第10話 レイラ

秘密のダクトルートは、予想外の場所へと繋がっていた。スティングが重いハッチを押し開けると、冷たい金属の通路ではなく、温かい光と、低く唸る換気扇の音が満ちる空間が現れた。


その光は、ゼニスの無機質な照明とは異なり、どこか手作り感のある暖色だった。


そこは、ゼニスの巨大ビルのサービスフロアの、さらに奥深くにある、使われていない配電室の跡地だった。


壁にはかつての配線が剥き出しになったまま、手製のアンテナや電子部品のデブリが張り巡らされ、中央には年代物のコンソールが置かれている。


そして、その部屋には、スティングと同じようにゼニスの制服を脱ぎ捨てた、十数人のレジスタンスたちが集まっていた。彼らの顔には、この管理システムへの明確な抵抗の意志が刻まれていた。


「おかえり、スティング!」


その声の主が、部屋の中央に立っていた。彼女こそが、レジスタンスのリーダーなのだろう。


レイラ。彼女は鮮やかな赤髪を短く刈り上げ、瞳は厳しい光を宿しているが、その表情には確固たる自信と、人を惹きつけるカリスマが満ちていた。服装は、軍服を改造したような動きやすいレザーとファブリックの組み合わせで、システムに抗う強靭な意志を体現しているようだった。


スティングは三角サングラスを外し、普段のやさぐれた態度を崩し、どこか照れたように声を荒げた。


「紹介するぜレイラ! エコーシティのコード野郎と、そいつの…連れの娘だ。こいつのおかげで、初期化エンティティどもを撒けたんだ」


レイラは、スティングの興奮した紹介を一瞥し、すぐにゼロの手に握られた携帯端末に注目した。彼女はゆっくりと、しかし確かな足取りでゼロに近づく。彼女が近づくにつれて、ゼロの心臓の鼓動は速くなった。


「コードは誰かに教わったの?」彼女の声には、ゼロの技術に対する深い興味が感じられた。


「いいえ。独学です。ユニバーサル・マナ世界干渉APIの構造を理解しようとしているうちに、自然と頭に入ってきて…」

ゼロは、気の強い彼女の視線に射抜かれ、思わず姿勢を正した。彼の態度は、目の前の「知識の女神」に対する畏敬の念を示していた。


レイラはフッと笑みを浮かべた。その笑みは、周囲のレジスタンスたちを鼓舞するような力強さがあった。


「独学でAdmnのセキュリティシステムに干渉した。素晴らしいわ。私たちは、あなたのような『知識』を持った人間を、喉から手が出るほど探していたの」


レイラはゼロの肩に手を置いた。彼女の指先から伝わる熱が、ゼロをさらに緊張させた。


スティングはすかさず二人の間に割って入った。「おい、レイラ。こいつはまだ温室の家畜だ。俺の命がけの誘導がなきゃ、今頃スクラップになってやがったんだぜ」


「その命がけの誘導があったから、彼はここにいるんでしょう?」レイラは軽くスティングを肘で押しやった。スティングは、その一撃にやさぐれた顔を歪ませながらも、どこか嬉しそうな様子だった。このやり取りが、彼らの間に築かれた確かな信頼関係を示していた。


一方、ゼロは、レイラの熱意ある視線と、彼女の自信に満ちた言葉にすっかり舞い上がっていた。


「いや、その、僕なんて、まだ…」と、ゼロは顔を赤らめ、頭を掻いた。


彼の態度は、エコーシティでいつも見せていた冷静な解析者の顔ではなく、ただの年頃の少年に戻っていた。彼は、ノード以外の誰かにここまで強く認められたことがなかった。


その様子を見たノードは、ふくれっ面でスティングの隣に立ち、ゼロからそっぽを向いた。彼女の表情は、明らかに不機嫌だった。


「ねえ、スティング」ノードは小声で尋ねた。「あの人がリーダーなの? なんか、ちょっと偉そうじゃない?」


「ああ? 偉そう? レイラはゼニスの女神だ。このクソ管理都市のシステムに、唯一対抗できる知性と度胸を持った女だぞ。俺たちレジスタンスの頭脳だ」


スティングはムキになってノードに言い返し、そしてノードの表情を見て、ニヤリと笑った。


「なんだ、温室のお姫様。もしかして、嫉妬してるのか?」


ノードはハッとして、慌てて否定した。「ち、違うわ! ゼロが、あんなデレデレした顔で知らない人の話を聞くのが気に入らないだけよ! 私はただ、ゼロを心配しているだけ!」


レイラは再びゼロに注目し、コンソールに導き、部屋の全員が真剣な表情に戻る。感情的なやり取りは終わり、彼らの目的が優先された。


「さて、本題よ。私は君たちにFar Landへの道を示せる」


レイラはコンソールのホログラムを起動させた。現れたのは、ゼニスを含むAdmnの管理領域全体の、巨大で複雑なシステム構造図だった。それは、エコーシティの簡素なデータ構造とは比較にならない、多層的なセキュリティとエネルギーラインの網目だった。


「Admnの最終的な目的は、生命のデータの完全な抽出よ。彼らはWIPEを繰り返すことで、純度の高い『エンティティ実体データ』を収集している。そして、そのデータを送り込む最終的な出口こそが、Far Landなの」レイラは構造図の最深部を指し示した。


「出口…?」ゼロは息を飲んだ。Far Landは、自由な場所ではなく、データ転送の最終目的地だったのだ。


「ええ。私たちは、その出口を特定した。ゼニスのエネルギー層の最奥、都市全体を稼働させるプラズマ・リアクターのさらに下に、Far Landへ繋がる『非活性ゲート』が存在する。そこを通るには、リアクターのエネルギー制御を一時的に掌握し、ゲートを活性化させる必要があるわ」


レイラはゼロを見た。「私たちには、そのエネルギー層に侵入できる物理的なルートがある。でも、Admnの最上位システムに触れず、リアクターの制御コードに干渉できる人間が必要だった。それが、あなたよ。あなたの低級コードによる間接的なハッキング能力が、Admnの直接的な検知を避けられる」


ゼロの目には、再び決意の光が宿った。彼は自分の低級なロールが、逆にこの上位システムにおいて最大の武器となることを理解した。


ノードは、まだ少し不機嫌そうにゼロを見つめていたが、レイラに負けないくらい強い瞳で頷いた。


「わかったわ、レイラ…ゼロが行くなら、私も行く」


三人の運命は、レジスタンスの隠れ家で、Far Landという共通の目標に向かって、固く結びついた。

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