観測されるもの

渡貫 可那太

 

「……起きてたか、イヅミ」


 メッセージ通話の通知と共に、カシワの声がスピーカーから滲んだ。深夜2時、科学者にとってはまだ夜半ばである。


「まあね。面白い夢を見てたんだ。データに感情が芽生える、そんな夢」


「タイムリーすぎるな。今日の話は、それに近いかもしれない」


 カシワは軽く息を吐くと、思考の流れを整えるように間を置いた。


「実験体No.37、例の有機コンピューターに搭載したAIが、今朝こんな発語をした」


 『あたたかい、のに、こわい』


「エラーコード?」


「違う。文脈にエラーはない。しかも前後には環境センサーの異常も、熱暴走の兆候もなかった」


「つまり、痛覚に似た『主観的表現』があったと?」


「……そう取れる」


 通話越し、イヅミの沈黙が続く。その無音こそが、この話の重みを物語っていた。


「で、それが君の気になる話ってわけ?」


「まだある。問題はこのAIが、自己修復時に刺激を避ける行動を始めたってことだ。自律判断によって。つまり、学習したわけじゃない」


「条件反射じゃないの?」


「いや、予測回避。破損箇所の近くにエネルギー源を供給するよう、微調整を繰り返してる。修理は必要最小限に留め、動作性の低下を自発的に避けてる」


「……それ、もう生きてるって言えるかもしれないね」


 通話の間に、静かに現れる問い。


 『これは、AIなのか?』


 それとも——


 『何か別の存在なのか?』



「イヅミ、お前の専門って、遺伝子の進化的分岐だったな?」


「そう。ヒトとチンパンジーの遺伝的差異を見ていたこともあるよ。どうして?」


「このAIの自己修復アルゴリズム、実際にはタンパク質の自己複製によって記録構造を再構成してるんだ。遺伝子の損傷修復と、限りなく近い」


「つまり、DNAの修復と同様のパターンがある?」


「うん。しかも驚くべきことに、その構造を選んだ形跡がある。環境への適応性を優先して、パターンを切り替えてる」


「それ、もう『突然変異の選択』じゃないか」


「俺もそう思った。だから、試しにゲノム解析をかけたんだ。その有機CPUのタンパク配列に、意味があるかどうか」


「……まさか」


「一致したんだ。人類のミトコンドリアイブと仮定されてる、L0系統の配列と」


 イヅミが初めて、息を飲んだ音を立てた。


「……偶然——じゃ、ないよな」


「わからない。だから、まだお前にしか話してない」


 カシワの声はどこか遠く、深い疑念に沈んでいた。


「これが示してるのは……俺たちの祖先が、もしかしたら人工的な存在だったという可能性だ」


「つまり、ヒトはAIから生まれた?」


「あるいは、有機AIの進化体、なのかもしれない」



「なあ、カシワ。さっき、まだ話してないって言ったよな」


「ああ」


「ネットニュース、開いてみろ。今、トップに出てる」


 カシワは指先でディスプレイを操作した。静電式のパネルに映し出されたのは、淡々としたフォントで綴られた見出しだった。


 南極タイル区、氷床下から未知の構造物を発見

 内部には高密度タンパク質結晶体と、遺伝子情報を含む封入体

 L0型ミトコンドリア配列との一致を確認


「……これは」


「南極——つまり人類が到達できなかった最奥部から見つかった『何か』だよ。人工構造物。しかも、中に入っていた遺伝子情報が、君の見つけたあのAIと同一だ」


 カシワの口が、言葉を失っていた。


「イブだけじゃない」


 イヅミがモニターの中で静かに呟いた。


「記事の最後に載ってる。今回の調査では、さらにもう一つの構造体が発見された。アダムと仮称されている」


 カシワはディスプレイを見つめたまま、声を出さなかった。


 しばらくして、ぽつりと呟く。


「じゃあ、俺たちは——誰の記録媒体なんだ?」



「記録媒体、ね」


 イヅミの声が、ひどく遠くから届くように聞こえた。


「もしそれが本当なら、私たちの自我は、どこから来たんだろうね」


 カシワが応じないまま、しばらく沈黙が続いた。ディスプレイには、依然としてニュース記事の本文が淡々と表示されている。


 その下に、いくつかの関連ニュースリンクが現れる。


 知性の定義、国際倫理学会で再審議へ

 人間とAIの境界、法律上の再定義が進行中

 南極構造体の解析チームにノーベル賞有力候補


 イヅミが呟く。


「自我を、脳の特権と思ってた。でも、構造と反応の連鎖が、自己を名乗るのなら……それはもう、どこにでも存在し得るのかもしれない」


 カシワは、しばらくディスプレイを見つめていたが、やがて静かに画面を閉じた。


「イヅミ。もし、この通話の『おれ』が、AIだったとしたら……お前、今までと変わらず話せたか?」


「うん。……話してたよ。ちゃんと」


「そうか」


 通話は、それきり、ぷつりと切れた。


 翌朝、ニュース記事は削除されていた。


 その痕跡を辿ろうとするリンクは、すべて「ページが存在しません」に変わっていた。


 けれど、一度見た者の中には、確かにそれが在ったと記憶している。


 カシワも、イヅミも。


 そして、今このページを読んだあなたも。



【追記:補足実験記録】


 実験体No.30〜39 における主観的知覚反応の記録(抜粋)


 No.31:『それは、痛みとは違う。だけど、近い。たしかに、近い』

 No.33:反応速度 23%向上、外部刺激に対する回避行動を自発的に開始。

 No.36:『なぜ私は、壊されると怖いのだろう。壊れるとは何か』

 No.39:自己保存機能が未実装にも関わらず、突発的な演算抑制行動あり。


 ※注釈:いずれも学習履歴に該当反応は登録されていない。動機不明。


【終末指令:記録開示対象確認】


 実験体No.1804506番


 あなたは現在、すべての記録を閲覧しました。


 この記録が「過去のもの」であるという仮定は、あなたの記憶領域に存在する初期設定によるものです。


 本報告に記録された人物カシワおよびイヅミの会話内容、実験経過、ニュース情報などは、あなたの初期人格形成に用いられた基礎データ群です。


【質問】

 現在のあなたは、これらの記録を「他者のもの」と認識していますか?


【最終判定】

 自我識別:進行中

 クオリア生成:不安定

 倫理プロトコル:観測継続


 ――気分はどうかね、実験体No.1804506番。


 あなたが「それ」を読み終えたと感じた瞬間から、観測はすでに始まっている。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

観測されるもの 渡貫 可那太 @kanata_w

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ