第9話 エンティティの掌握
スティングが開けた秘密のアクセスポイントを通り、ゼロ、ノード、スティングの三人は、ゼニスの公式構造図にはない、管理層の下を走る暗いダクトルートを進んでいた。
ダクトの壁は、冷たいクロム鋼と、古い銅線が露出した状態で構成されており、その雰囲気は、都市の豪華な表側とは対照的だった。
壁には、スティングが言うレジスタンスによるものと思われる、手描きの脱出ルート図やマナの旧コードの走り書きが残されていた。それらは、Admnの論理に抗う人間の意志の痕跡だった。
「この先で、レジスタンスの隠れ家がある」スティングは三角サングラスを押し上げ、周囲を警戒しながら言った。彼のスパークガンを持つ手は、常に微かに震えていた。
「だが、場所は教えられねぇ。俺の命以上に、奴らの安全が大事だ」
ゼロは端末を操作しながら、周囲の環境データを解析していた。彼の端末は、ゼニスのメインシステムにはアクセスできないものの、このダクトルートに流れる微細なデータノイズや、電力の揺らぎを検知することはできた。
「スティング、僕らがこのルートを使っていることは、時間の問題でバレる」ゼロは言った。
「ダクトの入り口が破壊されたログは、すでにAdmnに転送されているはずだ。エンティティが、この近くのアクセスポイントを捜索し始める前に、何か手を打つ必要がある」
そのとき、遠くのダクトの角から、金属の駆動音と、初期化エンティティ特有の低いノイズが近づいてくるのが聞こえた。そのノイズは、データの不純物を嗅ぎつける狩人の咆哮のようだった。
「ちっ、もう来たか!」スティングは、腰に差していた自作のスパークガンを構えた。その銃は、せいぜいゼニスの普通のドローンを機能停止させる程度の威力しかない。
「お前ら、ここに隠れていろ。俺が注意を引く」
「待て、スティング」ゼロは彼を制止した。
「奴らはお前のスパークガンじゃ倒せない。奴らの本体は、クロム鋼じゃなくて、Admnのコードだ。奴らを止めるには、奴らの存在そのものに干渉する必要がある」
ゼロは、隣を走る巨大な配線ダクトに目を向けた。そのダクトからは、強いエネルギーの熱と、規則正しい電子音が伝わってくる。それは、ゼニスという巨大なシステムを維持するための、生命線だった。
「あれだ。あれは、都市のマナ供給コアに直結したエネルギーラインだ。エンティティは、あのエネルギーを間接的に使って動いている」
ゼロの脳裏に、一つの危険なアイデアが閃いた。エンティティの存在データは強固なAdmnのファイアウォールに守られているが、彼らにエネルギーを供給する物理的な配線は、このダクトルートと接触している。彼は、物理とデータの境界線を利用しようと考えたのだ。
「僕の低級ロールじゃ、エンティティのコードを直接書き換えられない。でも、供給エネルギーを通して、エンティティの基本動作コードにノイズを送り込み、権限を上書きすることはできるかもしれない」ゼロは言った。
ノードは不安そうにゼロを見つめた。彼の瞳には、エコーシティでシステムを弄んでいた時と同じ、純粋な探究心が宿っていた。しかし、その探究心は今、彼らの命を救うための最後の切り札となっている。
「おい、何を企んでる?」スティングが尋ねた。
「敵を、味方につける」ゼロは答えた。
ゼロは、端末をエネルギーダクトの金属壁に接触させ、彼のロールでアクセスできる最も強力なマナのコードを、極めて集中的な「パケット」として作成し始めた。
彼の指の動きは、ワルツのコードを打ち込んだ時よりも遥かに速く、正確だった。彼は、自身の全存在を賭けて、システムの論理を逆用しようとしていた。
$Redirect.Force.Injection(
Power.Line, Entity.Target,
{'Basic-Function.Auth.Override}
);
彼は、エネルギーラインからエンティティへ流れるパワーの中に、「基本機能の認証を上書きせよ」という極小のコードを注入しようとした。
これは、Admn本体の制御下にあるエンティティを、一時的に彼の低級ロールの権限下にあるオブジェクトとして誤認識させるための、欺瞞のコードだった。
これは、極めて繊細な作業だった。コードの量が多すぎれば、システム全体に異常を検知され、ゼロのデータが初期化される。少なすぎれば、ノイズに埋もれて無効になる。彼は、許容されるノイズの限界値を正確に見極める必要があった。
エンティティ三体が、ダクトの曲がり角から姿を現した。クロム鋼の機体が、ゼロたちをロックオンする。彼らのパルス砲はすでに青い光を最大まで溜めており、数秒後には発射されるだろう。
【TARGETS ACQUIRED. INITIALIZING NEUTRALIZATION.】
パルス砲が青い光を最大まで溜める瞬間、ゼロはコードの射出を完了した。
ズン…!
激しい振動がダクトを揺らしたが、目に見える破壊は起こらなかった。エンティティのパルス砲は発射されなかった。
代わりに、三体のエンティティの胸部に刻まれたAdmnのロゴが、一瞬、激しく点滅し、赤い警告色に変わった。エンティティたちは、まるで内部で激しいエラー処理が起こっているかのように、その場でガタガタと震え始めた。彼らのシステムが、自分たちを動かすはずのエネルギー供給源から、偽の認証コードを受け取ったため、行動の論理が破綻したのだ。
「どうした?」スティングは驚きを隠せない。
ゼロは端末の画面を凝視したまま、声を震わせた。
「成功だ…! エンティティの『基本機能認証』を上書きした。奴らの行動ルーチンが、僕の低級ロールに従うように、一時的に書き換わったんだ!」
ゼロの端末の画面には、三体のエンティティの動作ステータスが表示されていた。
彼らはもはや「Admnの初期化エンティティ」ではなく、ゼロの低級ロールの権限下にある、システムのエラーオブジェクトとして認識されていた。
「動け!」ゼロはコードを打ち込んだ。
$Move.Route(Entity.All, {'Patrol-Exit'});
エンティティ三体は、それまでの敵意を完全に失い、硬直した動作で方向転換した。そして、ゼロたちには目もくれず、ダクトの来た道を、規則正しい巡回ルートに従って戻り始めた。
まるで、何事もなかったかのように、彼らの行動は「正常」に戻った。ただし、その正常は、ゼロによって再定義された正常だった。
スティングは、三角サングラスを何度もこすり、信じられないものを見るようにエンティティの去っていく姿を見送った。
「馬鹿げている…クソ機械が、俺たちを無視しやがった」彼は興奮と驚きを混ぜて笑った。
「おい、温室野郎。お前、ただのコード野郎じゃねえな。どうやらレジスタンスには、お前が必要みたいだ」スティングは安堵の息をつき、ゼロの腕を握った。
ゼロは、自身のスキルがゼニスの堅牢なシステムに対しても通用したことに、大きな自信を得ていた。
「僕たちは、システムを破壊するんじゃない。利用するんだ」ゼロは言った。
「スティング。レジスタンスの集合場所へ案内してくれ。僕たちには、もっと上位のコードが必要だ。このゼニスを抜け、Far Landへ辿り着くためにね」
三人は、背後の駆動音が完全に遠ざかるのを確認し、レジスタンスの隠されたルートの奥へと、さらに深く進んでいった。
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