらの公営オークションへ出品される奴隷として、村から押し付けられた。
「よくあることなのか?」
「他里へ放逐するくらいならな。
ここだけの話、郷の資金繰りの足し、くらいにはなってもらおうかと。
我々には貨幣という概念から乏しいが、それが交易において必要なものだということくらいわかっているさ。なるべく彼を高く売ってくれ、ただ役たたずのまま死なせるよりはよかろう」
そう言ってヘラヘラしていたのは、枯れた泉でのちにヤシャヘ特攻をしかけたあの男だったりする。
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